第百十三句
「君は特別だね」
数分前――
なくはが去ってから拾った布を再び井戸にかぶせて能力を発動させた。これで見張りを付ければ影狼が増えることはあるまい。玉は満足そうな顔をして井戸を見続けた。
しばらくしても、何も変化はない。ただその奥から聞いていて気持ちの悪い音が聞こえただけだ。何度もひっかく音。だが素材が厚いのでこれくらいは平気だろう。そう思った時だ。いきなりそれを覆すような爆音が奥まで反響した。驚いて目を見開く。
(なんだ、何が起きた⁉)
聞こえたのは井戸の方からだ。見ると布には見入るほどに綺麗な穴が開いていた。顔を近づけるとさらに二回ほど耳の近くで音が響いた。鼓膜が破れそうだ。同じような穴が増えると同時に亀裂が入ってきているのが見えた。急いで手を離して少し下がったが、剣を構えた瞬間に影狼が飛び出してきた。真珠の破片が当たらぬよう袖で顔を隠している間に消え去る。恐る恐る顔をのぞかせると、井戸が消えていた。
困惑していると空から小さな影が見える。それは手のひらに収まるほどの大きさの――銃弾だ。まだ熱いので使ったばかりなのだろう。粉々になった真珠の中から穴があけられているものを探して通してみると驚くほどにぴったりだった。
「――これが、その銃弾です」
玉が懐から出して見せた弾丸は、一般的なハンドガンのものだった。まさか、影狼が人に化けて使ったのだろうか。だがこの時代にあるはずがない。
「……百人一魂から盗んだ、とかでしょうか?」
「いや、それなら博士がとっくに連絡を受けてるはずだ」
何も手掛かりのない以上井戸が消えたのは謎だ。とにかく今は、破片に気を取られて逃がした影狼の捜索を始める。生憎、風が強かったのですぐにぬかるみは乾いてしまって行き先がわからない。ひとまず井戸があった場所へ戻った。
微かに光る真珠の破片に吸い寄せられていく。確かに、井戸が元からなかったように消えているではないか。玉が持っていた銃弾が所々に落ちている。足音も聞き逃し、先ほどのように跡がない以上場所は特定できない。肩を落としている玉は隣を向くと、なくはが消えていた。
「っ――なくはさん!」
必死に叫ぶと後ろから声が聞こえた。木の下でなくはが干飯を食べていた。心配して損した、とでも言いたげな顔で近づくと、両手を胸の前で組んだ。
「……いる?」
「いや、そうじゃなくて。何やってるんですか」
「干飯食べてる」
「影狼が逃げてるんですよ?そんな呑気にやっている場合じゃ……」
「違うよ」
遮ってきた言葉があまりに真剣なので、口が止まった。
「影狼の最終的な目標は俺たちを倒すことだ。そのためには多くの仲間が必要になる」
いきなり始まった解説が長くなると確信した玉は正面で腰を下ろした。
「探索してみたけど、この森はかなり大きい。一番近い町に出るとしたら四時間は歩かないといけない。だから影狼はこれ以上影人とか仲間を増やさないと思うんだ」
「ちょっと待ってください。僕は一度、影人と戦いました。町はもっと近くにあるんじゃ……」
「あの井戸は消えたり現れたりすることができる。それなら姿見と同じ役割ができるだろう」
「……瞬間移動した?」
それが妥当だ。姿見は影狼が出てきた場所の近くに出ている。ある意味瞬間移動だ。だが、そんな便利な機能があるならわざわざ森に井戸を置く必要などない。
「町に井戸を置かなかったのは……多分、俺らの行動に集中するためとか。そこも計算されて作られてるんだよ」
「……あの、さっきから何が言いたいんですか?」
「うーん、なんというか……」
それを言った時、後ろから足音が聞こえた。
「『犯人は現場に戻ってくる』ってこと?」
他よりも一回り体の大きい影狼は、何匹かを引き連れてこちらを睨んだ。