第百十句
「それは弟じゃないのか?」
なくはの手に握られているのは、大量の真珠だった。いきなり雨が降ってきたと思って傘をさしていたら、これらが当たってきて痛かった。額なのでなおさらだ。玉の能力だということはすぐに変わったので、もうすぐ帰ってくるだろう。待っていると、はじめと変わらない足の速さで帰ってきた。歯が高い下駄にもかかわらず軽い足取りだ。
綺麗に礼をされてから懐から出したのは、ボロ布だった。精巧でまったく隙間のないことから上質なものだと分かるが、乱雑に破かれている。話を聞くとどうやら影人と戦ったらしい。きっとその中にいた者の服か何かだろう。布をかぶせようとした瞬間、一気に数匹の影狼が出てきた。すぐに後ろで銃を構えていたなくはが狙いを定めるが、そんなことができる速さではない。何事もなかったかのように走り去っていくのにぽかんとしながらも、まだ出てくる影狼を阻止するために布をかぶせて端を握った。
握った手形もきれいに残りながら真珠になった布を見て、ひとまず二人は安堵の顔をする。だが、玉はすぐになくはの方を振り返って真剣な顔で伝えた。
「あくまで、これは一時的なものです」
「そうなのか?」
「はい。真珠は宝石の中でも比較的硬度が低いです。一番高いダイヤモンドが十なのに対して真珠は四から二。高くても刃物で傷つけられます」
「時間の問題ってことか……」
とはいえ、先ほど飛び出してきた影狼たちをまずはどうにかしないといけない。布はそれなりに厚いので一回傷つけた程度じゃ破れない、二人にとっては立派な時間稼ぎだ。まばらに散って逃げた影狼の行き先を追いかけることにした。
先ほどの影狼と違うのは、井戸から出てきたときの動きだ。今まで状況をよくわかっていなかったのかゆっくりだった影狼があんなにも速くなるとは。状況はよくわからないが、探しに行くと早速一匹を見つけた。凛々しいその顔がまっすぐこちらを見つめる。迷わず二人は近づくがなくはは少し手前で止まった。
ここら辺にあるのはどれも枯れ木。葉が茂らないので姿はすぐに見える。木の上に隠れているなんて、とっくに分かっているのだから。左の空気弾を全て放つとあたりに薄い霧がかかる。その中から出てきた影狼一匹一匹に向けて慎重に狙った。一つの幹の上に飛び乗り、左の銃にも実弾を装填すると左右から来た影にかすらせる。
万が一影人だったときを考えてやったがその必要はなかったらしい。こちらに飛び移ってくる姿勢をしたところで頭上にあった枝を掴む。予想通り、同時にきたところで膝を曲げて胸の前に来るよう丸めると、互いに額をぶつけた。そこからさらに追い打ちをかけるように背中へ着地するとその重さで手足が使えなくなった。足を下ろす代わりに銃を頭へ当てると大きく銃声を出しながら弾を貫通させた。
目の前には玉が見える。どうやら苦戦しているようで木から降りるとすぐに応戦に向かった。
木の上に隠れている影狼は玉が話しかけたときにはもう気づいていたようであり、積極的に倒しに行ってくれた。あそこで気づいていなかったら目の前にいる影狼に気を取られて後ろからの攻撃には対策できなかっただろう。
だが、先ほどまでとは段違いの速さを持っていて対処ができない。サーベルは剣なので近距離攻撃が主な役目。だがスピードで近づけない以上倒すことはできない。いつの間にか増えていたのでなおさらだ。ようやく接近してきたと思ったら後ろからの攻撃もある。おかげで服や体にはひっかき傷が絶えない。
体力もなくなってきたところでなくはが到着して応戦してくれた。頼ってばかりではいられないとサーベルを振るが勢いに押されて倒れそうになった。目の前で影狼が大きく口を開けている。目をつぶるがその前になくはが自分の腕に牙を噛ませた。痛そうな表情をしながら玉と目を合わせた。
「無理をするなっ!」
聞いたこともないような大きな声が耳に響く。右の銃で影狼を撃ってから体を向けた。
「人に頼れるときは頼っていい。甘えたいときは甘えていい。そうしないと人は壊れる。やりすぎてしまうなら限度を持てばいい」
そう言って手のひらから出てきたのは自分の能力で作られた真珠だった。
「それと同じくらい必要なのは、逆転の発想」
最初は何を言っているのか分からなかったが、月明かりによって光沢を帯びた真珠を見て気づかされた。真珠を手に取ると、玉は立ち上がった。