第百九句
「これは特別な景色だ」
足を滑らせ、真っ逆さまに落ちたなくはは何とか体を半回転させて着地した。思っていたよりもすぐ地面に着いたのは、けして自分の体重のせいだとは考えないようにする。
身をひるがえしたことで何とか潰すのを防げた干飯をポケットにしまうと銃を顔の前でつなげて狙った。一瞬で木から降りて周りを走っていくのを目で追いかけながら乱射していく。風になびく尻尾にさえかすることなく、一周する頃には弾切れになっていた。すぐに装填を済ませたがその姿はどこにも見当たらない。
なくはが使っているのは一般的なショットガンで、装填数は三十発とかなり多い。だが、それゆえに替えをあまり持っておらず慎重に使わなければいけない場面も多い。連射をやめ、次からは確実に仕留めることを意識する。今いる場所は開けており、その中央に立つと適当に周りの木に向かって片方だけ撃った。わずかに聞こえる移動の足音から大まかな場所を特定すると、突っ込んでいく。予想通り影狼はいたもののやはり逃げられる。なるべくぴったり付いていくようにした。
(あと少しで……あっ)
追うことに夢中になったせいで何かに躓き、体が前のめりになる。だがそのおかげで手が届きそうなくらいまで近づいた。つま先で何とか踏ん張って転倒を防ぐとその流れで今まで使っていた右手の銃を離し、左手の銃を向けた。影狼の頭上に放たれた弾は今までと違った特殊な形をしていた。目の前で爆発したそれはたちまち大きな煙を出して影狼の視界を奪う。
左側の銃に入っていたのは空気弾だったのだ。煙を潜り抜けて出てきたのは一つの細い銃口と鋭く睨む目だ。そのまま腹部を撃たれ、風が吹くと煙と同時に体が溶けていった。
再び木の上に戻り、井戸から出てくる影狼を撃っていった。さっきの戦いで疲れて食べる気すら起きない。
(……玉君、大丈夫かな)
その頃、玉は井戸を防ぐのに使えそうな素材を探していた。どこを見ても立っている木、木、木。なるべく高いものが欲しいと思って上ばかり見ていたら首が寝違えそうだ。影狼がいないとはいえ、なくはを待たせては悪い。
足早に進んでいると風が吹き始めた。さっきよりも肌寒く感じる。
「もうすぐ……雨が降りそうだな」
なびく葉の中に、明らかに違うものを見つけた。動き的には布だろう。何かに使えそうなので回収したいところだが、急に後ろから影人が出てきた。何溶け避けると、他にも木を囲むようにして数人立っている。多分、布は罠だろう。注意を引かせることで気づかない間に接近しようとしたのだ。怪我をさせないようにサーベルを鞘にしまった状態で腰から外し、綺麗に足をそろえて構える。
向かい風と共に近づいてくるのを、足を後ろに下げながら襲って来る影人を捌いていった。その足取りはまるで踊っているようだ。少し高めになっている下駄の歯を爽快に鳴らしながら走り抜け、ついに木の下までたどり着いた。だがまだ全員は仕留められていない。
逃げたらまた最初からやり直しだ。幹に背中を付けて刃先を向けていると、その額に何かが当たった。雨だ。もう降ってきたのかと思う間もなく、土砂降りになった。風と相まって水滴が所々についてくる。びしょ濡れになりながら動きを止めた影人たちの前に、玉は傘を差しながら進んだ。
「……冷たい」
その雫を手のひらに集めると、和歌を唱えた。
『白露に 風の吹きしく 秋の野は』
前に出した手をぎゅっと握った瞬間、雨は何やら白い粒に変化した。一つ一つが光沢を帯びている。玉が手を開くと、集まっていた水滴もいくつかの粒になっていた。
玉の句能力:物体の素材を真珠化させる
よく見ると、それらは真珠だった。そう、玉はあらゆる物体の素材を真珠にさせることができるのだ。その能力から『真珠天使』と呼ばれている。次々に振ってくる真珠たちに目を閉じ、まともに歩くことができなくなっている影人へ強くサーベルの柄を当てた。
(まぁ、勝手につけられたあだ名だけどね)
月が見えたと同時に木に登り始めた。無事に端切れを取り、地上を見下ろすとあたり一面が真珠に覆われていた。