第百三句
「友則……」
春はいつも以上に険しい顔をして心と目を合わせた。決してどこを見ても、視線は合わなかったのだが。
「心、私は今怒っています」
「春さん、それ以上話したら血が……」
白菊からの忠告も無視して話を続ける。
「貴方の能力は確かに便利です。でも私が盾となっていなかったら貴方の主が撃たれていたでしょう」
「……」
「何の罪もない御方たちを自らの手で殺そうとするのは何事ですか?」
だんだん喋るのがつらくなってきている。それでも、声量は一切乱れない。
「本来、人の人生はその人のものです。それには“死”も含まれる。 “死”の選び方はその人が決める。私の主も、主自身の人生を生き抜いたんです。そういう人にしか“死”は許されない」
そこまで言うと急に声のトーンが落とされた。
「事故や事件で人の命を安易に奪う奴らが許されないのは、まだ被害者の方たちが自分の人生を生き抜いていないから、もらえたはずの権利をもらえなかったからだ!だから……だから、お前のやり方は間違っている!」
感情が高ぶっている様子で、その目には涙が見える。
「お前の都合に人を巻き込むな!私はお前を奪う側にしたくない!いい加減にしろ、心!」
「……春、兄?」
微かに空いた目はその険しい顔をちゃんととらえた。左胸のあたりから出る血を認識するとすぐに両腕を押さえた。
「春兄、血がっ、なんで、どうして……!」
そして自分の右手にあった、まだ煙を上げている銃口を見て一気に絶望の表情へと変わる。
「わかってくれたなら、それでいいんです」
「ごめんっ、なさい……。なんで?俺、ただ影狼を倒して、皆とくだらない話をしながら、帰りたかっただけなのに」
大粒の涙を春の草履に落としていると、その右手が上がった。小指だけが立っている。
「約束です。影狼を全部倒したら、皆で話しながら帰りましょう」
「……うん」
その震えている小指と小指同士でしっかりつなぐと、春は笑顔で目を閉じた。一つ息をついてから心は白菊の方を向いた。眉間にはいつも怒ったときよりも何倍ものしわが寄っている。
「白菊、春兄を“医者”に診てもらう。主たちの屋敷に運ぶんだ」
ここでいつもの計画力、管理力が出てきた。ぐずぐずしている暇はない。春の体を引き渡すと暁と顔を合わせる。
「暁、まだ動けるか?」
「もちろん」
もう能力には頼れない、いや、頼らない。暁からの言葉で今立っている位置から大体北西の方角に逃げたらしい。しばらく走りながら探していると、いきなり真上から着地してきた。頭にくる直前で音に気づき、引き金を引いたが急な対応なので当たらない。
狙いやすいように低姿勢で構えるとすかさず跳び掛かってくる。だがそれも計算済みだ。今まで隠れていた暁は心の背中を軽く蹴って自ら衝突しに行った。音もたてずに刺された影狼からナイフを抜くと、一息つく。四つん這いになっていた心は少し震えている。
「おい暁!お前強く蹴りすぎなんだよ!」
腰を押さえながら立ち上がるのを見ながら冷静に返す。
「仕方ねぇだろ。俺、身長低いんだわ」
「へぇ、いつもあんなに『高くなりたい』とか言ってんのにそのコンプレックスを言い訳にしちゃうんだ。恥ずかしっ」
「黙れっ」
殴り込みそうになった時、いつの間にか目の前に大量の影狼がいることに気づいた。先ほど倒したはずだ。気配も何もしなかったのに、今更なぜ。だが、量が多い分単純な動きしかできないだろう。倒しながら道を開けていき、出現元を確かめに行った。
「……なんだよ、これ」
足を止めた場所には、森の奥深くにも関わらず井戸が置いてあった。とても古い井戸だ。そこから顔を出したのは、影狼だった。ひとまず出てきたばかりの影狼を倒し、井戸を覗いても水が張ってあるだけで何もない。心がもう少し奥までのぞき込もうとした瞬間、毛皮に包まれながらも骨ばった額と自分の額が激突した。
間違いない。ここから影狼が湧き出るようになっている。少し恨みを込めたように撃つと、暁と耳打ちして作戦を伝えた。