第九十八句
「もう会えないのか……?」
心の言った通り、忠岑が止まった先には死人のようにやつれた顔をした貫之が座り込んでいた。小声で必死に起こす。
「貫之、大丈夫か?」
「……」
「貫之っ!」
「たっ、忠岑⁉」
二回目でようやく気付いてくれた。どうやらここに来てもうすぐで一日が経ちそうだったという。また大声を出しそうになった貫之に静かにするよう伝えると、状況を話し始めた。
心と暁はというと、その真上にある木に座っていた。忠岑が奥に行くにつれて影狼の気配が大きくなってきたので木の上に避難したのは正解だった。何やら話している二人を見ながら影狼の様子をうかがった。
今までの場所だと月明かりがあって照らされていた森がやけに暗くなったと思ったが、それが影狼の毛皮の色だったとは。終わりのないと思えるほど続いていたので、ここには森を覆いつくすほど影狼がいて密集しているのだろう。一人を監禁するためにこれほど大掛かりになることはない。何か真の目的があると考えた。
忠岑の目線が暁たちの方へ向く。連れ去られているときでも自分たちの位置をちゃんと把握していたのだ。これには驚いた。口をパクパクさせながら何かを訴えている。口の形ですぐにわかった。
「は、や、く。早くしてってことか」
「当たり前だろ、誰を人質にしてると思ってんだよ」
このまま忠岑に人質役を頼んだままにしたら、どうなるかわからない。影狼たちがあの二人に集中しているときに攻撃をしなければ。
ふと暁に目をやると、ナイフで今座っている木の幹を一生懸命切っていた。最初は何事かと思ったが理解するとその手をしっかりとつかんで止めた。
「暁?な、何をしているのかな?」
「見りゃわかるだろ。切ってるんだよ」
このまま足場が切られたら自分たちは落下して影狼に存在がばれる。そして万が一、主に当たってしまったら――想像しただけで肝が冷えた。だが、そんなことを気にせずに刃を入れていく。もう木の半分にまで到達した。ミシッと小さな音を繰り返す中、暁は何かをつぶやいてからくるりと振り返って心を見た。
「俺を信じろ。ほら、目を見て」
「……」
「自分の能力、忘れたのか?」
言われたままに見ると、そこには月明かりを宿した琥珀色の瞳が二つあった。人が変わったかのように静かに笑う暁の目に引き込まれそうだ。目を離すと、心は自信に満ち溢れたような顔になった。切れ込みに向かって引き金を引き、とうとう枝は周りに砂ぼこりをたてながら落下した。すぐに立ち上がると和歌を唱えた。
『人はいさ 心も知らず ふるさとは』
急に走り出し、影狼に向かって次々と弾丸を撃った。その間に暁は貫之と忠岑のもとへ向かって影狼のいない場所へ避難した。
一心不乱に戦い続ける心を見て忠岑は暁に話しかけた。
「君は戦わなくていいの?」
「いや、手伝うよ。アイツの“目標”を邪魔しない程度にね」
心の句能力:目標を達成するまで一点集中
影狼に服を掴まれようが、その爽快な走りを防ごうとする木の枝に引っ掛かろうが心は表情一つ変えずに影狼を倒していく。その銃さばきには目が追い付かない。ふと後ろに目をやると暁の姿がなかった。と思うと、向かいにある一番背の高い木の上で風を受けながら叫んだ。
「影狼!お前らこっち見な!」
月で逆光を受けたはずの体の中で、目だけがはっきりと見える。それに魅了されたのか、動きが止まった。そこに心が飛んできて静止画となったものたちを撃っていった。こちらにもいたのか木に近づいてくる。高さだけが取り柄と言ってもいい木だ。二、三発撃たれたら倒れるだろう。銃口を手のひらで覆わせながら影狼の背中を刺した。
糸が切れたような感覚がしてから心がはっとした表情になる。集中が切れたので“目標”が達成されたのだろう。銃口に押し当てられた暁の手を驚きながら離した。
「ちょっ、危ないだろ!俺が撃ってたらどうしたんだよ!」
「別にいいだろ。撃たれなかったんだから」
『花ぞむかしの 香ににほひける』
勝手に置いて行ってしまったが、貫之と忠岑に怪我はなかったので安心だ。心もなんだか機嫌がよさそうだった。
「なんか、暁の目を見てから調子が良くなったんだよなぁ」
「良かったじゃん」
(ま、俺の能力なんだけどね)
暁の句能力:相手の調子を変える“目”