第九十六句
「なぜあの月は……」
「どういうことだ?」
「コイツは主じゃない。化けた影狼だ」
「かげ……ろう?」
聞きなれない言葉へ必死にフォローを入れて最近出た妖だとごまかす。納得してくれた二人の横で話は続いた。
「今日、整理をしたと言っていましたね。その時、和歌の紙はどこへ置いたのですか?」
「えっと……裏口を開けてその外に出してたな」
やはりそうだ。四人は顔を合わせると、続いて暁が話した。
「貫之さんが紙を出したとき、外にいた仲間が同じくらいの量の偽物とすり替えたんですよ。和歌の紙は見ただけで中身は確認していない。それだったら気づかれることはありませんよね」
貫之は高らかに笑った。とても恐ろしい笑い方だ。心はもう一度武器を取り出す。銃口が二つ縦に並んだ銃を取り出すと額に当てた。
「ちょっと、それはやりすぎでは……!」
「問題ない、こいつは妖だ。しかも俺の主に化けやがって……!」
本気で怒っている様子の心が引き金を引く前に、白菊が小さく手を挙げた。
「最後に教えろ。本物の貫之さんはどこだ?」
「あ、あと、和歌の紙は?」
忠岑が急いで付け足す。少し間があったので何を言い出すかと思いきや、その顔はまた口角をあげる。
「忘れた――」
言葉が尽きる前に額を撃ち抜かれた貫之はあっという間に元の影狼に戻って灰になった。いきなり鼓膜の奥で鳴り響いた銃声といつの間にか消えている影狼に躬恒と忠岑は驚きが止まらなかった。
口を割らない以上は詳しい場所はわからない。だが、この近くにいるだろう。ここからは手分けして貫之を探すことにした。四人もいるのだからすぐに見つかるだろう。だが、そこで撰者の二人が間に入って来た。
「私たちも行きます」
「えっ、でも危険ですよ⁉」
「いや、元は俺たちの問題だ。それに……お前たちが紙を盗んだり貫之を連れ去る可能性もあるからな」
少し考えてからようやく思い出した。今、自分たちは狂犬病対策部隊なのだ。なのに、勝手に和歌集を制作する部屋に押し入ったり推理を披露したりと、初対面でやる行動ではない。四人で話し合って、白菊は躬恒と、心と暁は忠岑と、春はここに残って見張りをすることとなった。春が最初にそれを言った時、一斉に反対された。特に猛反対していたのは心だ。いつも一緒にいる二人なら当然だ。説得に負けてしぶしぶ承諾すると、春の顔は優しく笑っていた。
裏の森が怪しいとのことなどで入ってみる。いつも戦う森と同じ雰囲気だ。おぞましく、すべてを飲み込みそうな――。その時、遠吠えが聞こえた。妙なくらいに両耳にはっきりと染み付く。一つだけならそちらにしか意識は向かわないが、今回はちょうど左右から聞こえてくる。二匹が息を合わせて鳴いたのだろう。暁と目を合わせて近い方に振り向くと、二手に分かれていった。
躬恒は、自分から行くとは言ったもののとても怖かった。さっき知り合ったこの男はいったい何者なんだろうかと考えるばかりだ。見慣れない動物の皮を使った、袖のない羽織のようなものの下に大きな白菊の花が描かれている服を着ている。背丈が大きく、どこか安心感がある。
その背中がいきなり止まると、急に持っていなかったはずの弓矢を取り出した。体の大きさに合わせて、ふつう使われている者よりも大きい。三日月の如く光っている弓に白羽の矢をつけるとさっきまでの安心感を裏返すように獲物を狙う獣の目が出てきた。
躬恒が見る限り、矢の向いている方向には誰もいない。試し打ちだろうかと思ったが手を離す直前に少し上を狙って打った。どうやら木を狙っていたようで、茂っている葉の中に入った矢は落ちてこなかった。だが、少し間を置くと黒い塊が落ちてきた。これがさっき見た野犬だろうか。その胸には先ほどの白羽の矢がついているではないか。
「これは……」
「 本当の“白羽の矢が立つ”ですね」
自分で言ったものの恥ずかしくなった白菊は顔をそむけた。だが、躬恒の顔はというと輝いている。
「素晴らしいですね!」
「え、あ、ありがとうございます!」
体から矢を抜き取り、手拭いで血を拭いているとき、躬恒の後ろにいやな気配を感じた。影に紛れてはっきりと浮かび上がったのは、あの赤い目だった。