第九句
「私が……すべてやりました」
しだりが重い瞼をゆっくり開けると、隣で鵲が微笑んでいた。
「おはようございます。……と言ってもまだお昼過ぎですけど」
ゆっくり起き上がると先ほどの肩の痛みを思い出した。だが時間が経ったからか少し痛みが引いている。
「夏来さんの手当て、上手でしょ?」
確かにさっきと比べてが包帯がしっかりと巻かれている。顔を上げるとにっこりした鵲がまっすぐにしだりの方へ向いていた。しだりは何か話そうとしたが、その内容は着信音でかき消された。
「……博士、どうしましたか?」
『起きたんだね、おつかれさま』
電話を片手に部屋の隅へ行った。
『君が寝ているとき、鵲君が出てくれたんだけど……』
「アイツが?」
『そう、「しだりさんは寝てるから起こさないで!」ってちょっと怒ってた』
「そんなことが……」
ついクスっとしてしまったしだりに少し重い声で博士が話し始めた。
『それで、その電話の時に鵲君がおかしなものを見たって言ってきたんだ』
「おかしなもの?」
『鵲君曰く、二人は村人に会ったらしいんだよね?』
(会ったというか俺が追い詰めただけなんだけど……)
「そうです」
『その村人は鵲君の能力に反応しなかったから人に化けた影狼ではないって本人は判断したみたいだけど、君が寝ているときに鵲君が影狼のような状態になっている同じ村人と遭遇したらしいんだ』
「なっ……⁉」
『鋭い牙に爪があって、襲ってきたと。まぁその時は何とか逃げたらしいけど』
「起こせばよかったのに……」
報告を直接しない鵲にあきれながらも、冷静に話を聞き続けた。
「能力に異常があるとか?」
『いや、何か異常があったらこちらに報告があるはずだから今のところ鵲君に関することはないよ』
「そうですか……」
『しだり君は何か心当たりが?』
「いいえ特に……」
《神様なんていらない。僕は自分の力で生きていくの》
唐突にその言葉が出たので、思い切って聞いてみることにした。
「あの、今日戦ってるとき……いや、その前に少し喧嘩をして。そしたらアイツが“神様なんていらない”って言ったんですけど、それって今回の件と何か関係ありますかね?」
(ここで嘘をついても俺が苦しくなるだけだ)
『彼がそんなことを……。それは鵲君の主である大伴家持の言葉と似ているね』
「主……ですか」
『そう、家持が越中国へ赴任した時は一か月くらい雨が降ってない状況だったんだよ。しばらくして雨雲が出てきたから雨乞いの歌を詠んだらその三日後に雨が降ったっていう逸話があるんだ』
「そんなことが……」
『その時にも家持は歌を詠んでいるんだ。 “望み通りの雨が降ったから神様への感謝を忘れそうだ”ってね』
「神様、か」
その話をしている最中の鵲はなんだかいつもと違った気がしていた。いつもは想像力があって天真爛漫だが、真剣な表情だった。まるで、世界の裏側を知っているようだ。
「……その話をしているアイツは、なんだか怖かったです。今まで純粋な光を見てきた人が突然暗闇に放り出されたような」
『家持は三つの顔を持っている。一つは公卿、国の政治を任せられる職位。二つ目は歌人、これは普段の鵲君からも読みとれる気がする。最後の三つ目は――暗殺の計画者』
「暗殺⁉」
『そう、当時の天皇である淳仁天皇の補佐みたいな役割をしていた藤原仲麻呂に対して暗殺計画をしたんだ。まぁ、最終的に密告されて仲間の三人ととらえられたようだけど……。家持が亡くなった後にも同じようなことがあって埋葬されなくなったり、官籍からも除名されたらしいよ』
「じゃあもしかして……」
『私は家持の想像力が広くてロマンチストなところをベースに鵲君を造ったのだけれど……もしかしたら自動的にそういう面も入ってしまったかもしれないね』
――博士と電話を切ったしだりは少し疲れながらも机に電話を置いて座った。鵲は鼻歌を歌っている。
「……なぁ、鵲」
「ん? どうしたんですか?」
「俺は……神様がいたら信じたいと思う」
裏の顔を知った以上何か変なことをしたらどうなるかわからない。いつもより鵲の覇気みたいなものが重く感じる。
「いいですね!」
「……え?」
「僕は人の意見を変える気はありません。それにその考え方は素敵だと思います!とっても!」
さっきまで自分は何を心配していたんだろうと思えるほどの返答だった。しだりは、大きく背中を押される感覚を覚えた。
「鵲」
「なんでしょう?」
「ありがとう」
少し不器用だけど、にっこりしているしだりに鵲も嬉しくなった。
越中国は現在の富山県あたりだそうです。