姉さんが帰ってきた!~人間がダメならエルフと暮らせばいいじゃない~
満月を眺めながら明日我が家の薬草店『世界樹のゆりかご』に出す薬草の準備をする。
「姉さん、元気にやってるかなあ……」
今年で姉も18となり、今日はお城で婚前パーティーが開かれるそうだ。
僕はそわそわとした気持ちを吐き出すように、一つ大きなため息を吐いた。
本来なら僕も弟としてロージィ姉さんの晴れ姿を見に行きたいがそうもいかない。
カモミール家は王家に仕え、薬草を卸したり王族の担当医となったりといった仕事をしているが、代わりに王妃となる魔女以外は政治的な力を持つことを一切禁じられている。
社交場に出ることも禁止で、有力貴族が集まる今回のパーティーへの参加などもってのほかだ。
「あのバカ王子に振り回されて苦労してなきゃいいけど」
優しく聡明な姉さん。婚約者のギルベルト王子は一度だけ会ったことがあるが、良くも悪くも疑うことを知らず、プライドは立派なボンボンという印象だった。
王族であることを加味しても姉さんに相応しい男ではない。だけど姉さんも納得しているようだし、今は幸せになってくれることを祈るしかないか……。
モヤモヤを吹っ切るように仕事に勤しんでいると、満月の光にふと影ができて空を見上げる。
「ん?なんだアレ……?」
最初は黒い点だったそれはグングンと大きくなり、それはこちらに向かって落ちて来ているのだと気付く。
「うわあああああ!?」
ドサァッッ!!
逃げ出す暇もなく、それは一直線に店の真ん前へとそれは落っこちて来た。
うぞうぞと広がるツルがクッションになったのか思ったより大きな音はしなかった。落下してきた巨大なオレンジ色の塊。それは馬車のキャビンを模した巨大なカボチャであった。
「え、これってもしかして……」
「いてててて、着地ちょっと失敗しちゃったなあ」
「!!やっぱり、姉さん!どうしたのこんな、城で何か緊急事態でもあったの!?」
「ああ、リカルド!緊急といえば緊急かもしれないんだけど、まあゆっくり説明させてちょうだい。父さんと母さんは?」
「2人とも家にいるけど、この騒ぎですぐ出てくるんじゃないかな……ほら」
噂をすれば、杖を構えて臨戦体制のお母様と必死にそれを止めようとするお父様がドタバタと飛び出して来た。
「敵襲!?強盗!?私の植物魔法が火を吹くわよ……ってあら、ロージィじゃないの」
「母さん、先に飛び出ないでくれ、危ないから……!」
「2人とも久しぶり〜!会いたかったよ〜!」
「おお、ロージィ!?」
ピョンっと両親に飛びついた姉さんに2人は驚いたものの、嬉しそうに姉さんを抱き返した。
「どうしたのロージィ、パーティーを抜け出してわざわざ会いに来てくれたの?」
「違うの母さん。実は話さないといけないことがあって……」
僕たちは家に入り、姉さんからことの顛末を聞いた。
「そんな、王子だからって横暴すぎる!僕らが中央に関わらないように徹底してるのは誰よりも王族が知ってるはずなのにそんなデマで追放だなんて……!」
「落ち着いてリカルド、私はむしろ自由になれて嬉しいくらいなのよ。ただ、冷静になったらこれで絶対お店に影響が出ちゃうのがあなた達に申し訳なくって」
「ううん、ロージィが解放されたのは喜ばしいけども確かにね……。王家から追放とあれば他の顧客からもそっぽを向かれてもおかしくないしなあ……」
「う、まあそれはそうだけど……」
「あら、それなら心配ないじゃない」
確かに店の今後については考えるべきである、と僕らが頭を捻っていると母さんがことさら明るく手を打った。
「王宮からも追放って書状もあるし、初代国王との盟約も無効でしょう?なら人間界からはもう撤退して、エルフの里に行けばいいわ」
「エルフの里って、母さん。そんなのお伽話に出てくる場所じゃないの」
姉さんの反論に僕もうんうんと同調する。
エルフの里。それは魔女の家に伝わるお伽話に出てくる、全ての魔女の故郷とされる理想郷だ。
「お伽話なのは表向きね。魔女が迫害された時の備えとして族長達は皆んな真実を知っているわ」
水は澄み、大地は豊かで、魔力に満ちた空気はこの世のどこよりも清浄である。ある日エルフの里に迷い込んだ人間とエルフは恋に落ち、そして子をもうけた。それが人間の姿とエルフの魔力を持つ『魔女』ワルプルギスである。
ワルプルギスは成長すると力の弱い人間を助けたいと望み、人間界へ降りて魔法の力で人々を助けた。そして彼女もまた人間の伴侶を迎え、子を産んだ。それが全ての魔女の起源である。
お伽話『魔女のはじまり』の内容だ。魔女の家の者なら誰でも知っている話だが、それ故にエルフの里と言われても実在するとはすぐに呑み込めない。
「でも、エルフの里に戻るにはそれなりの覚悟もいるの。具体的には、エルフの里に住むのならその一族はもう人間界には戻れない」
「ええっ、何それ!?」
「人間界とエルフの里の無闇な交流を禁ずるための掟よ。エルフは本来、森の純粋さを失わないように人間と関わるのを避ける排他的な種族なの。だから里への行き方を知る他の族長たちも里に立ち入ったことはないらしいわ」
母さんがちらりと気遣わしげな視線を父さんに送る。僕と姉さんもまた父さんのことを心配せずにはいられなかった。
この中で一番人間界に帰れないのが辛いのは一般家庭で育って母さんに婿入りした父さんだろう。だが、父さんは躊躇うことなく頷いた。
「わかった、それで家族が暮らしていけるなら僕もエルフの里に連れて行って欲しい」
「父さん、いいの……?」
「ああ。ロージィ、君には家のことで苦労をかけてばかりだったね。これから君が自由に暮らしていける上に家族一緒で暮らせるなら、父さんはそれ以上に嬉しいことはないよ」
「……!ありがとう、父さん!」
「あっ、姉さん僕も!僕も姉さんのためなら人間界に帰れなくなるくらいなんでもないんだからね!」
「うん、リカルドもありがとう!」
姉さんにギュッ、と抱きしめられて顔がボッと熱くなる。王宮で窮屈な暮らしをしていたはずの姉さんの髪からは、それでもなお優しい花の匂いがした。
「さあ、じゃあ話はまとまったみたいね!ロージィ、さっそくで悪いけどあなたがカモミール家の使者としてエルフの里に話を通してきてちょうだい!」
「えっ、私!?」
「当然でしょう。あなたの嫁入り話がなくなった今、正式に次期当主はあなたとなった。私はお店をたたんでエルフの里に行くにも現当主としてやらないと行けないことが山ほどあるから、あなたが行く他にないわよ」
「それもそうかあ……え〜、でもエルフの里かあ……」
困ったように頬に手を当てつつ、口元の緩みが抑えきれてない。
僕にはわかる、これはめちゃくちゃ嬉しい時の姉さんの照れ隠しだ。婚約者として王宮で暮らす前は植物オタクを発揮して毎日森か栽培場か工房で過ごしていた姉さんのことである、お伽話のエルフの里に行けるなんて垂涎ものの話だろう。
頼りになる大好きな姉とはいえ、ここ数年の王宮暮らしのフラストレーションも相まって暴走しないかが心配だ。
「姉さん、あくまで挨拶だからね。植物採取とかにうつつを抜かしちゃダメだよ」
「も、もちろんだって!リカルドは心配性だな〜」
念の為釘を刺すと姉さんはにへへ、と誤魔化し笑いをして目を逸らした。
(これ、本当にエルフの里で暮らせるのかな……)
僕は遠い目をして、空でのんびり輝いている満月を遠い目で見上げたのであった。