第35話 祖母(おばあちゃん)の涙
新しい女子高生ヒロインのホタルの話が続きます。
ホタルが暮らしている葵井家は、泉天さんのご主人だった○○(偶然だが、僕と同じ名前)さんの神奈川県にある実家だ。
ホタルは、ここで父方の祖父母と一緒に暮らしていた。
僕は、直接会ったことはなかったが、先日、祖母の方の葵井さんと電話で話をしたのだが、険悪な状態で切られてしまった。
このままではまずい、と思っていた。
そのことを泉天さんのお母さんに電話で伝えると、ホタルが葵井家で生活していることについて色々教えてくれた。
葵井さん(※1)は、息子の○○さんが亡くなったことを、泉天さんに原因があると思いこんでいた。○○さんは、ここ『Cafe・プリマヴェーラ』を一人で開業するのに、心身をすり減らし、過労で亡くなったとを泉天さんからも聞いていた(※2)。泉天さんはそのことで自責の念に駆られていたから、葵井さんに反論しなかったのだろう。
※1 葵井はホタルの父方の祖母のことを差します。祖父は登場しないのでこうします。
※2 ここは、「第5話 そのカフェの女店主の秘密」で泉天が告白しています。
泉天さんは、カフェの準備が一段落したら、ホタルを迎えようとしていたようだったが、ホタルは葵井家で育てると、葵井さんは頑なに許さなかったという。ホタルの方も、迎えに来ると言っていたのに中々泉天さんが来なかった(ここには誤解もある)こともあり、泉天さんへの反発心があり、泉天さんと生活することを選ばず、自分の意思で葵井家にいることを選んだと、先日、ホタルから聞いたところだ。
そんなホタルが変わったのは、泉天さんの死がきっかけだった。そして、プリマヴェーラに、ゴールデンウイークにやって来て、父と母の想いに触れたことで、心境がガラリと変わったのだろう。しかし、葵井さんには、ホタルの想いというものが伝わらなかった。だから、ホタルは、今回家出するように出て来たのだ。
それから数日して、当の葵井さんがやって来た。
暑い夏だが、ここは高原であることもあり、スッキリと晴れ、過ごしやすい日だった。
お客様も大分引けた、午後3時頃に葵井さんは、突然やって来た。
還暦を少し過ぎたというが、ほっそりしていて、年齢よりもとても若く見えた。グレーの女性のスーツを上品に着こなし、やり手のキャリアウーマンのように見えた。投資や起業などのコンサルタントの仕事をしているという。仕事をしながら、孫のホタルを育ててきたという自負もあるのだと思う。
「ようこそお越しいただきました。○○です。どうぞ、中にお入りください」
僕は、カフェのドアを開け、中へ入るよう案内する。
「・・・・」
葵井さんは、僕を見るなり、少し驚いたような表情を見せていた。
「どうかしましたか?」
「ウフン、な、何でもありません・・・。ホタルの祖母の葵井です。今日は、時間を頂きましてありがとうございます」
咳払いをし、挨拶した後も、何度も僕の顔をチラ見している。
「あ、あなたが、息子の後の泉天さんのご主人なのね?」
先程から何か少し動揺しているようなのだが・・・。
「正式には、泉天さんと結婚していませんでしたが、僕はそのつもりでした。僕は、今も泉天さんを愛していますので」
「そう。でも、泉天さんも薄情なものね。息子が亡くなったからって、若い男に目を移すなんて」
葵井さんは、僕と視線を合わせないように横を向いて言った。
「反論するつもりはありませんが、泉天さんの心の中には、ずっとご主人の○○さんがいました。でなければ、このカフェを○○さんが亡くなったあと一人でやろうとなどしなかったでしょう。僕は、泉天さんを知るうちに、そんな泉天さんを支えたいと思うようになったんです」
「・・・」
葵井さんは、言葉に詰まり俯いた。
「葵井さんは、プリマヴェーラは初めてですか?」
気まずくなったので、話題を変える。
「ええ。興味が無かったですし、仕事も忙しかったものですから。そ、それよりもホタルに会わせてもらえますか?私は、わざわざ時間を作ってあの子を迎えにきたんです。こんな場所にいつまでも置いておけないの。あの子は、今大事な時期なのですから」
葵井さんは、一刻も早く用事を済ませたいようだ。腕時計を見て、時間を気にしている。
「はい、ホタルには、お会いいただきますが、・・・」
「孫を呼び捨てなんて失礼ですね」
「すいません。彼女がそう呼ぶように言うものですから」
「ホタルが?あのホタルがそんなことをあなたに?」
「はい、そうですが・・・」
「まあ、いいわ。早くホタルを連れて来てください」
「わかりました。その前に、コーヒーなどいかがですか?」
「そうね。喉も乾いたし、いただこうかしら」
「では、少々お待ちください」
僕は、葵井さんに是非、プリマヴェーラのコーヒー飲んでもらいたかったので、了承されて嬉しくなり、笑顔を葵井さんに向けた。
しかし、葵井さんは、ハッとしたように顔をそむけた。
僕は、いつもどおりだが、少し緊張しながらコーヒーを淹れた。
「どうぞ。こちらが、当プリマヴェーラ自慢のブレンドコーヒーです」
葵井さんは、香りをかぐと、ピクリと目元を動かした。
「この香りは・・・」
そして、ゆっくりと一口啜った。
「美味しい・・・」
葵井さんのその言葉は自然と発せられたように感じた。
葵井さんは俯いた。
少し間をおいてから言った。
「懐かしい。これは、とても懐かしい味です」
葵井さんが顔を上げると、その眼が少し潤んでいるように見えた。
「このコーヒーは?」
「泉天さんから教わった味です」
「泉天さんから?」
「はい。でも、中々この味が出せないことに悩んだ時もありました。僕は、このコーヒーに救われたんですよ」
僕が、初めてプリマヴェーラに来て、泉天さんと出会った時のことを手短に話した。このコーヒーは、僕が絶望して自殺しようとした時に泉天さんが出してくれたもの。その温かさに、僕は救われたことを話した。
葵井さんは、それを黙って聞いていた。
「このコーヒーは元々泉天さんのご主人の○○さんの味です。本当に美味しいコーヒーです」
僕も自分のコーヒーを啜る。
「・・・・」
葵井さんが俯き、その肩が少し揺れていた。
「ありがとう・・・」
僕は、思いがけない言葉を聞いて少し驚き、葵井さんを見た。
「本当に美味しい。心に染みたわ。久しぶりに息子に淹れてもらったようだった。すぐ傍に息子を感じたようで。○○さん、ありがとう」
葵井さんは、顔を上げると、目元が潤み、涙が頬を伝う。
「あら、やだ。私ったら」
葵井さんは、ハンカチで涙を拭う。
カランカラン!
カフェのドアが開くと、ホタルが駆け込んできた。
「おばあちゃん!」
その声に、葵井さんが振り返る。
「おばあちゃん、私をここにいさせて。お願い!」
葵井さんの近くまで来ると、ホタルは必死な表情で訴えた。
「ホタル・・・」
「どうしても私ここにいたい。パパとママが作ったこのカフェをもっと見ていたいの。お勉強だってここでするから」
葵井さんは、ホタルを抱き寄せた。
「ホタル、ごめんね」
「おばあちゃん?」
ホタルが驚いて、顔を上げる。
微かに、葵井さんの肩が震えているようだ。
ホタルは、眼を閉じて、葵井さんに身を委ねていた。
葵井さんは、暫くホタルを抱きしめた後、ホタルを放して静かに言った。
「私が、何もわかっていなかったようね。泉天さんのことも、このカフェのことも、あなたの気持ちも」
「おばあちゃん」
「このコーヒーを頂いて気づいたのよ。息子がやりたかったことがまだここにあるって。そして、ホタル、あなたはそれに気づいたのよね?」
「うん。ここには、パパとママがやりたかったことがあるの。だから、私もここにいて、もっと見たいの」
ホタルが頷いて、力強く言う。
葵井さんは、頷くと僕の方を向いて言った。
「○○さん、ありがとう」
「いいえ、僕なんか何も・・・」
僕は、恐縮して言う。
「いいえ、本当に美味しいコーヒーを頂きました。息子に言われているようだった。『母さん、これが俺のやりたかったことだよ』と。私が間違っていたわ」
葵井さんが頭を下げた。
「あの、頭をあげてください。気にしていませんので」
「それに、○○さん、泉天さんが、あなたを好きになった気持ちがわかりました。あなたは、息子に似ていますね」
「そんなことは・・」
僕は、言葉に困ってしまう。
葵井さんは、ニコリとしてホタルの方を向く。
「ホタル、もうあなたの好きにしなさい。まだ子供だと思っていたけど」
「おばあちゃん!」
ホタルは、嬉しそうに僕の方を見た。
僕は頷く。
「ただし、お勉強はしないとダメよ」
「わ、わかっているわ」
ホタルのテンションが急に下がった。
さっき、勉強すると言ったと思うのだが。
「ご安心ください。ホタルの勉強は、僕が看ますので」
余計なことを、と言う様に、ホタルが僕を小突いた。
「痛て」
「うふふふ、では、ホタルを頼みますね」
そう言うと、葵井さんは、席を立った。
「では、失礼するわ」
「おばあちゃん、もう帰っちゃうの?泊ればいいのに」
「私も忙しいのよ。あなたのために、ここまで来たけれどね」
僕とホタルは、県道に面した駐車場まで葵井さんを見送る。
葵井さんは、サングラスをかけると、シルバーのAクラスセダンのべ〇ツの運転席に乗る。
「では、○○さん、ホタルを頼みます。それと・・・」
最期の方は、手招きされたので、僕が耳を近づけると、小声で言った。
「そ、そんなことは思ってもいませんので、ご、ご安心を」
「あら、そうなの。残念ね」
葵井さんは、微笑を浮かべる。
この人は、意地悪な人だと思った。
ホタルが、キョトンとして見ていた。
「ホタル、ちゃんと勉強するのよ。○○さんを困らせちゃダメよ。じゃあね」
「うん」
べ〇ツが、低いエンジン音を響かせ、県道へと滑り出して行くと、見えなくなるまで、僕等はそれを見送った。
「元気なおばあちゃんだね。さあ、戻ろうか?」
「うん」
2人でカフェへの林道を歩いていると、ホタルが言った。
「ねえ、おばあちゃん、さっき何て言っていたの?」
「え。ああ・・・。そうそう、ホタルをよろしく頼むって」
僕は、頬を搔きながら、誤魔化すように見え見えの嘘を言う。
「うそ!」
「うそじゃないよ」
「うそだ!」
「うそじゃない!」
僕は、ホタルから逃げるようにカフェの方に走りだした。
「こらー、教えろー!」
ホタルは、僕を後ろから追いかけて来る。
「教えろーーーーーーっ!」
「うわーーーーーーーっ!」
深緑の森の中に奇声が響いた。
(つづく)




