第26話 暗雲の中の喜び
僕は、念願だったアメリカでのプロジェクトに参加するため米国サンフランシスコにある本社にいた。ここでの仕事は1年~2年の予定だ。
ここで僕は、映像とリンクした会話と感情表現が自然とできるAIの開発を行っていた。大きな大学のキャンパスのように広い施設の最高の環境下で僕は、この研究開発に没頭した。先週よりも今日、今日よりも明日。ここではAIの進化を目に見えるように着実に感じていた。
泉天さんとは、通信アプリで、ほぼ毎日やり取りをしていた。
時差の関係もあり、やり取りは、こちらが昼時の時間が多かった。泉天さんから、昨日は、カフェでこんなことがあったなどと、おかしく、時には少しプンスカしながら話してくれるのが、仕事に忙殺されている僕のアメリカでの日々に、心地よい安らぎを与えてくれた。
僕にとって泉天さんとのこの時間が、何よりも大切な憩いの一時となっていた。
また、泉天さんに今すぐに会いたいという想いが募ることも度々あった。
そして、アメリカに来てから2月程経過した時に、何よりも嬉しいビッグニュースが泉天さんから届いた。
泉天さんが妊娠したという報せだ。
僕の子供だ!
僕は父親になるのだ!
僕は、歓喜した。
しかし、その喜びと同時に泉天さんの身体のことが心配になった。
何で僕は、こんな大事な時に泉天さんの傍にいないのだろう。
僕は、泉天さんに申し訳なかった。
『○○君。私はうれしいのよ。久しぶりに○○君の心から笑った顔が見られて。最近は、仕事が大変だったでしょ?疲れていて、笑顔もあまり見られなかったから。でも、このお腹の子のおかげですねえ。ウフフフ。○○君、あまり無理し過ぎないでくださいねえ』
「ああ・・・」
最近、僕は疲労で暗い顔ばかりしていたのか?
仕事で困難を抱えていたのが、顔にも出ていたのだろう。
僕は、ダメな男だ。泉天さんに心配かけてしまって・・・。
僕は、今までの自分を反省し、奮い立った。
「泉天さんこそ、大事な身体になったんですから無理しないでくださいよ。僕は、平気ですよ。ホラ、ホラ、疲れなんて吹っ飛びました!」
僕は思いきり、元気に手足を動かしてみせる。
『なら、私だって』
泉天さんも同じように動いて見せる。
「泉天さんは、いいんですよ!ダメですよ、無理しちゃ!」
『うふふふ』
「あははは」
嬉しい知らせと泉天さんとの他愛の無い会話で僕は、久しぶりに笑うことができた。
僕は、泉天さんの妊娠を知り、俄然やる気が出て来た。
父親になるのだから、弱音など吐いていられないのだ。
その効果か、仕事上の困難な局面も何とか突破し、順風とまでは行かないまでも僕の参加するプロジェクトは進んでいった。
お店の常連さんも泉天さんの妊娠を知り喜んでくれたと言う。
「○○君の子供か。クソッ、あいつめ、羨ましいぜ」
とお店の常連客はぼやいたと言う。
泉天さんは、体調を見ながらカフェの仕事を続けていた。
関さんや近藤さんなどの助けもあったようだ。
「泉天ちゃん、無理すんなよ。大切な身体なんだからさ」
と、泉天さんが重そうな物など持ち運ぼうとしたり、テーブル席への料理の配膳などをしようとすると、積極的に手伝ってくれたようだ。
泉天さんの出産が近づいて行くなか、不安なニュースが聞こえ始めた。
命に危険のある感染症がある国で流行し、感染力が高く死者も多く出て来ているというものだ。
この時は、僕は日本にまで広がらなければ良いと多少不安を感じていた程度だった。
【ここだけ、3人称】
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泉天のお腹も目立ち始めた頃、彼女は出産のため、東京の実家に帰ることになった。
それは、ある初夏の日だ。
その日は、気持ちが良いほど晴れていた。
常連客の関が、車で最寄りの『緑ノ里駅』まで泉天を送る。勿論例のイタ車レ〇サス※だったが、このことは置いておこう。
(※)お忘れの方は、第11話「そのカフェの女店主を守れ」をご覧ください。
緑ノ里駅のホームに着くと、他に電車を待っている人影はなかった。
「ありがとう、関ちゃん。駅まで送ってくれて」
泉天と関が向かい合う。
「なーに、泉天ちゃんの為だ。遠慮はいらねえからよ」
「うん、ありがとうね」
泉天は、そう言うと、軽く関をハグした。
「お、おう」
関は、柄にもなく、照れている。
「次いでに頼めるかしら?」
「おう、何でも言ってくれ」
「時々カフェを見に行って欲しいの。人が入らないと荒れるから」
「いいぜ。掃除でもしておくさ」
「ありがとう」
泉天は、関に予備の鍵を渡した。
「関ちゃんには本当にいつも助けられてるね。私も、○○君も・・」
泉天は、クスっと笑う。
「○○君も出産の時には戻ってくるんだろう?」
「そう言ってくれているけど、世界がこんな風になってるからね。わからないかな」
泉天は、遠く空を見上げた。
「そうだよな。東京では、感染者も出ているようだからな。泉天ちゃんも気を付けるんだぜ」
「そうだね」
「元気な子を産んで○○君を喜ばせてやれよ」
「うん」
「必ず帰って来いよ。ここは泉天ちゃんの場所なんだからな」
「うん。必ず戻って来る。また、ここでカフェをやりたいから・・」
そう言う泉天の横顔は、関にはどこか遠くを見つめて問いかけているように見えた。
関は、電車の窓辺から手を振る泉天に手を振った。
そして、電車が見えなくなるまで見送っていた。
「帰って来いよ。待っているぜ」
関は、一人残されたホームでボソリと呟いた。
【〇〇視点に戻る】
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危険な感染症があっという間に世界的に流行し、パンデミックと言えるまでに拡大していた。
そんな中、泉天さんの出産は近づいていた。
アメリカでは、感染症が急ピッチで蔓延していた。仕事は、フルリモートになっていたが、僕は、外出時は感染しないようにマスクをするなど対策を徹底した。
日本に帰国する前に感染などできない。泉天さんうつしたら大変だ。
日本でも感染症の拡大が進んでいると報じられると、僕の不安は増した。
泉天さんのことがどうしても気になり、連絡を増やし、安心しようとした。
タブレットの画面の向こうの泉天さんは、「大丈夫だから安心して」と、いつも笑顔で言っていた。
泉天さんの出産が近づいて来ていたある日。
「僕ももうすぐ帰国しますから」
『ええ。それと・・・』
泉天さんが少し恥ずかしそうに切り出した。
『生まれて来る子供の名前だけど、決めたんですよう』
「ええ?僕も色々考えているんですけど、まとまらなくて・・・。聴かせてください」
『すみかなんてどうかしら?』
「へー、どういう漢字ですか?」
『純粋の『純』に華やかの『華』ですねえ』
「純華ですか。うん、良い名前だ。純華にしましょう!」
「良かった。○○君にも賛成してもらえて。ウフフフ」
「泉天さん、名前のように純粋で元気な子を産んでください」
「はい、頑張りますよ~。うふふふ」
この日は、生まれて来る子供のことで盛り上がり、僕の心の重みは少し軽くなった気がした。
しかし、遅かった。
事態は想定以上に早く動いていた。
泉天さんの出産に立ち会うために帰国しようとしたが、出来なくなってしまった。
パンデミックが全世界に広がり、国家間の人の往来が急にストップしたのだ。
「そんな、こんなことになるなんて・・・」
誰も想像していなかった事態に、僕はニュースを確認しながら途方にくれた。
泉天さんの出産に立ち会えないなんて・・・。
陣痛も始まり、出産が近くなったある日。
僕は、泉天さんに謝った。
『仕方ないでしょう。○○君が感染しても困ってしまうし』
泉天さんは、こんな時でも僕を気遣ってくれる。
「でも、僕は、出産の時泉天さんの傍にいたいし、子供にも一番に会いたかったんです」
『ありがとう、○○君。私、○○君からいっぱい力を貰っているから、大丈夫ですよう』
「泉天さん・・」
僕の表情は晴れない。
『○○君、そんな顔しないで、私に元気を頂戴。さあ、笑って。○○君の笑顔で私は頑張れるから』
僕は、無理に笑顔を作った。
『もっと!』
「アハハ、ハハハハハ!」
そして、もっと派手に笑顔を見せた。
でも、頬から涙が伝う。
『うふふふふ、もう変な顔ですねえ・・・。でも、元気を貰えましたあ』
泉天さんはクスっと笑う。
その笑顔は逆に僕を元気づけようとしたものだった。
僕には泉天さんも少し無理をしているように見えたから。
『私、元気な子供を産みますからあ、待っていてくださいねえ。お父さん』
「はい、お願いします。お母さん」
『では、行ってきま~す』
泉天さんが敬礼ポーズを取り、タブレットの通話が切れた。
泉天さんは、その後すぐに出産のため、入院した。
そして、待つことしかできず、泉天さんの無事の出産を祈りつつ、数日間やきもきして過ごした。
泉天さんが入院してから3日後。
泉天さんから、メッセージと赤ん坊の画像が送られてきた。
『あなたの子、純華です』
とメッセージが添えられていた。
僕は、画像の『純華』を見て叫びたい位に大喜びした。
そして、泉天さんに、感謝と泉天さんの体調を気遣う内容のメッセージを送った。
泉天さんからは、
『大丈夫です』
とだけ送られてきた。
何か素っ気ない気はしたけど・・・。
僕は、とうとう父親になれたのだ。泉天さんと僕の子供の。『純華』の!
こんなに嬉しいことはない!
僕の頬を、感涙が伝う。
この時の僕は、まだ喜びで一杯だった。
(おわり)




