第24話 そのカフェの女店主の不安
【泉天視点】
『泉天さん、ごめんなさい。僕、やっぱり職場に戻ることにしました』
○○君が涼し気な視線でそう告げる。
『え?』
『僕、やりたいことがあるんだ。それじゃ』
『待って!○○君、待って!』
冷めた表情で去っていく○○君。
私は、走って彼の背中を追いかける。
でも、○○君はドンドン遠ざかっていく・・・。
『○○君、○○君!』
いくら呼び掛けても、彼は振り向いてもくれない。
「待って!私を一人にしないで、○○君!」
私は、ガバっとベッドの上で起き上がった。
朝の陽ざしが、眩しかった。
「はあはあ、はあはあ、はあはあ、・・・」
「夢・・・?」
よかったと思う反面、○○君が去っていく様が、急にフラッシュバックして思い出される。
頬に手を当てると、涙が頬を伝っているのに気づいた。
昂った感情が落ち着いてくると私は、ハッとして気づく。
「○○君、どこ?」
私は、呼びかけるが返事はない。
○○君がいない!
ベッドの隣で一緒に寝ていたはずなのに・・・。
私は、急に不安になった。
○○君がいなくなる?
亡くなった夫のようにどこかに行ってしまうのでは、と。
亡き夫は、奔放な人で一人で気が向けばどこにでも行ってしまう人だった。
私は、それを止めなかった。
当時は、自分の仕事が忙しくて、それどころでは無かったし、彼を強制したくなかったから。
でも、本心では夫に傍にいて欲しかった。
一人でいる時に、ふと涙を流すこともあった。
その感情を思い出したのは、夫が無くなり、孤独になった時だった。
もう彼はいない。帰って来ない。
愛する人を失う。
こんな寂しい気持ちには、もうなりたくないと思った。
そして、プリマヴェーラを一人で再開してから、忙しく働いているうちにそうした感情は薄らいでいった。
むしろ夫の夢の実現を目指すうちに、夫を近くに感じることができたことが、嬉しかった。
しかし、暫くするとお客様などから交際の申し込みを受けるようになり、戸惑った。
私は、もう結婚はしないと決めていたから。
また同じようなことが起き、あの寂しく、孤独にされる気持ちを味わうのが嫌だったから。
でも、私は、○○君と出会い、いつの間にか彼に惹かれるようになっていた。
しかし、彼とつきあうということは想像できなかった。
また、愛する人がいなくなる、という恐怖心がいつも頭をよぎったから。
それでも、○○君は、この頑なな私の心を開いて来た。
だから!
「○○君、嫌よ」
私は、急いで、パジャマから着替えもせず部屋を出た。
ダイニングのテーブルには、朝食が用意されていた。
でも、○○君の姿はそこにはない。
今日は、日曜日。
カフェはお休みの日。
○○君、どこに?
○○君、顔を見せてよ!
私は、彼への感情を抑えられなかった。
私は、慌てて、勝手口のサンダルを履き、外に出た。
ザーッと言う滝の音が一気に耳に届く。
そして、滝壺の傍に○○君の姿を見つけた。
○○君は、真剣な表情で、滝の底を見ていた。
そして、彼が前に一歩踏み出そうとする・・・。
「ダメよ、○○君!」
「え?」
○○君が、振り返った。
私は、慌てて駆け寄り、○○君に抱きついて止めた。
「泉天さん?」
「死んではダメよ。私を置いて行かないで!」
「え?」
「また、滝に飛び込もうとなんていしないで」
「ええ?」
○○君は、キョトンとしている。
「私を一人にしないで!」
「泉天さん、落ち着いてください。僕は、死んだりしませんよ」
「本当に?」
「はい」
○○君が、私の頬を伝う涙を優しく指で拭ってくれる。
私の眼から涙が溢れていたようだ。
私は、どうやら早とちりをしていたと、気づいた。
○○は、笑っていたが、私は急に気恥ずかしくなり、見る見る耳まで赤くなる。
「私ったら、バカみたい」
すると、○○君は、私を正面から抱き寄せてくれた。
「悪い夢でも見ましたか?僕は、泉天さんを一人にしたりしませんから、安心してください」
○○君の腕の中はとても温かく、ホッとして自然と涙が漏れた。
「うん」
心が安らぐまで、暫くそうしていた。
「あ!僕、朝ごはんの準備しましたから、一緒に食べましょう」
「うん」
「泉天さんに僕の手料理食べてもらいたくて頑張りました」
「うん」
「プリマヴェーラの味ではないけど、自信はあります」
「うん」
私は、○○君の腕に寄り添い、私と○○君は家の中に入った。
彼の温もりを感じて・・・。
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それから、1週間ほど経過したある日。
【○○視点】
そろそろ会社の休職期間が切れる。
僕は、泉天さんを支えていくことを決め、一緒にカフェ『プリマヴェーラ』やっていく。
そう決心した今、これ以上、休職を続ける理由はない。
退職しよう。
当然の結論だ。
正直、今の会社で自分の能力をまだ試したいこともあったので、心残りが無いわけではない。
でも、今の僕には、泉天さんが一番大切だから。
迷いはない。
そして、僕は、退職して、プリマヴェーラを本格的に手伝っていくことを泉天さんに告げた。
しかし、泉天さんの反応は意外なものだった。
「○○君、プリマヴェーラを手伝ってくれるのは、とても嬉しいわ。でも、○○君は、今の会社でまだやりたいことがあるんじゃない?」
「え?」
「私は、○○君がしたいことをして欲しいの。心残りが無いように」
「何でそう思うんですか?」
「○○君、パソコンで何かを作っている時、とても真剣で生き生きとしているもの」
「そうですか?」
自分では、意識したことも無かった。
「うん、カフェは、焦らなくてもいつでもできるから。私が待てばいい話なんだから、やりたいことをやってね」
「泉天さん・・」
確かに、僕は、今の会社でやりたいことはあった。でも、それももう終わっている。
望みの無いことに期待するのは止めた。
望んでいたことはあっても、通るはずもない。だから、もう良いのだ。
今が、辞め時だ。
「大丈夫です。今の会社でやり残したことはありませんから」
僕は、首を横に振り、固い決心を告げた。
「そう。○○君が、そう言うなら」
泉天さんは、嬉しそうに微笑んだ。
僕は、この話の後、すぐに退職願いを出そうと、自分の部屋でPCを開いた。
「あれ、また何か届いている。作業かな。これだけやって、退職願を出すか」
僕は、そのメッセージを開いた。
「ええ、まさか!」
それは、上司からのメッセージだった。
内容は、米国本社でのプロジェクトに僕を推薦したとの内容だ。
「でも、これってチーフが行くはずだったはずなんじゃ」
メッセージには、自分よりも僕の方が相応しいと思ったから推薦した。俺の分まで頑張って来てくれと書かれており、近々辞令もあるから、体調を整え、準備しておくようにとのことだった。
諦めていた望んでいたことが、突然降って来た。
僕の固い決心が、突然揺らぎだした。
どうしよう?




