第2-1話:怪勇、拳交
夢の中に現れると噂されていた化け物が現実にまで現れてしまった。
しかし、人々の記憶から忘れ去られながらも夢世界で彼らを救ってきたヒーローも現れたのだ!
「……レーヴフォール。現の世界に参上したわ」
化け物の立っている場所に向かって、真っ直ぐに腕を伸ばし指し示すレーヴフォール。
意識されてのものなのか、低く出された声はフルフェイスによる音の反響で、ヒーロー然とした凛々しいものとなっている。
「これ以上、好きなようにはやらせないわ……ッ! フッ!」
短く息を吐いた刹那、彼女は先程指した位置に立っていた。
心臓のような体に縦筋のように入った線が瞼のように開き、彼女を捉えようとしたが、その瞳は更に大きく開かれる。
男性の腹部を貫いていた化け物の腕がその身体から切断されたのだ。
「ば、化け物の後ろに……一瞬でッ!」
夢で視たのと同じだと感嘆の声を漏らしながら、瞬きも忘れただひたすらに彼女を見つめる朝陽。
「この人は……まだ間に合うかしら?」
いつの間にやら気絶していた男性がバランスを失いその場に倒れる。
「これは抜かない方が良さそうね……」
レーヴフォールがゆっくりと近づき、男性の腹部を貫いたままの化け物の腕を一瞥すると、再び化け物の方を向く。
「有久さん! その人のことは僕に任せてッ!」
朝陽の言葉を受けて頷くと、彼女は目前に向かって駆け出し、その勢いを殺さぬまま全ての体重を標的へとぶつける。
「脈は……あるみたいだ。えっと、とりあえず安静な体勢で寝かせないと!」
一方、朝陽は朝陽で自身の未熟な知識と闘っていた。
「いや、安静な体勢って……どうすればッ!?」
話には聞くものの実際にこのような負傷者に対する行動について大雑把にしか知らなかったのだ。
このような事態に巻き込まれるのならば事前に知識を身につけておけばよかったという後悔と、この場に救急車等は呼ばれているのだろうかという状況が不明瞭であるが故の疑問から生じるパニックに陥りそうになるが、深呼吸をして息を整える。
「僕が焦っちゃ駄目だ……! 任せてって、言ったんだから……ッ!」
長く息を吸って、同じ分だけ吐く。長く息を吸って、また吐く。
次第に冷えていく脳内の記憶を必死に辿る。
「完璧じゃなくてもいいから、やってはいけないことだけは絶対にやらないように心がけるんだ……ッ!」
「安心したわ。夢世界と同じように私は闘えているッ!」
体当たりに怯む化け物のもう片方の腕を掴み、更にパンチを打ち込む。
その打撃音はやはり軽いが、その威力は化け物の全身へと浸透しているようで、足掻くように腕や足を激しく振ろうとする。
「無駄よ。大人しく倒れなさいッ!」
レーヴフォールはそれを力で押さえつけるのではなく、一旦腕を離し、舞うように後方へと宙返りする。
そして、脚を化け物に向かって真っ直ぐ伸ばし、踏み潰すように落下!
赤く輝くブーツの底面が接触した瞬間、何かが破裂するような音と鈍く沈み込む打撃音が辺りに響く。
「はああああああアアァァァァッ!」
彼女は叫びながら足元へと更に力を籠める。
更に前方へと進むように。更に地面へと近づくように。
「ハアアァッ!!」
一際大きく叫びながら押し込むと、その力に耐えきれない化け物は後方へと転倒する。
そして、地面へとその全身が触れた瞬間、ソレは光の粒子となって天へと舞い上っていく。
「カッコイイ演出はないけれど、物言わぬ化け物にはコレくらいが丁度いいわ」
粒子を見ながら、小さく呟き、振り返る。
「むしろ、定番の必殺キックをくらえただけありがたく思ってほしいところよ」
やけに格好を付けながら指を立て、レーヴフォールはそう言った。
おそらく、朝陽に対してのアピールのつもりであったのだろうが、当の本人はやっとの思いで負傷者を安静に寝かせたところであったので、それには気づかない。
「……ジョウコウチ君、その人は死んでない?」
大袈裟に肩を竦めながら彼へと近づき、尋ねる。
「うん、何とか……有久さんは大丈夫? 怪我とかしてない?」
「ええ、現実に現れようが、雑魚は雑魚よ」
得意げに胸を張りながら答える海産。
マスクがなければ彼女の渾身のドヤ顔が炸裂していたところだろう。
「ん、そっか。よかった……あ、そうだ! 救急車を呼ぼうとしたけど何故か圏外だったから後で呼ばないと!」
「ん……もしかすると、化け物やら何やらの影響かもしれないわね。私も、夢世界でしかなることができないはずのこの姿になっているし」
「ああ、そうだ! 本当にビックリしたよっ! まさか有久さん――後ろッ!」
「ッ!!」
声を弾ませ、笑いながら顔を上げた朝陽の表情が一変する。
指差しながら、鬼気迫った表情で発せられた叫びが功を奏し、彼女は咄嗟の判断で障害物の無い方向へと跳躍する。
「さっきの化け物よりも……強そうな化け物ッ!?」
「助かったわ、ジョウコウチ君! それにしても、やってくれるじゃない……ッ! 化け物というよりも怪人って言葉が似合いそうな姿をしているわね……!」
振り返り、朝陽の前に立ち直すレーヴフォール。
対峙するソレは、先程までの化け物とは違い、明確に人の形をとっていた。
しかし、見た目全てが人間というわけではなく、その顔は爛れ落ちた鳥類のソレのような造形で、肌の色も紫色、その表面も岩石のようにざらついていた。
「もしかして、有久さんも初めて見るの……!?」
「ええ、弱い弱いとは思っていたけれど、まさか、こんなヤツがいるとはね……! けれど、心配しないで。貴方は私が護るからッ!」
不安を隠せない彼の言葉に反応するように彼女は叫び、胸前に拳を構える。
「アアアアアアアアアアアアアアァァァッ!」
大きな嘴のようなモノを開き、叫ぶように怪人が三人の方向へと駆け出す。
「ッ!? ハァッ!」
叫びのような音を発する相手に驚くような素振りを見せるも、パンチを繰り出す。
「アアアアアアアアッ! マアアアアアアイィィッ!」
「ッ!?」
言葉のような音を発しながらソレを片腕で受け止める怪人。
そして、その拳を両腕で固く掴み、前方へ、二人がいる方向へと投げ飛ばす。
「有久さんッ!」
自身の方へと飛んでくる彼女を朝陽が受け止めようとする。
「……ッ! 大丈夫よッ! お願いだから貴方は無理しないでッ!」
しかし、レーヴフォールは寸前で片脚を地面に付け、ダンスのようにその場で回り、着地する。
「でも、僕も何か――ッ!」
手伝いたい。そう続くはずの言葉は出なかった。
今の自分では助力になるようなことは何もないと自覚していたからだ。
「貴方が其処で声をかけてくれるだけでもありがたいから……!」
振り返り、小さく、しかし、力強く、彼女はそう言った。
「…………わかった。頑張って」
「……ええ」
頬の内側を噛み締めながら俯く朝陽の頭を軽く撫でた後、今度は自分から攻撃を仕掛ける。
「ハァァァッ!」
先程の化け物にしたように、体当たりをするように駆け出す。
「アアアァァァァァッ!」
それに応えるように両腕を広げる怪人。
「フッ!」
しかし、レーヴフォールは相手にぶつかる前に片脚を踏み込み、それを軸にして回るように屈みながらキックを繰り出した!
「アアアアアアアアアァァァァァッ!?」
驚くような声を上げながら後方へと吹っ飛び、地面に伏せる怪人と、それを見下すように見つめるヒーロー。
「ふふん、今度は其方が甘かったわね?」
「アアアアアアアアアアアァァァァッ!」
彼女の言葉に激高するように立ち上がり、再び駆け出す――が。
「アアアアアアアアァァァッ!? アアアアアッ!? アアアアァァッッ!!」
突然立ち止まり、頭を抱えながらその場を回りだす。
「……?」
構えていたレーヴフォールと朝陽が不思議そうに見つめていると、怪人の姿が忽然と消えた。
「……!?」
「消え、た? ……あれ?」
呆然とした様子で朝陽が呟くようにそう言った後、何かに気づいたようにまた口を開く。
「ええ、救急車のサイレンが聞こえるわね」
海産が彼の方を見て頷く。その声はマスク越しのくぐもったものではなく、透き通っていた。
そう、サイレンの音が次第に近づいてきている。
その音は気づくには遅すぎるほどに近づいていたが、朝陽がある推論を立てる。
「さっきの化け物とか怪人が消えたから聞こえるようになったのかな……? そして、あの怪人にはこの音が聞こえていて、耐えられないから退散した、みたいな」
「……ええ、その可能性はあるわね。私の変身も解除されているから、さっきまでは周囲に特殊な空間が広がっていたのかもしれない」
「……その空間はそこまで広くはなくて、逃げた人たちの内の誰かが救急車を呼んだ、っていうなら圏外の件も説明できそうだね」
眉を顰め、人差し指を顎に当てながら推論を続ける。
「ええ、検証する手段もないし、しばらくはこの説が有力でしょう……まあ、まずはお互いの生存と人々の危機からの脱却を喜びましょう」
疲れたように息を吐いた後、温かな笑みを浮かべながら朝陽に手を差し伸べる海産。
「……うん」
同じように微笑みながらその手を握る彼の心中は複雑なものであったが、それでも今は全員が生きていることを素直に喜んだ。