第1-5話:忘れてなんかいない
「ねえねえ、海産ちゃん!」
朝のホームルームが終わるや否や、すぐに主が海産の席へと駆け寄る。
「えっと、貴女はたしか、最初に質問してくれた……」
「アタシは沐瑠璃 主! 朝陽の幼馴染だよっ!」
「……? ああ、そうなのね。よろしくね、モクルリさん」
「うん! よろしくっ!」
ニコニコと笑いながら手を差し出す主と、多少の間はあれどそれに応えて差し出された手を握る海産。
実を言うと、朝陽は『彼女がこのクラスに馴染めないのではないか』という不安を完全には拭いきれないでいた。
しかし、この光景を見てようやく安心できたのだった。
「えっとさ、よろしくついでに聞きたいんだけど、さっきの『夢魔と人間のハーフ』って本気で言ってた?」
だが、握手を終えた主はいつものような明るく軽い口調で、しかし、その内容だけを見るとチクチクと棘のある言葉を投げかける。
「ええ、私は夢魔と人間のハーフだから」
「ああー、えっとー……ソレ、やめた方がいいんじゃないかなーって……」
「やめるも何も、私は夢魔と人間のハーフなのよ?」
堂々とした返しに肩を竦ませ、彼女は困ったように言う。
二人の会話をただただ聞いていた朝陽であったが、幼馴染が他人の発する言葉の内容に注意をすることに物珍しさを覚えていた。
「まあ、たしかに、良い意味でも悪い意味でもインパクトは凄かったからね……」
「別に悪い意味で捉えられようと私は構わないわ。心配しても無駄になるだけよ。気にしないで」
「……うーん、まあ、海産ちゃんがそれでいいならいいけどー」
不服であるという感情が声色にも表れているが、それでも納得したという旨の言葉を発する。
「ええ、私はそれでいい」
そしてその言葉に満足したように彼女は何度か深く頷く。
二人の間には隠し切れない不穏感が漂っているが、今すぐに爆発するかというとそうでもないという絶妙な加減である。
「ん、余計なお世話だったみたいだね……あ、ちょっとおトイレに行ってくるね!」
「ああ、いってらっしゃい」
トイレへと向かう主の背中を見送り、朝陽は再び海産の方を見る。
「そういえば有久さん、自己紹介で言ってた『世界平和を目指している』っていうのは?」
夢魔と人間のハーフ問題について掘り下げるのは得策ではないと判断した彼はこちらを掘り下げることにした。
「あれも本気よ。人々の笑顔溢れる平和な世界って素敵じゃない」
またしても大真面目な顔で彼女は言う。
「ええ、うん、たしかに素敵ですけど……ヒーローみたいなことを言いますね」
「……ヒーローだけが抱いてどうにかなる望みではないのだけれどね」
深くため息を吐く海産を見ながら、朝陽は意を決したように口を開く。
「……あの、有久さん、ヒーロー繋がりで聞きたいことがあるんですけど、『レーヴフォール』さんってヒーロー、知っています?」
一ヶ月前、彼は夢の中で化け物に襲われ、ヒーローに助けられた。
あの時叫ぶように発した言葉の通り、そのことをしっかりと覚えていたのだ。
「…………『夢の中に現れる化け物』と関係のある話でしょう?」
しばらく朝陽の顔を見つめたまま黙っていた海産だったが、再び短く息を吐いた後にそう言った。
「っ! よかった……!」
「よかったって……どうして?」
心底安心したように自分の胸を撫でおろす彼の様子に疑問を抱き、首を傾げる海産。
「その人、自分のことを誰も覚えていないって、忘れてしまうって、苦しそうだったから……僕の他にも覚えている人がいたらいいなって思っていたんです」
「なるほどね……あのね、ジョウコウチ君、彼女はヒーローなんて大層なモノじゃないわ」
「え……?」
口元を手で隠し小さく笑いながら、からかうように海産が話すが、朝陽はただただ困惑の声をあげることしかできない。
「ヒーローに憧れているだけで本物にはなれない。それが、レーヴフォールよ」
「有久さんは彼女について詳しいことを知っているんですか……?」
「まあ、一応はね……だけど、私から貴方に伝えることは無いわ」
「え、そんな……」
あのときのヒーローについて詳しい話を聞けるとばかり思っていた彼は落胆の声をあげ、肩を落とす。
夢の中で助けられて以来一度も忘れることはなく、しかし、あの儚い存在を無暗に広めるわけにもいかなかった日々を過ごしてきた。
そしてようやく情報を得られる筈だったのだ。この反応も無理はないだろう。
「知りたいのならまたレーヴフォールに会って聞けばいいじゃない。貴方の体質なら他人の視る化け物の夢に入ってしまう可能性もゼロじゃないでしょう? また化け物に襲われて、倒してもらって……そのときに自分が覚えていることを言ってくれれば、彼女は嬉しくて色々と話してくれるはずよ」
「……有久さんもそうしたんですか?」
彼女は他者の夢の中を自由に出入りできると言っていた。それならば能動的にそうすることも可能だろう。
「いいえ、私はただ彼女について知っているだけよ。だから、そうやって言ってくれた人は今まで一人も存在しないの」
「そんな……!」
残念な気持ちと『どうして覚えていると彼女に言わないのか』という憤りが混ざった言葉が朝陽の口から発せられるが、それ以上続くことはなかった。
もしかしたら彼女にも何かしらの事情があるのかもしれないし、此処で言っても仕方のないことだからだ。
「んー? 朝陽たち、どうしたのー?」
二人の間に訪れたしばしの沈黙の時間をヒョッコリと顔を出した主が打ち破る。
「ん、それは……」
朝陽はちらりと海産の顔を見る。
何を言えばいいのか判断しかねたためである。
「夢の話をしていたのよ。ジョウコウチ君の体質について考えているときに貴女が帰ってきたというわけ」
「ああ、なるほどー! 朝陽の力になってくれてありがとうねっ!」
ニコッと笑う主を見て若干の罪悪感が湧いた朝陽であったが、海産に合わせてそのまま話を進めることにした。
「そもそもどうして僕が他人の夢の中に入ってしまうかっていう話になって、二人で考えていたんだよ。まあ、答えは出なかったんだけどさ」
「……ん、そのことなんだけど、何となく予測がついたわよ」
「……え?」
誤魔化しながら会話を終わらせるつもりであったが、予想外にも会話が繋がる。
「基本的に貴方を夢の中で観測しようと思ったら『ジョウコウチ君と親しい誰かの夢』を探さなければいけないのだけど、一度だけ『ジョウコウチ君の夢』に入ることができたのよ」
「僕の……夢?」
「……え。朝陽の、夢に?」
そもそも、朝陽は自分が『他人と同じ夢を視、共有することができる』体質だと思っていたのだ。そしてそれを『夢の中に入る』と形式的に言っていた。
彼女の体質を『思い通りの夢に出入りすることができる』と言ったのも、『様々な人の視る夢と同じ夢を自由に視ることができる』からと思っていたためである。
だが、彼女の口ぶりからすると、一人一人に『夢世界』のようなものが割り当てられていて、朝陽は自身の『夢世界』には居らず他人の『夢世界』に実際に入っているように聞こえる。
「あら……どうやら認識の食い違いがあったみたいね? 人は眠りに落ちると『夢世界』に行って肉体の目覚めを待つものなのよ?」
「へぇ! 海産ちゃんって物知りだねっ!」
嘘か真かわからない、いや、常識的に考えるとかなり疑わしい言葉であったが、主は感心したようにコクコクと頷く。
「それで、一度だけ覗くことができた僕の夢っていうのは……?」
朝陽も一先ずはこの理論を信じることにし、真剣な表情で海産に尋ねる。
「とっても、狭くて小さな夢だったのよ」
彼女がそう言った次の瞬間、一時間目の開始のチャイムが鳴る。
「狭くて小さな……その話、後で詳しく聞かせてくれませんか?」
「あ、アタシも聞きたいから二人でコッソリ話すのはナシだからねっ!」
言いながら席へと戻っていく主を海産は微笑みながら小さく手を振る。
「ええ、わかったわ。また集まったら続きを話しましょう」
「……ん?」
同じように主に手を振った後に前を向いた朝陽であったが、背中に微かな感触を感じた。
「レーヴフォールの話はしばらく二人だけの秘密にしておきましょう」
微かな声で、しかしどこか悪戯な口調で言われたその言葉に、彼は振り返らずに一度だけ大きく頷いた。