第3-1話:犬は笑う
「……と、まあ、昨日と同じようなものを見てしまったので通報したんです」
朝陽は二人の刑事に事情を説明した。
……と、いっても、戦闘で破壊された壁や道は綺麗に元通りになっているため、『また化け物を発見した』程度の話しかできなかったのだが。
刑事はどちらもスーツを着ており、一人は若手、そしてもう一人は古株といった印象である。
古株の刑事が何か言いたげな視線をジッと向けているが、それを抑えるように若手の刑事が相槌を打ちながら聞いている。
「なるほど、昨日も集団パニックに……大丈夫? 悩みがあるのなら相談に乗るよ?」
「……」
若い刑事が心配そうに二人を見る。
……が、海産は彼の気持ちを受け取るつもりが全く無いようで、不服そうに睨み返す。
「有久さん、堪えて……」
「……わかってるわよ」
小声で会話を交わす朝陽と海産。
もちろん、彼だって納得などしていない。
突如現れた怪人を倒したのはレーヴフォールである彼女であり、遅れてやって来た警察ではないのだから。
「まあ、最近はこういう通報も増えているからね……みんなが精神的に参っているのかもしれない。だから、ほら、君たちだって恥ずかしがることはないんだよ? 希望すればカウンセリングも……」
「……お気遣い、ありがとうございます。ですが、僕は大丈夫なので」
「私も結構です」
それでも、現状は受け入れなければならない。
化け物の存在を証明することができない状態で、『存在するはずもない化け物に怯える精神不安定な青少年』という扱いに抗議したところで、損することはあれど得することはないからだ。
「……嘆かわしい話だよ。義務教育を終えた若いもんが化け物がどうのって騒いでいるなんてなぁ」
「ちょっと根津さん……!」
「あー、はいはい。わーってるよ」
根津と呼ばれた古株の刑事が悪態をつき、それを若手の刑事が嗜める。
「…………」
「あ、有久さん……!」
「……大丈夫よ」
同様に、自身の右隣で拳をワナワナと震わせる海産をなんとか宥める朝陽。
「まあ、うん。君たちがそう言うのなら余計な世話はしないよ」
それぞれのコンビが似たようなやり取りをする奇妙な時間が生じたが、若い刑事によって打ち切られる。
「ありがとうございます」
「…………」
朝陽が頭を下げながら礼を言うも、海産は直立のまま微動だにしない。
「お前なぁ! 人様に無駄足を踏ませておいて!」
「まあまあまあ! そういうのはやめましょうよ! ここで大声を出してしまったらわざわざ制服組とスーツ組に分かれた意味がないでしょう?」
彼女の頑固な態度が気に食わなかったのか、根津は声を荒げた。
が、若手の刑事が即座に制止する。
そう、彼ら警察はスーツを着た者と制服を着た者の二組で此処へとやって来ており、制服を着た警官はやや離れたパトカーの車内で待機しているのだ。
これは、パニックに陥った者が注目されないようにという理由からである。
しかし、海産はこの配慮も不満らしく、理由を察してすぐに不機嫌になったのである。
「もしも君たちに悪気があるのなら、通報場所で待ってなんかいない。それはわかっているよ」
「……」
根津を宥めた後に二人を見つめ、若手刑事はニコリと優しく微笑む。
その言葉を受け、朝陽は内心でホッと息を吐く。
目前の刑事が実のところどう思っているのかはわからないが、とりあえずは自身の選択が間違っていなかったことに安心したのだ。
「それに、さっきも言ったけれど、こういう目撃情報は増えてきているからね……いつかは君たちの言葉が正しいこともわかるかもしれない」
「おい大港、滅多なことを言うんじゃーー」
「でもまあ、それがわからない内は僕たちは力になることができないんだ」
「ええ、それはわかっています」
大港と呼ばれた若手刑事は、制止の声に被せるように声量を上げ、海産はこの言葉に頷く。
「……まあ、これ以上話す事はないってことだな。さあ、お家に帰んな」
元より期待などしていないという彼女の諦観が根津に伝わったのか、フンと鼻息を慣らしながら彼は話を締める。
「はい、ありがとうございました」
邪魔者を退けるかのような手の払いをされ、若干の怒りを感じたものの、事情徴収が終わった安堵の方が大きかった朝陽はホッと胸を撫で下ろす。
「……本当にごめんね。あの人も、ただの嫌なおっさんじゃあないんだけど、自分の目で確かめたもの以外は信用できない頑固者でね……」
「……いえ、化け物の存在を証明できない以上は仕方のないことだと思っているので」
申し訳なさそうな表情で大港が二人に謝罪するが、朝陽は落ち着いた声色で返答する。
ここで受け取る謝罪など、何の意味も成さないからだ。
「……さあ、帰ろう。有久さん」
「……ええ」
「うん、気をつけて帰ってねー……って、根津さん、もう行ってるし!」
ニッコリと微笑みながら手を振っていた大港であったが、根津が既にパトカーの元へと戻っていることに気づき、大袈裟に頭を抱える。
彼は彼で苦労しているのだろう。
朝陽は苦笑いを浮かべながら右隣の海産を見る。
「……!」
視界に入ったのは、会話が終わっても不機嫌そうに頬を掻く海産。
しかし、朝陽の目を引いたのは表情ではなく……
彼女の左袖が破れていることであった。
「有久さん!」
「……? きゃっ!?」
その事実に気づいた朝陽は後方を確認し、即座に彼女を抱きかかえて道路脇へと跳んだのだ。
「じょ、ジョウコウチ君!? どうし……ああ、そういうこと!」
「もう少し穏便にいきたかったけど、後ろを見たらそうも言ってられなかったんだ! ごめん!」
何が起こったのかわからず混乱する海産であったが、後方を確認した後に前方を見、状況を理解する。
先ほど朝陽が後方を向いた際に見えたもの、それは道路やカフェの壁の破壊痕と、今まさに此方へと飛びかかろうとしていた『犬のような怪人』だったのだ!
「連戦は勘弁してほしいのだけど、そうも言っ……え!?」
「な!?」
犬怪人と睨み合いながらボヤいていた海産。しかし、その声色は驚愕に染まる。
怪人は踵を返して二人の更に前方、つまり、刑事たちの進行方向へと駆け出したからだ!
「大港さんッ!」
「……? バ……ッ!」
はち切れんばかりに大声を張り上げる朝陽。
彼のただならぬ叫びに気づいた大港は振り向き、咄嗟にその場で屈む!
ソレは賢明な判断だとは言えない行動であったが、犬怪人は彼をハードルのように跳び越える!
「……ッ!」
無言で怪人を追う海産と、その後を追う朝陽。
「いや、危ないから二人とも止まって!」
立ち上がった大港が両手を広げて二人を制止するが、それぞれ左右に散開し、走り続ける!
「あぁ、クソ……! 息を合わせたように避けやがってさ!」
吐き捨てるように言いながら、二人の後を追いかける大港。
その距離は直ぐに縮まり、あっという間に追いつく。
「二人とも! マジで危ないから! アイツは俺がどうにかするから下がりなさいッ!」
「今日初めてアレを見たような人ができるわけないでしょう!」
「それでも俺は警察官だ! 君たちよりも前を走る義務があるだろう!」
互いに怒号を飛ばし合う二人の側で、朝陽は前方を見つめ続ける。
根津に近づいてはいるが、怪人の進行速度にはとてもではないが敵わない。
というか、そろそろ根津が怪人に襲われそうである。
「とりあえず二人も名前を呼んで気づかせてくれないかな! 根津さんッ!!」
「ああ、そうだね! 根津さーんッ!!」
「……」
二人の呼びかけで流石に異変を察知したのか、根津が振り返る。
しかし、怪人は既に飛びかかっていた!
彼は辛うじて身を捩って直撃を避けたものの、攻撃を掠めたようで、膝を突く!
そして、怪人はすかさず彼の腕を掴み、食らいついたのである!
「ああ、クソ……ッ!」
「……ッ! 大港さん! パトカーまで辿り着いたらすぐにサイレンを鳴らしてください!」
「まだ彼は生きているわ! 私たちの前を走る義務があると言うのなら速く走ってッ!」
「ああ、わかったよ……ッ!」
前方の光景を見、苛立ちを露わにする大港。しかし、二人の言葉を受け、全力で走る!
「……ねえ、有久さん、今の内にあの姿になれば追いつけるんじゃないかな?」
「ごめんなさい、今はできないの!」
大港に距離を離されたのを見計らい、朝陽は小声で話しかける。
たしかに、レーヴフォールであれば、現在の海産の数倍速く移動することも可能だろう。
しかし、彼女は首を横に振る。
「ん、そっか……えっと、それじゃあ僕たちは離れていた方がいいんじゃない?」
「ごめんなさい、それでも、安全地帯からただ見ているだけっていうのは私にはできないわ!」
「……それじゃあ仕方ないね」
ため息を吐きながらも朝陽は海産と共に大港の後を追う。
「根津さん! 大丈夫ですか!?」
「うぅ……チクショウが! クソッ! クソッ!」
根津の元に辿り着いた大港が声をかけるも、地に伏せたまま痛みに悶えるのみである。
しかし、無理もないだろう。
怪人に食らいつかれた彼の腕は悲惨な状態になっていたのだから。
肘から先は無く、肩から肘にかけてはミンチ状の肉が骨に貼りついたような状態になっている。
そして、その傍らには制服姿の警官だったものが転がっていた。
おそらく、異変に気づき応戦しようとしたが、即座に殺されたのであろう。
根津は命があるだけ御の字であると言えるかもしれないが、想像を絶する痛みが彼を襲っているのだから、一重に即死よりはマシだとも言えないだろう。
「……おい、何が目的だ?」
大港は目前に立つ怪人に問いかける。
……しかし。
「アハハッ! アハハハハハッ! アハハハハハハハハハッ!」
怪人はこれ見よがしに犬歯を見せながら笑うばかりで、問いには答えない。
「……チッ!」
舌打ちした後に彼はパトカー目指して駆け出す。
「アハハッ! アハハハハハッ! 『チッ!』だって! 面白いッ! アハハハハハハハハハッ!」
怪人は彼を止めるでもなく、馬鹿にするように笑うのみであった!
「……しばらく黙ってろ!」
車内に乗り込んだ大港は叫びながらサイレンを鳴らす。
「有久さん!」
「ええ、無事……とは言えないけれど、なんとか鳴らせたのね」
ようやくパトカー前に辿り着いた二人はあまりの音量に表情を歪ませつつも、怪人を見る。
「グゥ……! アアアッハッハッハ! どれだけ足掻こうが人間は皆殺しだぁ! アーッハッハッハッハ! 首を洗って待ってなァ! 下等存在共ォッ!!」
頭を押さえつつも、怪人は心底楽しそうに笑う。
その声は男のような女のような、高いような低いような、掴みどころない奇妙なモノであった。
その異様な光景に二人が押されている間に、犬怪人は跳躍し、何処かへと消えたのだった。
「しゃ、喋った……」
「さっきの鳥怪人よりも厄介そうな相手だったわね……! けれど、このままじゃ済まさないわ……!」
被害が出てしまった悔しさに表情を歪ませながら、海産は誓うように拳を握りしめたのであった。