第2-5話:絵は得意
「朝陽ー! テープ取ってー!」
「ん、どうぞ。バランス崩さないように気をつけてね」
「大丈夫っ! ありがとねー!」
切り取ったテープをいくつか渡す朝陽と脚立に乗った状態でニコニコ笑いながら受け取る主。
現在、彼らが何をしているかというと、文化祭のクラス展示である『お化け屋敷』の準備である。
例年、この高校では文化祭の週の月曜の午後から木曜日までの授業時間を使って展示の準備を行なっているのだ。
昨日の午後は机や椅子の運び出し、体育館のステージ用の道具運び等に時間を割かれたため、本格的な準備は今日からとなる。
「あ、常光地君! ついでにそのテープこっちに置いといてくれないかな?」
「ん、わかった!」
「朝陽! 俺たちのところ手伝ってくんね?」
「うん、もちろん!」
女子生徒の近くにテープを置くと、彼はすぐに呼ばれた方へと向かう。
「ジョウコウチ君、よく動くわね……色々な人からお手伝いを頼まれているし」
その様子を少し離れた作業場所から見て感心するように頷く海産。
「そりゃあ朝陽くんは仕事が早いし話しやすいしねー!」
そんな彼女の独り言を拾うように、周囲で作業をしていた女子生徒がその手を止めずに反応する。
「顔も結構整ってるし、体型もあのくらいが丁度良いしー……彼氏にするならああいう人がいいかも!」
「んー……ウチはもう少し痩せてる彼氏の方がいいけど、その辺は個人の好みって感じ? まあ、朝陽くんには主がいるんだけどさっ!」
「ソレなんだよねー……フリーだったら全然狙ってたんだけどさー、主ちゃんには流石に勝てる気しないわー」
女子生徒二人の朝陽に対する評価を聞きながら、海産は短く息を吐く。
「クラス公認ってワケね……本人は付き合っていないって言っていたから、あまり言うのも良くないと思うけれど」
本人は否定していたものの、周囲はソレを意に介さないように二人の仲を夫婦同然のものだと思っている。
彼がそう望んでいるのならば海産は何も思わなかったのかもしれない。
しかし、昨日尋ねた際の朝陽の自虐的な表情を見た彼女はこの雰囲気を是としなかった。
「いやいやー! あれはもう事実婚みたいなもんだってー! 一時期は高校卒業したらすぐに籍を入れるんじゃないかって噂されてたくらいだし!」
「……あ、もしかしてー、海産ちゃんも狙ってたりする? 朝陽君のこと」
「あっ、そういえば昨日はずっと朝陽くんと一緒にいたよねー? もしかして、『人間と夢魔のプリンセス』は夢のプリンスに惚れちゃった系ー?」
二人分の悪戯な視線が彼女へと向けられる。
話が思わぬ方向へと捻れたため、一瞬だけ海産の口角が下がる。
「まだちゃんと出会って二日よ? そんなこと考えもしなかったわ」
しかし、間もなく平静を取り戻し、奇妙な愛称を無視して普段の声色で返事をする。
これは、彼女の本音である。
たしかに、朝陽は自分のような特異な体質であるため親近感が湧くし、人々の記憶から忘れ去られるはずのレーヴフォールを覚えてくれていた存在である。
それに、彼女も――
だが、彼に抱く感情は現在のところ恋とは違う何かであったのだ。
「えぇー? でもさー、『あまり言うのも良くない』って言った時の海産ちゃんの声、結構怒ってなかった?」
「うんうん! そう聞こえたーっ!」
「昨日聞いたとき、本人があまり言ってほしくなさそうだったからよ」
だから、この言葉も事実であった。
しかし、自身の先程の発言の中に怒気が含まれていたと指摘されるのは予想外だったようで、微かに俯く。
「彼女かどうか聞くってことはー……?」
「もういいでしょう? それに、あれだけ仲が良さそうに見えると聞きたくもなるわよ」
ちなみに、彼女が昨日その質問をしたのは、今朝の朝陽の推測通り『夢世界で主を観測したことが一度も無かった』ためなのであるが、女子生徒二人がそれを知る由はない。
「……ま、それはたしかに。うん、揶揄うのはこのくらいにしておかないとね」
「あー、ごめんね海産ちゃん! ちょっと調子に乗りすぎたわ!」
彼女たちは作業の手を止め、海産を見て謝罪する。
「別に謝らなくてもいいわよ。ジョウコウチ君も私みたいに夢に関して特殊な体質で、意識しているのは間違いではないから……それは恋とかじゃなくて、ようやく求めていた話し相手と出会えたような、自分の居場所が見つかったような喜びからくる意識だけれどね」
やりづらそうに海産は言う。
幾分か恥ずかしい言葉まで出ているのだが、『自分の居場所』というのも彼女が感じた紛れもない事実なのでそれを訂正しようとはしない。
「うわ、怖……」
「こわー……」
そんな彼女に容赦のない言葉が浴びせられる。
「え、何か変なことを言ってしまったかしら……? ……ん?」
困惑する海産であったが、二人の目線が自分の顔よりも少し下にあることに気がつく。
「……うん、結構なことは言ってたけどさ、それよりもこの絵が目に入っちゃって」
「これは夢に出るレベルかもしれない……」
「……私の描いた絵が?」
首を傾げて不思議そうに海産は言う。
そう、彼女が行なっていた作業はイラストを描くことであった。
「えっと、海産ちゃん……キミの作業って出入り口に貼る『可愛いお化けのイラスト』を描くことだよね?」
「ええ、可愛いでしょう?」
「毎秒十人くらい食ってそうな見た目してるんだけど……」
海産は色鉛筆を使ってとびきり可愛いお化けのイラストを描いたつもりであったが、その散々な言われように困惑した表情を見せる。
「……まあ、言われてみればそう見えなくもないけれど」
そして、自身のイラストを見直したところ、たしかにそう言われるのも無理はないように思えてきたのである。
「うん、言われてみれば『毎秒十人くらい食ってるヤツ』に見えるイラストもアウトだからねっ!? 通りすがりの子どもが泣いちゃうから! そしてその親とかに説教とかされちゃうからっ!」
「……そこまでのレベル?」
「うん」
「悲しいけどね」
二人同時の頷きに衝撃を覚えながらも、彼女は諦めない。
「試しにジョウコウチ君にも聞いてみましょ――」
「やめよう?」
「悲しみの連鎖はアタシたちがここで止めないと」
朝陽に声をかけようとした海産を女子生徒二人が制止する。
両手で口を封じ、イラストを一時没収する姿はまさに全力であると言えよう。
「おかしいわね……イラストだけは父親でさえ頻繁に褒めていたはずなのに」
口を解放された海産は顎に手を当て、不思議そうに呟く。
「えぇ……海産ちゃんのパパって甘々なんだねー」
何気なく放たれたその言葉が耳へと入り、彼女の目が限界まで見開かれる。
「アレに限ってそんなはずが――ああ、そういうことね」
自身の父親を『アレ』呼ばわりし語気を強めたかと思えば、納得したように頷く。
互いの顔を見合わせて不思議そうに首を傾げていた二人に対し、海産は自嘲気味に微笑みながら語りかける。
「ごめんなさいね。可愛いお化けを描けるって言ったのにこんな感じで……この絵は怖がらせる目的で教室の中にでも貼っておきましょう」
「ん、海産ちゃんはそれでいいの? いや、とりあえずそのイラストはそうするしかないけどさ」
「とりまウチらの作業を海産ちゃんも一緒にやってさ、その後に三人でイラスト描くってのはどう? 途中で修正しやすいしっ!」
申し訳なさそうにやんわりと微笑む海産に対して、満面の笑みで二人はそう提案する。
「……いいの?」
「うんうんっ! アタシたちも、海産ちゃんならいけそうかなって感じで一人で任せちゃったからさ、悪かったなって……!」
「絵描くの好きみたいだし、こういうので他の人に代わるのも何かアレじゃん?」
「……フフッ」
アレって何か知らないけど、と付け加えつつ笑いかける女子生徒とつられて笑う海産。
彼女がこの作業を選んだのは『好きだから』というよりは『得意だ』と思っていたからなのだ。
しかし、自分が実は『不得意』だったとわかったので拘る必要はなくなったはずなのだが、彼女たちの心配りが響いたのだろう。
「……本当に、ありがとう」