第2-4話:いつも通りで、更に変わる朝
「――それじゃあ、今度の日曜日に行こうか。けど、本当に大丈夫? 文化祭が終わった次の日だから疲れているんじゃないの?」
「ううん、大丈夫だよっ! たしかに忙しいけど、運動するわけじゃないしっ!」
高校へと向かう道で、二人は先程食卓で話していたトレーニングの日程を決めている。
司会という大役を任された幼馴染の疲労を気遣う朝陽だが、当の本人は『そんなのへっちゃらだ』と言わんばかりにニコニコと笑う。
「まあ、主が大丈夫ならいいんだけど……しんどいなって思ったら当日でも中止連絡してね?」
「だーいじょうぶだって! もー! 朝陽は心配性だなぁー!」
心配そうに言う彼をからかうように彼女は言う。
しかし、気遣われて嫌な気はしていないのか、先程よりもその表情の明るさが更に増している。
「けど、明々後日……金曜と土曜の二日連続だし、その後に打ち上げもあるだろうし」
「へへーっ! アタシは朝陽よりも体力があるからそのくらいヘッチャラだもんねーっ! 朝陽こそ、アタシの心配ばっかで日曜に室内用シューズを持っていくのを忘れないようにしてよー?」
「はいはい……わかってるよ。持っていかないと入れないからね」
ドヤ顔を決める幼馴染に苦笑いを浮かべる朝陽。
彼女に言われずとも、室内シューズが必要なことと、自分が目の前の少女よりも体力が劣っていることは自覚しているのだ。
トレーニングに行く、という約束をしたときは、不貞腐れるような、拗ねるような感情が彼の大半を占めていたが、現在は純粋に『己を鍛えたい』という願望がそこにある。
そうすれば、海産ともいつか肩を並べて闘えることができるかもしれないし、自信を持って主の横に立っていられるようになるかもしれないと考えたからだ。
「うんうんっ! 忘れないでねっ!」
「ああ、約束するって……おっと」
満面の笑みを自分へ向け、嬉しさを隠す様子もない彼女を見て、人懐っこい犬を連想していた朝陽であったが、ふと我に帰る。
「んー……? その家がどうしたの?」
「いや、昨日約束したからさ……」
答えにならないような返事をしながら彼はとある家の呼び鈴を押す。
その家は、主も昨日言及した、引っ越し作業が終わった新築の家だった。
「約束……って、えっ!? この家の人と知り合いなの?」
「表札を見て。主も知っているはずだからさ」
驚きの声をあげる彼女の様子を見てクスクスと笑う。
昨日の自分と同じような反応をしたのが面白かったのだろう。
「え? それってもしかして……あっ、有久って書いてる!」
「そう、此処に引っ越して来たのって、有久さんだったんだ。それで、今日から一緒に登校しないかって話になって……」
商店街での一件が落ち着き、気を取り直して帰っていたところ発覚した衝撃の事実。
にも関わらず、海産の表情は驚きよりも楽しそうな笑みが占めており、彼の記憶に鮮明に残っていたのだ。
「あら、モクルリさんには伝えていなかったのね? ……もしかして、驚かせたかったのかしら?」
準備はとうに済ませていたのか、扉は間も無く開き、海産がクスクスと笑いながら姿を現わす。
「うん、主の反応が見てみたくて!」
「むー、やられたぁー!」
子供のようにアハハと笑う朝陽と、頬をプックリと膨らませる主。
「ふふ、朝から微笑ましいわね。それじゃ、行きましょうか……ああ、それとも、モクルリさんはジョウコウチ君と二人きりで登校する方が良かったかしら?」
「うーん……どっちも楽しいから良いとか悪いとかっていうのはわかんないや! それに、昨日は文化委員とか色々あってなかなか三人で話せなかったしっ!」
からかうような悪戯な笑みを向けられた主は心底楽しそうに、ニコーッと満面の笑みを浮かべてそう返した。
「ふふ、それもそうね。それじゃあ、行きながらたくさん話しましょう!」
「ん、それじゃあ昨夜の夢の続きから話す? 結局朝のホームルームの後はまとまった時間が取れなくて聞けずじまいだったし」
関連する話は夢の中で彼女から聞いた朝陽であったが、約束通り、この話自体については聞かないようにしていた。
「朝陽がどうして夢の中に入っちゃうかっていう話だよね?」
先程までの無邪気な笑みが何処かへと消え、真剣な表情で尋ねる主。
現在でこそ己の体質と向き合えている朝陽だが、幼馴染である彼が悩み苦しんでいることも知っているからこその表情なのだろう。
「ええ、そうね……えっと、ジョウコウチ君の夢が『とっても狭くて小さい夢』だっていうところまでは話したわよね?」
「うん、そこまではたしかに聞いたよ」
確認するような海産の言葉に大きくハッキリと頷く朝陽。
昨日の朝に聞いたときはイマイチ想像がつかなかった彼であったが、昨晩の体験から『夢世界』という単語を意識したことで理解が深まったのだ。
「私は色々な人の『夢世界』を見てきたけれど……ジョウコウチ君の夢世界ほど狭くて小さなものは見たことがなかったのよ」
「……僕の、夢世界」
「狭くて小さい、と言っても、『少し小さめの一部屋』くらいの大きさはあるのだけれど……他の人に比べるとあまりに狭すぎるわね」
朝陽は昨晩視た彼女の『夢世界』を思い出す。
ソレは広々とした開発室であった。
しかもそれだけでなく、あの部屋には廊下に続く扉が存在しており、その廊下も、長く長く続くものだったのだ。
彼が毎晩入っていた同級生たちの夢世界も、思い返せばどれも広かった。
まるでそこにも世界が広がっているかのように。
「えっと、狭くて小さいから……誰かの夢の中に入っちゃうってこと?」
不安そうに主が尋ねる。
何度も『狭くて小さい』という単語が出てきたため、きっとソレこそが朝陽の体質の原因なのだろうと察したのだ。
「ええ。私はそう推測したわ……朝陽君が入らないサイズの夢世界だったなら断言もできたのだけれど……それでも、自分の夢世界が異常に狭いことによって他人の広い夢世界に引き寄せられる、というのはなくはない話だと思うの」
例を上げるならば、水面上に、大きな渦と小さな渦がその他の条件は同一に左右に存在していたとして、その間にボール等を投げ込んだ場合は大きな渦へと吸い込まれていくだろう。
「なるほどね……それに、現実で人と仲良くなることがその人の夢世界に引き寄せる力を増幅させている可能性もある、かも?」
「ええ、ありえそうな話だわ……だけど、この話の問題は、どうしてジョウコウチ君の夢世界があんなに狭いのかっていうところなのよね」
本当に驚いたわよ、と言いながら軽く手刀の素振りを見せる海産。
その仕草を見てハッと息を飲む朝陽。
彼は彼女の仕草を見て、『化け物の夢』について思い出したのだ。
あのとき、レーヴフォールとして現れた海産は化け物の触手を手刀で切断しながら現れた。
それならば、もしかすると、自分が夢で化け物と遭遇した場所こそが自分の夢世界ではないのか?
そう思考を巡らせている彼を見て、彼女がさりげなく頷く。
「……生まれつきそうだったのかもしれないけど、そうじゃなかったとしたら、何でだろう?」
レーヴフォールのことは現在のところ二人の秘密であるため、リアクションを表には出さずに話を続ける。
「あまり良くない何かがあって狭くなってしまったのかもしれないわね……その『何か』については今のところ突き止められそうにはないけれどね……モクルリさん?」
ふぅ、と短く息を吐いた海産。
その視界に頬をプックリと膨らませた主が入っていた。
「……難しすぎてよくわかんない」
口をすぼめながら彼女は言う。
途中までは真剣な表情で海産の話を聞いていた彼女であったのだが、付いていけなくなったのだろう。
「あー……色々複雑だからね。仕方ないよ。張本人の僕と違って実感も湧かないだろうし、僕も『どうしようもないな』って思ってるところだからさ」
「むぅ……!」
うんうんと頷きながら朝陽が言う。
おそらく反対の立場ならば自分も同じような反応をしていたかもしれないからだ。
「そうね……話に区切りがついたところだし、昨日のテレビ番組やらの話でもしましょうか?」
「うん! するーっ!」
不機嫌そうな表情が氷解するように明るい表情へと変わる。
パアッと明るい太陽のような笑顔を見、クスリと微笑みながらも、彼は考えていた。
自分の夢世界や化け物の夢について、もっと詳しく話をしたい、と。