第2-2話:研究室の夢
「あれ、ここは……?」
朝陽は周囲を見回す。
彼は先程眠りについたのだが、気がつくとベージュ色の部屋の中に立っていた。
広さだけで言うのならば存分に走り回れる程の部屋だ。
「誰かの夢の中、なんだろうけど……なんか、すごいな」
ほんのりと明るい部屋の中に真っ白な長机が二つ、座り心地の良さそうな椅子が一つ、そして、見たことのない機械やら装置やらが至る所に置いてある。
まるで、ドラマ等で見かける研究室のようだ。
「それにこの夢……」
顎に指を添え、思考を巡らせる。
朝陽がいつも視ている他人の夢ならば、彼が気づいたときには『物語』が始まっているはずなのだ。
例えばソレは、朝のホームルームで海産が指摘した『ジャングル探検』であったり、『スイーツバイキングを満喫する』ものであったりである。
そして、朝陽自身もその物語に組み込まれて朧げな意識の状態で友人と接することになる。
しかし、この夢はそうではないのだ。
彼の意識は起きているときと同じように鮮明であるし、何かの物語が始まるわけでもない。
まるで、現実世界のようであった。
「あら、ジョウコウチ君。今日はいつもよりも早く寝たのね?」
「ん、有久さん……?」
背後からの声に振り返ると、其処には座り心地の良さそうな椅子を抱えた海産がいた。
「なるほど……なんとなく納得したよ。今まで経験したことのない夢だったから」
様々な人の夢を訪れた彼でさえ初めて経験した現実感のある夢。
そんな不思議な体験をさせることができるのは現在の彼の中では彼女しかいなかったのだ。
「現実世界みたいでしょう? まあ、それはさておき、今日は大変だったわね……さあ、座って」
椅子を置いて彼に座るように促すと、自身もあらかじめ部屋内にあった椅子に座りながらそう言う。
「うん……まさかあの化け物を現実で見るとは思わなかったよ」
「けど、レーヴフォールとも現実で会うことができたでしょう?」
くたびれたような表情で肩を竦める朝陽と自慢気な表情で尋ねる海産。
「え? ああ、うん、そうだね」
「……」
相手の言葉の真意がわからないため何とも言えない返事をすると今度は沈黙が返ってくる。
「……」
その表情が大きく変わることはないものの、微かに拗ねていることを察した彼が何かを言おうとするが、フォローの言葉が出ずに沈黙が続く。
「……ああ、そういえば、モクルリさんは何か言ってた?」
「ん? ああ、うん。わざわざ家まで来てさ。大丈夫だったか聞いてきたよ……化け物とか怪人のことは知らなかったみたいだけど」
「映像記録にも化け物の姿は映っていなかったから、無理もないわよ。きっとあの空間はこの夢世界と現実世界の狭間のような状態だったのでしょうね……原理はわからないけれど」
わざわざ来なくてもメッセージとかでいいのに、と笑いながら付け加える朝陽と、微笑むような、困惑するような、そんな表情を見せる海産。
夕方の事件は意識不明者一名の集団パニックという形で片付けられた。
人々の言う化け物の存在の痕跡は残っておらず、また、意識不明の男性も、外傷が無く、眠るように倒れていたためである。
「あの男の人も、気づいたら傷が無かったのは驚いたなぁ……! 目が覚めたらいいんだけど」
「それについては何も言えないわね。あの空間でまだ生きていたと言うのなら、死ぬことはないはずだけど……」
男性は意識不明の重体、という状態である。
身体に外傷は無いため楽観視しそうになるが、彼が化け物に腹を貫かれた事実とその痛みが消えたワケではないのだろう。
「……ちなみにさ、考えたくないけど、あの空間で死んでいたらどうなっていたのかな?」
「おそらく、『化け物の夢』と同じでしょうね……脳から死んで、しばらくすると身体も死ぬ」
「脳から死ぬ……」
眉を潜め、俯く朝陽。
たしかに、眠ったまま死んでいたという人々の話はニュースでも触れられていたし、あくまでも噂の中でだが、化け物の夢とも関連付けられていた。
「ねえ、有久さん。放送部の先輩が倒れたっのって……!」
「その考えに至るのはわかるけれど、化け物の夢とは関係ないわ。昨日は珍しく暇だったもの」
何かに気づいたように朝陽が瞳と口を大きく開くが、海産は静かに首を横に振る。
「化け物の夢は発生していないってこと……?」
「ええ、同時発生してどうにもならないときはあったけれど、それ以外で誰かが夢の被害に遭うことは二度とないわ」
二度とね、と、苦虫を噛み締めるような表情を浮かべる彼女にただならぬ思いを感じ、彼は咄嗟に身を乗り出す。
「同時発生してしまったらどうしようもないよ……! 有久さんは、レーヴフォールさんは、ずっとみんなを救ってきたヒーローなんだからさ! 凄いよ!」
おそらく同時発生で救えなかったことが一度あったのだろうと考えた朝陽は、真っ直ぐな瞳で海産を見る。
「…………! 朝も言ったけれど、ヒーローに憧れているだけで、そうはなれないのが私、レーヴフォールなのよ」
面食らったように何秒か硬直した彼女は、苦い表情を変えずに、震える声でそう言う。
「有久さんがそう思っていたとしても、僕にとってはヒーローだから」
それに対して、彼も真剣な表情を崩さずにそう告げる。
「……ええ、そうね。素直にその賞賛は受け取りましょう。ありがとう、ジョウコウチ君」
強張っていた表情が綻び、柔らかな笑みへと変わる。
「あ、えっと……どう、いたしまして?」
咄嗟に出た発言に自分で驚きつつも、照れくさそうに頬を掻く朝陽。
「放送部の先輩の件の続きだけど……どちらかというと、アレじゃない? 時々ニュースで報道されている、眠りながら死んでる人々が見つかる事件に近いものだと思うわ」
紅潮した頬を隠すように両手で覆いながら、海産が言う。
「え、それが化け物の夢の被害者なんじゃ……?」
朝陽にとって眠りながら死んでいる人間の事件と化け物の被害者は等号で結ばれるものであった。故に、疑問符が生じる。
「……たしかに、同時発生の化け物の夢の被害者も同じように報じられていたけれど、死亡日的にそれ以外の被害者の方が断然多いのよ」
「殆ど同じような死因だけど、違う事件ってこと?」
「そうね、少なくとも私が対処していた化け物の夢の被害者と思われるのは心外ね」
「……ごめん」
「ジョウコウチ君が謝ることじゃないわ。そう思われるのも仕方のないことだし、今日発覚した変な空間の存在もあるから……夢世界と無関係ではないでしょうし」
「……うん」
自分を二度も救ってくれた恩人の心を傷つけてしまったのではないか。
朝陽は後悔の念に苛まれながら辛うじて返事をする。
「……ああ、そうだ。まだこの部屋について説明していなかったわね。ここは私の開発室よ」
「開発室……ってことは、あの手鏡とかは自分で作ったの!?」
「逆に尋ねたいのだけれど、他に誰が作るのよ……? たしかに、特撮ヒーローの変身者と製作者は違うことが多いけれどね」
驚きの声を上げる彼に苦笑しながら返す海産。
重くなりそうだった雰囲気はまた明るさを取り戻していく。
「ああ、それはたしかに……いや、でも、色々とワケがわからないよ! どうやって作ったのかもわからないし……!」
それでも混乱は治らないらしく、むしろ更に悪化したように頭上にクエスチョンマークを浮かばせる。
「まあ、訳あって、数年程前から作ってるわね。作ると言っても、夢の中ではそこまで詳細な知識は必要なくて、想像力さえあればどうにかなるのよ。想像力で道具を作って、その道具を使ってスーツとか変身アイテムを作る」
裏を返せば、想像力で何かを作ることができるといっても、いきなり完成品を作ることは不可能だということだ。
「へぇ、そうなんだ! ……あれ? それでもさ、そういうことなら、この開発室の夢を何度も視なくちゃいけないんじゃないの?」
話を聞いているうちに浮かんだ疑問点を直ちに尋ねる朝陽。
夢の中で何かを製作するという事象に対して少年のような好奇心を抱いているのだ。
「視ているわよ。毎日ね」
「毎日……ってことは、同じ夢を自分の意思で視られるってこと!?」
何でもないように語られた言葉に朝陽は驚きを隠せない。
そんなことが可能だというのか。
「んー……そうね。私も昔はそう思っていたんだけど、正しく言うのなら、同じ状態でセーブとロードができる、と言った方がいいわね」
「それは、どういう……?」
「これ、モクルリさんもいるときに、貴方の夢世界の話をするついでに、それっぽく話すつもりだったのだけれど、まあ、話してしまいましょうか」
「え、僕の夢……?」
この話の流れで自分が出てくるのはよくわからないとばかりに首を傾げる彼に対して、彼女はそのまま話を進める。
「あぁ、まだ直接は関係しないから、今は気にしないで……えぇっと、人一人に対してそれぞれ夢世界がある、っていうのは理解できる?」
「うん、一応……」
人は眠りに落ちると各々の夢世界に行き、其処で目覚めを待つ、というのが海産の弁であり、それによると朝陽の夢世界はとても狭く小さいらしい。
「私の夢世界は、ある日からずっとこんな感じだけれど、他の人たちの夢世界のことは貴方も知っているでしょう?」
「え? たしかに、そうだけど……同じ人でもその日によって夢の内容は違うよね」
スイーツバイキングに行く夢をその日に見たとして、次の日も、その次の日も、またその次の日も同じ夢を見るかというと、もちろんそうではない。
「ええ、そうね。基本的に内容はランダムなのよ。まあ、同じ夢ばかり見ても逆に辛いこともあるでしょうし、幸いなことだと思うわ」
それならば彼女の現在の心境はどういったものなのだろうという疑問が生じた朝陽であったが、それは胸の内に秘めて話に集中することにした。
「じゃあ、普通の人たちは、夢世界のシチュエーションのセーブとロード……コントロールができないってことだね。そして、有久さんにはそれができて、アレンジもできる」
つまり、海産の場合はその状態を望むのならばそれを保存し、次に夢世界を訪れるときにはその状態の夢世界に行くことができる、というわけだ。
スイーツバイキングの夢が気に入ったのならばソレを保存し、翌日もその夢を視て、飽きたのならば、保存せずにまた別の夢を視る。
また、スイーツバイキングの店内に新たな物体を作成して設置することもでき、その変更を保存することも可能、だということだ。
「ええ、そういうこと。景色が変わってるだけで世界そのものは変わらないのだけれどね。貴方の夢についての話ついでに話そうとしたのはそういう意味合いだったのよ……けれど、これ以上新しい知識を詰め込むのは少ししんどいでしょう?」
「うん、正直、そうだね……」
朝陽が小さくため息を吐く。
自分の体質も甚だ特殊なものであるが、目の前の少女が比べ物にならない程に特殊なため、知識に脳が追いつかないのだ。
「……うん、今日はこのくらいにしておきましょう。貴方とはまたこの場所で会えるでしょうし」
「そうだね……また此処に来ることはたしかにありそう。もしかすると明日も来てしまいそうなレベルだよ」
彼はその日に触れ合った者の中で特に絆を深めた者の夢に入る傾向がある。
だとするのならば、現在朝陽が此処にいることには頷ける上に、明日も彼が此処に来るかもしれないというのも納得できる話であろう。
「ふふ、賑やかになりそうねっ」
おもむろに棒状の物を持ち、楽しそうに軽く振る海産。
自身の夢世界への来客という珍事が心の底から楽しくて仕方ないのだ。
「……って、ソレは何?」
「ああ、これはね、武器を作っているの。今日の怪人ならおそらく今の状態でも勝ち目はあるでしょうけれど、これから先、アレの仲間みたいな怪人が出ないとは限らないもの」
朝陽が棒状の物を指差すと、上機嫌な答えが返ってくる。
「ん、なるほど……ねえ、有久さん」
「なあに? ジョウコウチ君」
「あ……いや、何でもないよ」
突如、真剣な表情になった彼に笑いながら用件を聞いた海産であったが、返ってきたのは随分と気の抜けた言葉であった。
「ん、そう? ふふ、変なの」
僕にも武器を作ってくれないか。
その一言が彼には言えなかった。
自分も共に闘えることができたのならばどれだけよかったか。
あの時、護られるだけではなく、自分も闘いたかった。護りたかった。
それでも、彼は言えなかった。
自分に資格がないと思ったからだ。
まだ出会ったばかりで何も知らない。
彼女は何を胸に秘め闘っているのか?
そして、『回鏡』とは何なのか?
そもそも、彼女と並び立てる程の強さが自分にはあるのか?
いいや、大した努力もできない自分はあまりにも弱い。
そう考えると、自分に資格があるとは到底思えなかったのだ。
「ああ、えっと、ごめんね? 変なこと言っちゃ――何この音ッ!?」
朝陽の謝罪はけたたましいアラーム音に搔き消される。
「ッ! きたわねッ!」
まるで作動した防犯ブザーのような音は海産が謎の装置を弄ると収まる。
「きたってことはまさか……どこかで化け物の夢が!?」
「ええ、さっきの音はそれを報せるものなの。そうやって私はレーヴフォールとして闘っているのよ! それじゃあ私は行ってくるわねッ!」
「えっと、僕は……?」
「この部屋で待ってて! 終わったらすぐ帰ってくるから!」
捨てられた子犬のような顔で自身を指差す朝陽に慌てるように待機を促す海産。
「ああ、それなら僕は待っておくね。ちょっと寂しいけど……」
「ごめんなさいね。本当は貴方も連れ出したいところだけど、どうなってしまうか未知数だから……最悪、死んでしまうかもしれないわ」
「うん僕は此処で待っておくよ!」
一度目も二度目も彼の心からの言葉だった。
彼女について行きたい気持ちはあれど、命を無為に落とすのはごめんだ。
「ええ、それじゃあ、行ってくるわね! ……あ、部屋の中はあまり漁らないでね。ノートとかは読んでもいいけれど!」
そう言うと彼女は何処からともなく現れたドアへと入っていった。
「わぁ……アレも凄いな」
幼い頃のアニメ番組で見たようなドアが消えゆくのを見ながら朝陽は呟く。
「ノートは見てもいいって言ってたけど……取り敢えずコレでも読もうかな」
早速暇になった彼は手近なノートを手に取る。
ソレには同一の字でこう書かれていた。
『〜夢想超人レーヴフォール変身時案〜
1.回鏡コンパクトのボタンを押して開く。
2.鏡が背後に現れる。
3.変身者(私)を巻き込んで回る。
4.合計4回回る。
5.回る時に「1回りッ! 2回りッ! 3回りッ! 4回りッ! 夜廻りッ!(夜に活動するから) 夢想超人レーヴフォールッ! レーヴフォールッ!」って音が鳴る(これ声はどうするの?)』
「……」
ただひたすらに困惑した表情を浮かべながら更に下部を見ると、黒鉛の屑が付着した真新しい文字でこう書かれていた。
『(ジョウコウチ君に頼んでみる?)』
「……夢の中で横になるのってどんな気分なんだろうな。よし、やってみるか」
朝陽は速やかにノートを閉じ、その場に仰向けになった。
何というか、そうしようと思ったのだろう。