9 もしかしてずっと怒っていらしたの?
リドリナル・マクアト・ホメット王太子殿下からの、いえ、ホメット魔術王国からの正式な婚約の申し込みがあったのは、その日の夜だった。
「し、仕事が早いわ」
両親に報告をした直後に届いたその書面に、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
「有能じゃないか。どこかのバカ王子とは段違いだ」
「本当にその通りだわ。これならサハルをお嫁にだしても安心ね。あなたのことを大切に思ってくれているのでしょう?」
「ええ。たぶんそうだと思うの。だって」
「だって?」
「私は気付いていなかったけれど、行動がシル兄様やオルド兄様と同じなんだもの」
「は! それは安心だな。サハルを任せるに足る」
「ふふ。サハルを愛してくれているなら、私は満足よ」
お母様が私を抱きしめて、そう囁く。
貴族の娘としての務めを果たすこともできる上に、私を大切にしてくれる相手であれば、例え遠い国であっても万々歳なのかもしれない。
そう──。ホメット魔術王国は遠い。空飛ぶ馬車を使っても、二日はかかってしまうほど。
けれど、それはあまり心配はないこと。なぜなら──。
「サハル! ホメット魔術王国に嫁に行くって本当か?!」
「シル兄は跡継ぎだし、僕が今すぐ王宮を辞して、ホメット魔術王国で働くことにしようか」
「そろそろ帰ってくるころだとは思ったが、お前たち落ち着きなさい」
「しかし父上、ホメット魔術王国とは、また遠い国ではありませんか」
「シル兄の言う通りです父上」
「いやだから、落ち着けって」
「これが落ち着いていられましょうか」
「そうですそうです。シル兄は跡継ぎ、僕がサハルについて」
「良いから少し黙れ」
矢継ぎ早に口を開く二人の兄様を、ついにお父様が抑え込む。
「王家に嫁に行くのに、何の不満があるというのだ」
「そうですよ。それも我が国の愚かな王子とは雲泥の差のある方でしょう」
「まぁ、あのバカ王子に嫁いだらサハルが不幸になるのは目に見えていたしな。でも、何もそんな遠い国に」
「オルドの言う通り、嬉しいけど嬉しくないというか。かと言って他の貴族にサハルにふさわしい者はいない」
うーんうーんと唸っているけれど、私がホメット魔術王国に行くのは決定事項でしてよ? わかっているのかしら。
「ところで、お前たちこの国に未練はあるか?」
「未練? 父上どういうことでしょう。僕はサハルにしか未練はありません」
「俺もです」
「言い方! 二人とも言い方に気を付けろ!」
ついにはお父様も笑いながら二人に注意をするようになってしまう。この二人、私が嫁いだ後きちんと結婚できるのかしら。心配だわ。
「まぁ、私もライツェもこの国の行く末には不安しかないし、たいした未練もない。今回の件で王家には大きな貸しもあるしな」
名前を呼ばれたお母様も、うんうんと頷いている。今回の件、最終的には私たちが手を回したけれど、そこに至るまでの第一王子のあの体たらくは目に余るものがあった。特に酷かったのは、女遊びをしてその後始末をこともあろうに、私に押し付けたことね。しかもそれを常態化してしまうなんて。
ああ、いけないわ。落ち着いて、私。
「知っているか、お前たち。ホメット魔術王国では今、魔力の低下が進んでいるらしい」
「そうなんですか? それと僕たちにどんな関係が」
「あら、オルド兄様。先ほどまで私と一緒に、ホメット魔術王国に行くとおっしゃっていたじゃない」
「まさか父上」
シルグナリオ兄様が先に気が付く。それに追随するように、オルドハリオ兄様もお父様の顔を見た。
「お前たちも、サハルほどではないにしろ、十二分に魔力を持っている。ホメット魔術王国からの正式な書簡にて、サハルの輿入れと共に、我が公爵家をそのままホメット魔術王国の公爵家として迎え入れたいとの申し入れがあった」
二人の表情がみるみる明るくなっていく。先ほどまでの、どんよりとした暗い表情よりも、私はこの明るい二人の方が好きだわ。それに、遠いかの国に一人で行くわけではないことが、何よりも嬉しい。
「あ、でも領民はどうなるのでしょうか」
あら、さすがに長男だわ。オルド兄様は今それに気が付いたという顔を一瞬したけれど、今更隠しても無駄よ。しっかり見たもの。
「安心しなさい。ゾルストに領地譲渡をするように手配をすすめる」
「叔父さんに! それなら安心だな、シル兄」
「ああ、うちの領地は気候も良いし果物の収穫高も良い。ジャールス侯爵家だって嬉しいだろう」
ゾルストクライツ・ジャールス叔父様は、お父様の弟君。ジャールス侯爵家の一人娘であるエンドリア・ジャールス様が15の時に婿養子として侯爵家に入った。
「でも──。国神王陛下がお許しになるかしら」
「サハル、お前を手放したのは王室だ。しかも長い間繋ぎとめておきながら、な」
お父様の言葉を聞き、ふと考えてみると確かにそうだと思い至る。
王太子にさせる為に私の魔力を注ぎ、それなのに努力を一向にしない第一王子。
私の仕向けた女性にまんまと嵌り、自ら私との関係を最悪の形で破局させる愚か者。
思惑があるのはわかるけれど、それを放置しているのだから私は飼い殺しも同然と言えば同然だったのね。
──。なんだか無性に怒りが……。
「サハル、落ち着きなさい」
「あっ、え、ええ。お母様」
「あなたが苛立ち、怒る気持ちはわかるわ。でも、それは魔力篭に向けて頂戴」
「いやだ、私ったら目の色が?」
「ええ。濃くなっていたわ。魔力を無駄にしたら勿体ないでしょう。篭に入れて、あとで王家との交渉時に活用しましょうね」
「はい、お母様」
感情のままに魔力を使うことは恥ずべき事。そう教えられてきたけれど、それでもどうしても感情が強くなることがある。そんな時に我が家では、その魔力を溜める篭に向けて力を開け放つことになっていた。
私は感情による魔力増幅の時には瞳の色が濃くなるらしく、できるだけ表出させないよう注意を払ってきたの。でも駄目ね。家族の前だとどうしても気が緩んでしまうわ。
「我が公爵家の大切な娘に苦労させたこと、後悔させてやるからな」
「……お父様、もしかしてずっと怒っていらしたの?」
ゆっくりと頷くそのお顔が、まるで魔王様みたいだった。




