5 結婚相手がバカは嫌
「それで、兄上はついにサハルアリシャ様に婚約破棄を?」
王宮の一室でケーキを食べながら、コーリアド・ダルナイジュ第二王子はそうおっしゃった。深い藍色の壁に歴代の名魔術師の肖像画が飾られているこの部屋は、第二王子が魔法を学ぶ為に用意されたもの。
私は国内で5本の指に入る風魔法の遣い手であることと、第一王子の婚約者ということもあり、コーリアド殿下が3歳の頃から魔法の家庭教師として定期的に王宮にあがっている。
「ええ。コーリアド殿下はその日のうちに、お聞き及びでしょうけれど」
コーリアド殿下は現在10歳。初等科の生徒会長。勿論どこかの第一王子とは違って、完全に実力でその地位を手に入れておられるわ。
「兄上は本当に愚かだなぁ。こんなに美しいサハルアリシャ様との婚約をやめてしまうなんて。僕だったら、絶対に手放さないのに」
「まぁ、勿体ないお言葉」
ころころと笑いながら、再びケーキを口にいれる。美味しいわ。さすが王宮のパティシエね。今度作り方を我が家のシェフに学ばせないと。
「僕が王太子になったら、サハルアリシャ様を婚約者にすることは可能かなぁ」
「どうでしょう。私とは七歳の差がございます」
「その位の年の差、サハルアリシャ様の魔力の強さを考えたら問題ないと思うけど」
美しい緑の瞳が私を見つめる。グルナジェスト殿下と同じグレーの髪の毛に緑の瞳だというのに、受ける印象がだいぶ異なるのは、知性が醸し出す雰囲気があるからかしら。
正直なところ、私は──いえ、第一王子を知る誰もが、この第二王子を王太子にしたいと考えている。魔力の強さ、知性、共にコーリアド殿下の方が何倍も上なのだから。
「ふふ。今はまだグルナジェスト殿下の婚約者という立場が公式には消えてはおりませんし、コーリアド殿下はあくまでも第二王子であらせられますわ」
私が何を窘めたのかをすぐに気付き、「はぁい」と答えるコーリアド殿下はとても可愛らしい。思わず抱きしめたくなってしまう。
実際、去年くらいまでは何かあるとついつい抱きしめてしまっていた。さすがに10歳という年齢になったこともあり、自粛しているけれども、いつだってその愛らしい表情を見せられたら抱きしめたくなるの。
美しいは正義だけれど、可愛らしいも正義だわ。
「コーリアド殿下は賢くていらっしゃる。おやつを頂いたら、今日は新しい魔法をお教えいたしますわね」
「新しい魔法、嬉しいです」
「今日のは少し難易度が高いので、ゆっくりやりましょうね」
「はい!」
ああ、本当に兄弟でどうしてこうも違うものなのか。
思わず昔のことを思い出してしまった。
*
「おめでとうございます。弟君、第二王子殿下の誕生です」
私が第一王子グルナジェスト・ダルナイジュ殿下と婚約をしたのは、5歳の時だった。王子にしては弱すぎる魔力を、私が側にいることで強大化できないか、と王家が考えての婚約。
その為、私は殿下が気付かないように少しずつ魔力を流し込んでいた。もしかしたら気付いていたのかもしれないけれど、そこへの配慮は私の仕事ではない。
幸い私の魔力は無尽蔵だったので、それをすることで体調が悪くなることもなかった。
婚約当初からグルナジェスト殿下は勉強も魔法の練習も随分と嫌っていて、よく剣の稽古に逃げている姿を見かけた。剣術も大切だけれど、王族としては魔法やこの国の成り立ち、政のことを優先して学ぶべき。そう告げれば、石を投げつけられた事もあったわね。魔法で粉砕してあげましたけれど。
そんな日々が二年ほど続いた時。第二王子コーリアド・ダルナイジュ殿下が生まれ、周囲の空気が変わっていった。
魔力の弱い第一王子と比べ、王族として十二分の魔力を持って生まれた第二王子に王位継承権の優先順位をあげるべきだという声が、強くなる。
元来、この国の継承位はその生まれ順ではあれど、魔力量によっては変わることがあった。事実、5代前の第62代国神王ガルレード・ダルナイジュ陛下は兄二人を退け女神王となったのだ。
「どうせコーリアドが王太子になるんだろう」
そんなことを言い出すグルナジェスト殿下を宥めながら魔法の練習をさせ、その度にいつもより少し多めに魔力を流し込むという私の努力。あの頃はそれでも、ここまでバカだとは思わなかったのよね。
けれど、私が魔力を流し込むことによって、そこそこの魔法を使えるようになったら調子に乗ってしまった。
「俺が魔法をうまく使えないのは、きちんと稽古をしなかったからだな。つまり、俺は稽古をすればもっとできるんだ。しないだけで」
──何がどうしてそうなった。
「殿下、それでしたらぜひもっと稽古を」
「いやいや、やればできるんだから、やらなくても良いだろう」
えええええええー!
野に放たれたバカに育て上げてしまったのは私なの? いいえ、そんな筈はないわ。
私だって、どうせ政略結婚で嫁ぐならそれなりに上を目指したいもの。公爵家の娘が上を目指すなら、もう王家しかないでしょう。そうなったら魔力の強い相手じゃないと、生まれてくる子どもに影響するわ。せめて並の貴族程度には魔力を持っていて貰わないと。
第一、国から依頼されたら断れないじゃない。相手は国神王陛下よ! それにまさかこの程度の魔力で、こんなに調子に乗るとは思わないでしょう。
国は国で、長年魔力を流すことを依頼してきたのだから、今更私にお役御免だなんて言えない。もう私には、この第一王子と結婚するしかないのよ。
でも、でも──。
結婚相手がバカなんて本当に……嫌!
*
「サハルアリシャ様?」
コーリアド殿下の声に、はっとする。いけない。思わず昔のことを思い出してしまったわ。
「あら、私ったらぼんやりしてしまったわ」
「お疲れなのですよ。あのバ──兄上が愚かなことをしでかしたので」
あらコーリアド殿下まで今、グルナジェスト殿下のことをバカと呼ぼうとされていましたわね。お気を付けになって。
「いいえ、それは全く全然関係ありませんの」
「力強い否定ですね」
「これでもう、グルナジェスト殿下の後始末に追われなくて良いのですもの」
「確かに。兄上の女遊びは酷いものでしたからね。それなのに、突然運命の愛? あれ? 情熱の愛でしたっけ」
「真実の愛ですわ、殿下」
「どれも大して変わりません」
「それもそうですわね」
笑いあいながら、新しく淹れられた紅茶を口に運ぶ。甘い香りが心地良い。
「お話し中失礼いたします」
「うん? どうしたの」
コーリアド殿下の侍女が、トレイに手紙を運んできた。それを手に取ったコーリアド殿下が、私に手紙を手渡す。
「──サハルアリシャ様、あなたに」
「私に?」
「父上からです」
第二王子の父親。つまりこの国の国神王陛下だ。もしかしたらついに?!
逸る心を抑えながら、受け取った手紙を開く。そこには、ひと時の後謁見の間に来るように、という文字が書かれていた。
次話更新は6/25(日)10:00予定です。