道貧連酒宴②~転居検討編
徳田と多村と俺のいつもの3人の飲み会が始まって間もなく多村が俺に聞いてきた。
「川本さんの住んでる下宿?学生会館?でしたっけ?部屋は結構空いてるんすよね?俺もそこに入れませんか?アンパンマンのテーマのステレオ合唱はもう腹一杯なんすよ」
「え?今のそれ引っ越したい理由なの?も少し分かるように頼む」
俺は元学生限定の学生会館に住んでいる。
少子化も進む昨今、60室を超える個室を埋めきれていないため、俺のようなおっさんの長期入居者や、免許取得などのための成人の短期入居も受け入れているので、普段は『学生会館』ではなく『下宿』と言うことが多いが。
ともかくそれでも空き部屋が埋まり切っていない状況のはずではある。
徳田からも疑問の声が上がる。
「多村の今住んでるマンションゆうたら今どきあの立地で家賃イチキュッパの月19,800円やろ?わざわざ引っ越そうなんて何やあったんか?」
多村の住んでるマンションは某一流企業の社宅だ。
福利厚生ってことで広さの割に家賃を安く設定しているらしいのだが、かなり古くなっているため、居住を敬遠する社員も増えて部屋が空きだし、多村のような企業外、どころかかなり得体の知れない人間も社員と同様の家賃で入居させるようになったらしい。
時代の流れで当初想定していた以外の住人を受け入れるようになったという点では俺の住む学生会館と似ている。
「いや、最近まで俺の部屋の両隣って『B類』の中年のオッサンが住んでたんすけどね。そいつらが立て続けにいなくなったと思ったらその両隣にそれぞれ似たような4人家族が越してきたんすよ。多分あのマンションを経営している企業に勤めている若いパパ、ママに幼児の子共2人っていう」
「はあ、両隣の『B類』が出てちょっと静かに暮らせる思たらそこに『A類』が入ってきたわけやな」
期限の決まった単身赴任で高い住宅費を払うのが馬鹿らしい、或いは自宅を購入する資金を貯める必要がある、等の理由で収入が有りながらあえてそのボロマンションに住んでいる住民が『A類』住民。
そのボロマンションの家賃さえ毎月払えるか怪しい身分だが、部屋に空きがあったため、ワラにもすがりつく思いでそこに住み込んだ住民が『B類』住民。
と、多村に言わせるとそのマンションの住民はその『A類』と『B類』の2種類にはっきり区別できるらしい。
それはもう遠目でもはっきりわかるくらいオーラからして違うとのことだ。
まあ、その感覚は分かる。
「今の職場って日曜は大概休日なんすけどね……その日曜の朝6時に両隣の部屋からアンパンマンのテーマ曲がステレオで聞こえてくるんすよ。それぞれの家族の子ども達の合唱付きで」
「ああ、そういうこと……」
「その後も子供たちのはしゃぐ声、エンディング合唱、その後の番組のオープニング合唱、と、一通り朝の子供番組の時間が終わるまで続くっす……途中に朝食の『いただきまーす』とか『ごちそうさまでしたー』を挟みながら……」
「たまの休みの朝からそれかい。そら引っ越したくもなるわ」
「まあ、最近では起きたらすぐイヤホン耳に突っ込んむようにはしてますけどね。もちろん日曜以外も子供らが寝てる時間以外は両隣から『幸せ生活音』響きまくりっす」
「今のお前の状況は分かったが、それでもウチの下宿に引っ越すのは止めた方がいいと思うぞ」
「そうっすかね?」
「まず建物内は全面禁煙だ。もちろんベランダも無い。こっそり吸っても臭いですぐバレると思うぞ」
「ぐ……禁煙はキツいっす……」
「俺もその規則がなかったらそこに引っ越すことを検討するんやけどなあ」
3人の中で俺だけタバコを吸わないのでその点では苦にならないのだ。
「それに個室も狭いからな。最低限の服とか以外の物の置き場もほとんど無い。お前の持ってる漫画とか手放したくないだろうけど、それを無理やり持ち込んだら家財道具のほとんどを捨てることになる」
「う……勿体なくてできそうもないっす……」
「それに部屋は個室だけど風呂、トイレ、洗濯機、乾燥機、電子レンジとかは共用だ。住人のほとんどが親元を出たてのガキ共だ。そういう共用設備なんかの利用のマナーが悪い奴もいる。悪いというよりそもそも共有物の扱いについてマナーってものが存在することを知らない感じか。そんな奴らに我慢できなくなって『やっぱここ出たいな』とかなっても家財道具をまた揃えなおすとこから始めなきゃならんぞ」
「それも馬鹿らしいっすね……あー、川本さんのトコは飯も出るし出費を今くらいに抑えて生活できるったらあそこしかないかなと思ったんすけど、そう甘くはいかないもんすね」
「基本的に『3~4年過ごして出ていく子供』を対象に想定した施設だからな」
「だああああっ!そもそも選りによって俺の部屋の両隣にあんな幸せ家族入れることが間違ってるんすよ!人の住環境を何だと思ってるんだ!管理会社に防犯ブザーぶち込んでやるっすよおおおおっ!」
「いやそれやめろ。だいたいそもそもで言うならあのマンションではお前の方がイレギュラーな存在だからな?住まわせてもらってるといってもいい側だからな?」
その後もいつもどおり荒れた多村が先に酔い潰れ、徳田と俺もそろそろ眠ろうかという頃、
「川本……今日話題に出たんで改めて聞いてみたいんやけどな。苫小牧の工場辞めて札幌に出てきたとき何であの下宿に入ろうなんて思たんや?タバコはともかく他のリスクについてはお前も入る前に気付いてたはずや。あそこに入るゆう話聞いたときはそら驚いたもんやで」
「ああ、まあ、一言で言えば女が原因」
「え?お前彼女おったんか?」
「違う、違う。俺が苫小牧でによく飲みに行ってたスナックにいた娘も同じ頃に札幌の飲み屋で働くことにしたって聞いて。工場勤めの頃ほど稼げそうもなかったし、彼氏候補気取りだった俺は、とにかくその娘に貢ぐ金をひねり出すことしか考えてなかったんだよ」
「んで、とにかく生活費が安く済む選択をした、ちゅう訳かい」
「バカだったよなあ……俺なんか金づるの一人でしかなかったのに。札幌に出てきて最初に入った会社がすぐ潰れたら連絡もブロックされてそれで終わり」
「何や嫌なコト思い出させて済まんな」
「いやいや、結局最善の選択になったと思ってるよ。結果良ければ全て良しさ」
徳田に言ったことは負け惜しみじゃないつもりだ。正直、今の住まいだからこそこんな生活でも少し余裕もある。
その余裕で購入した今晩の焼酎が明日に残らないことを祈りながら眠りにつく。これでいいじゃないか。