【28】落ちて、落ちて、落ちて
「お前……今俺に何をした、?」
中身不明の注射器で打たれたアレンは、突如として身体に襲った倦怠感に女を見た。だが、彼女はその頬を上げ笑みを絶やすことなく熱っぽく言う。
「上官様、わたくしになんの御用だったのでしょう?急な来訪ではこちらは何も用意できていないので困るのですが。わたくしの方の都合も考えてもらえると嬉しいですわ」
真っ直ぐに揃えられた焦げ茶の短髪を持ったその女は、クルクルとそこを回りピタリと止まる。まるで踊りを踊るように数を数えて停止したのだ。ここは地下の実験室ではない真四角空間の実技室であった。しかし、さほどのことでアレンも動じない。訓練の差が違うのだから。
「さてわたくしとお話ししてくださりますか、上官様?こう日常として研究に打ち込んでいると、どうしても他者との触れ合いに興味を持ってしまうのですよ。ご理解感謝致します」
「すまないな、ノスト」
返答もないのに、1人そこで頭を深く下げる女。彼女のその名を呼んだアレンは一応の上司からの立場として謝罪を述べた。だが、それとこれとは話が異なってくるのもまた事実。
「会話というものは、人間において必要不可欠なことですものね。それだけで知識も経験も上がり自分の思考能力も向上する。それも、自分よりも博識がある相手と話すだけでも尚更」
手を口元に当てて頬を染めるようにして言葉を紡いだノストに、アレンは躊躇いなく遮断した。
「ノスト、俺の時間は有限じゃない。そもそも忙しい俺にとって外敵の駆除なんて一瞬で終わらせないといけない案件なんだが……」
「あら、なんのことでしょう?」
背に背負っていた大剣を引き抜き、その言葉を合図とするように一瞬にして距離を縮めるアレン。単純に、だが大振りに。力技で一気にその空間を抉るようにして断絶するのだった。
「……急に、何をするのですか?」
言葉とは裏腹に行動には、余裕があって予備動作さえもがきちんと前もって準備されていたかのように。焦りが見られない彼女は腕を前に出して風圧に耐える。
「分かっているだろうに」
アレンの言葉が風とともに彼女に届くと、ブツブツと呟いた後にアレンの方に視線を向けた。
「薬が全身に回る時間は……ざっと2、3分程度でしょうか。致し方ありませんね。上官様は酷いお方です」
薄く笑ったノストは、後方に退くようにして距離をとる。だがアレンもそれを見据えて彼女に向かって前進し、そのまま剣先を彼女に繋げた。
交差する視線と攻防に時は、ぐるぐると回り続ける。
空中を跳んで転回した彼女の身体はふわりと宙に舞って華麗に襲った爪を躱した。しかし、斬撃は彼女を捉え、髪を掠り頬を横切る。その程度の傷、どうでもよい外傷でしかないことは二人共が実感していたのだが。着地したノストは頬から垂れた血筋に気づいて、指でなぞってアレンに笑いかけた。
「どうでしょう?私の新薬の効果は……」
「何を言っている?俺の身体には何も問題ないが。この程度の作用、効かないような特別な仕組みになっていてな」
大剣を空で一振したアレンは、ノストを鋭い眼光で睨みつけた。自身の部下ならば尚更落とし前はここでつけなければならないと。
「わたくし、自身の罪に理解が及んでいないのですが。実際上官様はどうして、わたくしを捕縛しようなんてお考えなのです?分かりやすく端的に理由をお願いしたいですわ」
小首を傾げて妖艶さを装っていても所詮は、考えなど変わらないだろう。この女の脳内の残酷さには虫唾が走ると言ってもいいくらいだから。
「お前が魔女の大量虐殺を犯しているからだ」
「魔女狩りなんていうのは、そのような存在でしょう?実際に狩るのが仕事なのですしそれは当然の責務ですよね?」
アレンは踏み込んで、女に迫る。軽やかにステップを踏んで避けるのはノスト。遠心力を使用して1歩前に大きく剣を振りかざすのがアレン。
「お前らは魔女狩りの概念を間違った捉え方をしているようだ……ッ!」
足を素早く動かして、彼女の懐に潜り込んだアレンはそのまま刃を上に振り切る。強く前へ前へと伸ばされる剣筋にノストは腕を犠牲にして相手にした。
「概念?なんですか、それ?狩人に相手を殺さないという道はないと思うのですが、これってわたくしの独りよがりな妄想なのでしょうか?」
剣がくい込んだ腕からは赤い液体がぼとぼとと垂れ落ち、血肉が裂けているのが鮮明に映った。血の独特な香りでさえも鼻について気分を害する。しかし、見るに堪えない形状へと化してもノストが気にする素振りはない。
「知ってるか?」
唐突に、アレンは彼女の頭上から話しかけた。奥歯にぐっと力を入れてアレンは彼女を睨みつける。
「正直俺にとって、魔女なんていう存在はどうでもいい存在なわけだが俺はここにいる。では、なぜこんな場所にいるのか。能力だけは認められてこんな幹部という立場まで上り詰めて、部下も持って。どうしたいのか。実際殺しなんてなんのためにあるのかだって分からないし、俺は俺個人で動いているようなもの。だが、いつだって理由は簡単だよ。自分の信じた道がそこにあったからだ」
大剣がノストを横からぶん殴って後方に跳ばす。だが、回転した体勢のまま壁に上体を打ち付けることなくノストは勢いを足で吸収し地に降り立った。
「はい。人は、皆理由があって行動をとっているのです。例えばそこら辺を歩いている人だって目的や理由があるから歩いている。上官様がこうしてここに来たのだって、わたくしがこういう行動を起こしたのだって全てに意味があり全てに理由があるのです。欲求や責任、理由がなければ人は生きている意味を見失うとわたくしは考えています」
そう言ったノストは、ギリギリに繋がっていた自身の腕を自分で落として狂気的に笑みを浮かべた。それは何よりも冷たく、何よりもおぞましさを添えて。
「お前……狂っているな」
「そうでしょうか?ずっと前からわたくしの思考は壊れていましたよ」
血肉が落ちて、彼女の足が着く付近が赤く染って、それはそれは強く闇を浮かべていた。
「自分の力を欲する欲望が強すぎて、周囲なんて見失うくらいに。1度力を手に入れたら極限まで欲しくなってしまい、自分よりも上に立たれるのはプライドが許さなくなって。それも、誰かを蹴落として自分の存在を認めさせたくなるのですよ。人の上に立ってわたくしを見下してきた人間を嘲笑うのですわ」
黒い何かがノストを覆って実態化していく。
「リミットは残り2分にも満たない。どこまでわたくしを追い詰めますか?」
「この組織は自由だ。だが入隊の前に規定を制定したはずだろう。自分を信じると。だが、お前は自分の力を信じなかった。それはお前が自分の身体を弄って、犠牲を設けて他人の命を奪ったからだ」
ノストは矛盾を言葉にする。
「信じてますよ。わたくしはわたくしだけを」
だから、アレンは鋭い殺気を彼女に打ち付け八重歯を見せて彼女に挑戦的に笑った。これは彼という1人の男が話していることだった。
「じゃあ、そういう建前はなしにするわ。もっと簡単に言うとしようか。俺は自分の正義を貫く。ただそれだけのことに過ぎない。だが、お前が俺の正義に反する行動をした。従ってお前を捕縛する。どうだ、明白な答えだろう?お前の欲した答えだったか?」
するとノストは、目を見開いて大きな声で叫んだ。
「素敵です。上官様、改めアレン様。では、わたくしはそれに抗う健気なヒロインでも演じましょうか!?」
同心円状に舞った黒のモヤが一瞬にして聖女へと変わる。
「黒天使……」
実際は言われているものの、黒に染る天使など存在しないとされる。従ってこれも全て彼女が作った新しい研究の成果なのだろう。
「そうです。わたくしの天使ですわ。綺麗でしょう?」
ノストが残った片手を前に出して、アレンに向かって黒天使を向ける。天使は祈って紫を構築した。
「あぁ、そうそう。あのトオリという少女。面白いですねぇ、あんな素晴らしく洗礼された純血。見たことないですわ。今頃壊れていますかねぇ、わたくしの暗示に……あとで解剖するのがとても楽しみです」
ニッコリと笑ったノストの言葉に少女を思い出したアレンが心の内で冷や汗を垂らした。薬はゆっくりとだが確実に身体を巡っていた。
しくじったか?いや、かたをつけるなど俺にとって苦ではないか。
自分に言い聞かせたアレンは真っ直ぐな床を強く蹴り飛ばして閃光のごとく、本体に向かった。
叩くなら邪魔な大型化け物ではなく小さな女の方に決まっている。
光のごとく狭まった距離にアレンは、大剣で一閃を引くのだった。




