第5話 ご令嬢は時として落ち込む
唐突だが、魔王城という単語から、その姿を想像してみて欲しい。
恐らくは、常闇の世界に聳え立つ、漆黒の城を思い浮かべるはずだ。
背景では雷が鳴り響き、立ち入る者は全ての希望を棄てざるを得ない外観をしていることだろう。
「……」
だが、実際の魔王城は、その真逆である。
魔王城がある地域一帯は特段雷が多い訳でもなく、霧の立ちこめる森の奥深くにある訳でもなく、常闇ですら無い。
むしろ朝日を浴びる白亜の城は金色に輝くかのようであり、その姿には荘厳さすら感じられるだろう。
全くを以ってイメージに合わない外観をしている。
無難に一言で表現してしまえば、普通の――美しいだけの城だ。
そして何と言っても、魔王城随一の名所がそのイメージとの乖離を強くしている。
魔王が手ずから作り上げた、訪れる者全てがその美しさに目を奪われるというバラ園。
「令嬢よ! さぁ――」
そんなバラ園の中央、かつての勇者が手にしたという聖杯を模した噴水の手前にて、
「――俺を踏むが良い!」
魔王城の城主であり、魔族連合国の国家元首である魔王その人が、五体投地で以って人質の娘に変態的な行為を要求していた。
「…………」
最早表情すら変えずに、令嬢は回れ右のまま来た道を戻ろうとする。
「待て! 待たんか! これでは、俺が馬鹿みたいではないか!」
「……事実、馬鹿なのではなくって?」
魔王城というロケーションに置いて、最も似つかわしくない場所で、最も似つかわしない相手に、最も理解し難い行動を取られた者は、こいつ頭大丈夫か? 以上の感想を抱けなかった。
「むしろ、頭大丈夫ですの?」
思うだけではなく、ストレートに指摘したのは、むしろ慈悲の心であろう。
言葉が時として刃になると言うならば、介錯を以って断ち切ってやるのも、また情けというものだ。
「えぇー……」
しかし、その冷淡な反応に、魔王は悲しげとも言える表情を浮かべる。
例えるならば、誉めて貰えなかった子供のような顔だ。
「……一体全体なんですの? それは」
ため息混じりに、本当は理解したくも無いが、と枕詞を付けながら令嬢は一応理由を尋ねる。
「いや……令嬢よ、お前が最近落ち込んでいるようだと思ってな」
立ち上がりながら、ぼそぼそと魔王は理由を語る。
「お前には、何だかんだと世話にもなっている故な……その、なんだ? アレだよ、アレ」
「アレ、では分かりかねますわ」
「お前を、その……何だ? 元気付けよう、と、だな……」
「はぁ……」
理由を告げられた令嬢は全く理解が及ばず、気の抜けた返事しか出来なかった。
確かに本人も、戦場から戻って以来、気落ちしていたのは自覚があった。
生まれてはじめて、人の死を目にしたこと――そして何より、その死の原因が自身であること。
これで気落ちしない程に、令嬢は神経が太くも無ければ、性格が破綻してもいない。
勘違いされがちな人生を歩んできてはいるが、彼女は極々真っ当な人格の持ち主である。
ただ、合理性という悪神を信奉しているに過ぎないのだ。
「お気持ちは有り難いのですけれど……何故、そのような結論に至りましたの?」
「何故って……趣味なのではないのか?」
「――はい?」
少しだけ、そう……ほんの少しだけ、不器用ながらに自身を気遣ってくれたのだという事実に、温かい気持ちを懐きかけていた令嬢は、咄嗟に言葉の意味を理解できなかった。
「その……人を踏む趣味も踏まれる趣味も、俺には良く分からんのだが、ひと肌脱いでやりたくてな」
頭痛が痛い。
文法として正しくないと理解しつつ、令嬢は自身の心境をこれ以上的確に表現し得る言葉を思い付けなかった。
「アナタ、少しは頭をお使いに……」
令嬢は自身が修める火星古武術『機甲術』を以って、魔王を制圧しその顔面を踏み抜いてやろうと咄嗟に画策するが、思い留まる。
いやいや、自身のこうした行動が勘違いの原因であると、合理性が告げてくれたのだ。
彼女は己の自制心と、神に感謝をしつつ、ため息一つを吐き出す。
「……まぁ、良いですわ。お気遣いに感謝だけはいたします」
「お、おぉ……?」
既に自分の運命を悟り、身構えていた魔王が呆気にとられるように、ぎゅっと瞑った目を開く。
「但し、一つだけ訂正を……誤解されているようで、甚だ残念ですけれど――私も人を踏んで楽しむ趣味は持ち合わせてはおりませんの」
「そ、そうなのか……?」
とてもそうは思えない、と続く言葉を、魔王は自身の危険察知の能力により全力で回避する。
それを言えばどうなるか、火を見るよりも明らかであった。
「私の趣味は、そうね……お茶を楽しんだり、読書をしたり、そういった些細なものですわ」
「そ、そうか……」
意外だな、という言葉も、持ち合わせてすらいない未来予知の能力が、決して口にするなと教えてくれた。
「で、では、どうだろうか……ここではハーブも何種か栽培していてな、ハーブティーで良ければ幾つか出せるぞ」
今の魔王は、いつになく冴えていた。
いつもこれくらいに的確であれば、既に世界を手中に収めていたであろう冴えっぷりであった。
つまるところ。
「そう、ね……少し、落ち着きたい気分ですわね、確かに」
その選択肢は、正解だった。
そもそも令嬢がバラ園を訪れた理由も、気を紛らわせるためだったのだから、目的にも合致している誘いである。
「よし! ならば、宰相に菓子でも用意させよう」
「メイドに頼めば宜しいでしょうに」
「奴の作る菓子は絶品なんでな」
「意外な趣味ですわね……」
「そう言ってやるな。それに奴も混ぜてやらねば、可哀想だろう?」
「なるほど……それでは、よしなにお任せいたしますわ」
後にこの二人、三男四女ニ柱――計九人の子をもうけるのだが、今はまだその兆しすら芽生えていない。
恐らくは。
出展
・火星古武術:漫画「銃夢」に登場する架空の武術です。
サイバーパンクの金字塔的漫画です。