第3話 ご令嬢は反乱を鎮圧する(前編)
「サラ○ンダーより、ずっと早い!」
公爵令嬢は、大空の下、白亜の竜の背で、不穏な言葉を発した。
「え……? 誰のことでふか?」
「……何でもないですわ」
舌っ足らずな口調で喋るドラゴンの素朴な疑問に、令嬢は恥じ入るように頬を朱に染める。
その様子を見た白毛のドラゴンは、小さく首を捻った。
「――それにしても」
現実逃避をしているな、と自覚した令嬢は目下の課題と対峙すべく、話題の転換を計る。
「……圧巻ですわね」
眼下に広がる戦場を目にして、令嬢は呟く。
それはどこか、超然とした態度のようにも見えた。
「怖くないんでふか?」
「私に怖いものなど有りませんわ……と、言いたいところですが――」
「怖いんでふか?」
「ええ、怖いですわ。高いところが苦手なんですの」
「低く飛びまふか?」
令嬢は幼いドラゴンが真に受けたことを察して、苦笑と共に首を横に振る。
「冗談ですわよ……」
「じゃあ、何が怖いんでふか?」
「人が……沢山死んでいますもの。恐ろしくて、今にも逃げ出したくなりますわね」
「皆、魔族でふよ? 人間さんからしたら、敵なのではないでふか?」
幼い純粋な疑問に、令嬢は悲しさに似た気持ちを抱いた。
全てが敵と味方だけで判別できれば、それはどれだけ楽なことだろう、と。
「命は命ですわ。それが失われるのを忌避するのは、生ける者の本能かもしれませんわね」
「それなのに、何で皆戦争をするんでふか?」
悪意の欠片も無い純粋な言葉が、胸に突き刺さる。
だが、令嬢はその痛みを堪え、自身が始めてしまったことを受け入れる。
「それは……私のせいですわ」
そして同時に、なるほど、と納得した。
魔王が恐れるのは、この痛みだったのか、と。
----
――遡ること数日前。
「令嬢よ! ちょっと待――痛ッ! 流石に痛いぞ!」
この一カ月で最早日課と化した光景に、獣人宰相は目頭を抑えることで耐える。
むしろ、自らの主が人質であるはずの令嬢に足蹴にされることも、半ば受け入れつつあった。
「それで? もう一度仰って頂けるかしら?」
「どこからでしょうか? 一部の族長が反乱を起こしたところですか? それとも、魔王様が鎮圧を拒否なさっているところでしょうか?」
「後者に決まっているでしょう!」
踏みつけている鳩尾に、ヒールが深く食い込む。
「何ゆえ! 反乱の! 鎮圧を! 拒否! するのです!」
「ぐえ! ぐぅ! おえ! ちょっ! 吐く!」
声と力のアクセントに合わせて、令嬢の足元で蛙が鳴くような声をあげる魔王。
「か、彼らにも言い分があるだろう! 痛っ!」
その姿と台詞からは、人間達に恐れられている魔王というイメージは連想されない。
完全なるお人好しの変態だった。
「統治者が! 舐められたら! 国が! 傾きますわ!」
「ごもっともでございます」
これに関しては流石の獣人宰相にも、自身の王を庇える要素が見当たらなかった。
一部の族長が反乱を起こすのは、予定調和だ。
特に力有る者ほど、変化を嫌うもの。
国家安寧――より正確には軍事力や独裁体制の強化――のために、改革に付いてこれない者は排除せざるを得ない。
如何にマッチポンプ的だと罵られようと、戦時下の――ましてや専制君主制国家においては、君主への疑念は破滅に繋がる。
「アナタ、分かっていますの? 国が傾けば、力無き民が真っ先に傷付くのよ?」
「そ、それは……」
「自国民に優しくしたいのならば、敵に悪魔と呼ばれる覚悟をなさい! さもなくば、この世の全てを庇護下に組み込むしかないのよ!」
過激に過ぎるが、令嬢の言葉にも頷ける部分があると魔王にも理解はできた。
しかし、人が傷付く姿を考えると二の足を踏んでしまう。
そんな考えが表情に出ていたのだろう、令嬢はため息を返す。
「致し方ありませんわね……いえ、考えようによっては好都合かもしれませんわ」
「お、おい……貴様、何を考えて――」
「宰相殿、敵兵力はどの程度ですの?」
「およそ八千ほどとの報告です」
「敵軍の構成は?」
「今回の軍事改革施行前より予期されていた通り、大鬼族、豚人族、蜥人族を中心とした部隊となっております」
宰相の言葉に、やはり脳筋共か、と事態が想定範囲内に収まっている確信を得る令嬢。
だが、宰相が言葉を続けることで、その考えは覆る。
「ただ想定外なのは、馬人族までもが反乱軍に与しているようです」
「忠義に厚い部族……と認識していたのですが?」
「その通りでございます」
引っかかるものを覚えるが、全てが上手くいく訳もない、と令嬢は素早く切り替える。
「――国軍として再編した部隊で、調練を終えている数は?」
「即時実戦配備が可能な数となりますと……」
狼の表情の変化を細かに察する能力を令嬢は有していなかったが、この時ばかりは宰相の言わんとすることは理解できた。
つまるところ、ゼロに等しいのだろう、と。
「完璧な連携は求めません。指示通りに部隊を動かせるだけの数は?」
「およそ四千から五千ほどは、どうにか……」
数は概ね敵の半分。
練度は低い。
なるほど、絶望的ですわね、と令嬢はいっそ朗らかに見えるほどの笑みを浮かべる。
「敵に航空戦力は?」
「確認できておりません」
「こちらの飛ばせるドラゴンの数は?」
「十騎は飛べます。何騎かは攻撃能力をあまり持ちませんが」
「ドラゴンも三目族同様に念話を使えるのでしたわね?」
「ええ、何種か……特に攻撃能力の低い種族は」
「ならば、結構。航空偵察のために全て上げなさい」
「承知いたしました……それで、指揮の方は?」
宰相は、足蹴にされたままの魔王をチラリと見る。
「――この際です。この度の軍事改革にどれほどの意味があるか、実践を以って証明いたしますわ」
つまり、魔族にとっての虎の子である魔王は用いない、と令嬢は遠まわしに言っていた。
「私自らが指揮をとります。攻撃能力は低くても念話の使えるドラゴンを用意して頂戴」
「なっ――! 貴様、何を馬鹿――ぐぇ!」
「馬鹿は! アナタ! ですわ!」
誰のせいでこうなっているのだ、と言いたい気分だった。
だが、令嬢は敢えてみなまで口にはしない。
彼女は今回の改革に、幾つかの目標を設定していた。
自らの改革の意義を理解させ、魔族の軍事力を強化することは勿論事実だ。
だが、自身のもたらした成果により魔族内での発言力を得ることや、その邪魔をし得る者を早いうちに見つけ出し、いずれ排除することも含まれている。
――全ては彼女の目的を果たすために。
正直にいえば、こうも素早く反乱が起きなければ、もう少し後に穏当な手段で実行できたことばかりだろう。
とはいえ、これはいずれ必要となる通過儀礼ではあったし、何よりも自分の行動が産んだ結果でこうなったのだ。
時間が限られているともなれば、都合が良いとさえ言えた。
そして何より、自身の手で責任を果たす必要性を感じているのだ。
「詳細は後ほど詰めますわよ。まずは軍を動かす準備をなさい!」
「――はっ!」
駆け足で執務室を後にする宰相。
それを追うように歩き出す令嬢。
取り残される魔王――
「――アナタも行くに決まっているでしょう!」
「お、おう!」
「分かっていますの? イザとなったら、私を助けるのはアナタの役目よ?」
責任を果たす、とは言いながらも保身を計る自身に、令嬢は苦笑してしまう。
人質という立場まで利用して、生き残りたいのだ。
だが、致し方有るまい。
誰もが死にたくはないのだから。
「あぁ――問題ないとも! 助けるのであれば、俺に任せるとよい!」
それは得意だ、と自慢気に胸を張る魔王の姿に、令嬢は思わず笑ってしまった。
まるで、自分とは正反対だ、と。
「何ですの、それ? アナタ、本当に魔王なの?」
「何だ? おかしいのか?」
「いいえ、お似合いですわよ……」
こうして後に全人類種を戦火に飲み込む二人は、初めての戦争を開始した。
本作は純度100%(当社比)のコメディ作品です。
ただ、たまにシリアス回を入れた方が良いと、脳内の神に囁かれました。
きっと悪神なのでしょう。
----
※念の為作中の出典を。
「サラマ○ダーより、ずっと早い!」 :某スク○ア様 三大悪女の一人のお言葉です。トラウマ。