第2話 ご令嬢は改革を断行する
「まずは、改革が必要ですわ!」
魔王の執務室に訪れる、一瞬の静寂。
「「仰ってる意味が分かりません」」
この魔王城において、最大の力を持つ二名が同時に頭痛を覚えた。
「そもそも、軟禁しているはずの貴女が何故ここに……」
ブラックスーツをキッチリと着込んだ獣人の魔族が、目頭を押さえながら疑問を口にした。
「あら? 貴方はどなたかしら?」
狼の頭を持つ魔族を見て、怯む様子もなく公爵令嬢は首を傾げる。
「――お初にお目にかかり光栄です、レディ。私はこの国の宰相を務める者です」
灰色の毛並みを持つ狼人間が、実に紳士的な態度で以って一礼する。
自身の疑問を黙殺された者と考えれば、実に犬が出来た態度であった。
「これはご丁寧に。以後、お見知りおきを」
淑女たる教育を受けている令嬢も、負けず劣らずの完璧な礼で以って応じる。
「それで……どうやって部屋を抜け出したのですか」
「そんなことはどうでも宜しいですわ! 今は、この国の改革を語るべき時よ!」
「どうでも……」
再びの封殺に、再び獣人宰相は目頭を抑えた。
「魔王! ここの資料は拝見しましたわ!」
「待て待て待て! 国家機密だぞ!」
「そんなことはどうでも良いですわ! この国には今すぐ改革が必要よ!」
人の話に全く耳を貸さない令嬢に、魔族二人は絶望的な思いを抱く。
多種多様な種族を誇る魔族の中においても、ここまで人の話を聞かない者はそう居ないだろう。
「――まず以って、この国で近年行われた農業政策や、教育機関の設立には素晴らしいものがありますわね。その点は素直に賞賛いたしますわ」
「お、おお? その重要性が理解できるのか?」
自身が周囲の反対を押し切ってまで実施した政策を褒められ、思わず魔王は頬を緩める。
頭に生えた二本の角が、心なしかピコピコと動いているようにも見えた。
「狩猟主体の各部族への農業実施の指示、および農業従事者への税優遇、効率的な農業伝授、生産性の高い稲作の推奨、これだけ見ても素晴らしいと言えましょう。食料生産率の数値を見ても分かります」
絶賛であった。
数日前――初めて邂逅した際に、人の顔面を足蹴にした者とは思えないほどの絶賛である。
「教育に関しては、義務教育を始めたことにより学力や識字率の向上等が見受けられるようですわね……」
魔王とは思えないほど、実に健全な治世を行っていた。
やはり世間のイメージとの乖離が激しい姿である。
「で・す・が!」
その言葉と共に魔王を小足払いで倒してのけ、その額を踏みつける令嬢。
「痛っ! な、なにをするか!」
「これは平時の政策ですわ!」
「な、なんだと?」
「民の識字率を上げてどうするのです。戦時下において民は無知な方が都合が良いの」
その方が操り易いでしょうに、と真顔で言い切る令嬢こそ、魔の王と呼べる発想をしていた。
「あと、アナタの政策で致命的な点は、軍事方面がさっぱりと言うことよ」
その言葉に反応したのは魔王よりも宰相だったが、特に何かを口にすることはなかった。
「魔族は人間に比べれば、単体での戦闘能力が平均的に優れますわね」
「それは当然だろう、だからこそ数で劣る我らが人間と拮抗しているのだ」
「所詮は拮抗よ。本来であれば圧勝できていたはずですわ」
「な……」
まぁ、もう無理ですけど、とのたまう令嬢の言葉に、踏まれていることも忘れ思わず大口をあけ絶句する魔王。
「人間の数が今より少ない内に、どうにかすべきでしたわね」
人間の最大の武器は、その寿命の短さ故の世代交代の速度と、繁殖能力だ。
平均寿命の長い魔族とは、根本的に生きる速度が違う。
「ただ、まだどうにか出来ますわ」
「それは、本当なのでしょうか?」
堪らず、宰相が口を挟む。
しかしその内容は、自らの王が踏み躙られていることに対してではなかった。
「ええ、勿論ですわ。お聞きになられます?」
「貴女の言葉に納得できるのでしたら、実行すらいたしましょう」
「良い覚悟ですわ」
令嬢が、ニンマリと音のしそうな笑顔を浮かべる。
それに引きずられるように、理知的な瞳を持つ狼の顔も笑みを見せた。
「まず、確か魔族には念話を使える種族が居ましたわね?」
「ええ、三目族のことですね。戦闘能力は皆無ですが」
「彼らを各部隊に配置なさい。あと、部族単位で族長の下で戦う、という方針を廃止よ」
「それは……各族長達が反対するでしょう」
「無理にでも従わせなさい。魔王の力は絶大だと聞き及んでいます。そうなのでしょう?」
突然の質問故か、それとも踏まれる痛み故か、魔王はビクリと震える。
「い、いや……それは――」
「――事実です。神に選ばれた魔王様は、同じく神に選ばれた存在――勇者以外では痛痒すら与えられません」
「ならば、結構。逆らう者の首はお刎ねなさい」
「お、おい……俺の意思は――」
「そして、足の早い種族、硬い種族、空を飛べる種族、遠距離攻撃のできる者、全てをバランスよく部隊編成し相互に支援させる。つまり、諸兵科連合ですわ」
それは、様々な兵科の利点を活かし、相互に連携させる運用形態であった。
「更に、先程の三目族によって、各部隊に連携を取らせなさい。太鼓や笛の音での合図ではなく、ちゃんとした情報連携が可能になりますわ」
上手くすれば散兵も可能になりますわね、と公爵令嬢はいっそ朗らかに笑う。
彼女は、用兵思想のパラダイムシフトを狙っていた。
それは、剣と魔法の異世界であるこの世界では、確実に異質な発想である。
だが、それは宰相の脳裏に福音として刻み込まれた。
「なるほど――早速、実現可能性と費用について検討を開始いたします」
「そうして頂戴」
「はっ!」
その言葉と共に、執務室を急ぎ足で後にする宰相。
最早、誰の部下か分からない態度であった。
そして後に残るのは、踏みつけられている被害者と加害者。
「俺は……いつまで踏まれていれば良いんだ? 痛いっ!」
「ふん……少しは魔王らしくなさい。アナタには、高貴な私を攫った責任があるのですから」
その言葉と共に、足をどけ執務室を去っていく公爵令嬢。
「な……何なんだ、あの女は……」
後に、統一国家を築くに至るこの二人であるが、実は双方ともに前世では異世界の『日本』という国の者だった。
だが、互いの素性を知ることは、終生遂に無かったという。




