第1話 ご令嬢は誘拐されるもの
今は昔より、どこの世界でも姫と呼ばれる存在は魔王に攫われるものと、相場が決まっている。
そして魔王と言えば、麗しい淑女を拐かすものと定められているものだ。
それを人は伝統と呼ぶ。
暗い部屋で魔王が姫に詰め寄り、耳元で囁くのだ。
『我が物になるがよい』なり『お前を助ける者は居ない』、と。
そして姫は服従を峻拒し、助けがくると清らかな心のままに頬を打つ。
これこそが、伝統である。
それこそが、あるべき姿であるはずなのだ。
故に、ここに語ろう――
「ヌルい! 生温い! 生温すぎますわ!」
「待て! 待たんか! 公爵令嬢よ! 痛っ、踏むな!」
由緒有るその伝統は、断じて今繰り広げられているような姿ではあるまい、と。
「私を! この、わ・た・く・し・を! 攫っておいて、たかが停戦交渉の人質ですって!?」
「痛い! 流石に痛いぞ!」
麗しい金髪の少女が、グリグリと、魔族の王たる者の顔にヒールを食い込ませている。
魔王の色黒ながらも端正なその顔が、思わず苦痛に歪む。
「これを生温いと言わずして、何と言いましょう!」
「待て! 貴様は戦争の終わらせ方というものを――」
「否! 他に言葉など有り得ませんわ!」
「聞かんか!」
この世界を二分する魔族の王たる威厳は、微塵にも感じられない姿。
だが、それも致し方が無いのだ。
魔王とは、とどのつまり魔族達の王でしかなく、その実態は統治者にすぎない。
決して、世間がイメージするような、悪の王ではないのだ。
「アナタ! それでも魔族の王なのですか?」
交戦国である――人間側でも最大の国家ゴトフリード王国宰相の娘にして、第二王子の婚約者の身柄。
永きに渡る戦争を停戦に導ける可能性を、最も有益な人質を、降って湧いたチャンスを、傷付けようなどとは露ほども考えられない。
「この高貴な私を人質に取ったのならば、求めるべきは唯一つでしょうに!」
「き、貴様は何を言っている!?」
魔族と人間との戦争は既に百年以上にも及んでおり、一部タカ派を除けば双方ともに停戦のきっかけを欲していたのは、政に携わるものの間では最早公然の秘密だった。
だからこそ、この人質は役に立つと信じ、自らの心情や不安を無視してまで彼女を攫ったのだ。
明らかに何者かにお膳立てされていると理解しながらも、人質を得た。
その結果がこれである。
「――人間全てに降伏を要求するのよ!」
これは後に、人間、亜人、魔族、有りとあらゆる全人類種を戦火に叩き込み、そして後に史上初の統一国家を建国するに至る女傑と、その腹心の物語である。
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