第26話 ご令嬢は疑うもの
連合国軍に所属する四腕族のとある若者は、戦場を何とも言えない気分で歩いていた。
それは若者特有の気分であり、特権ともいえる感情である。
つまるところ、彼が思っていた初陣とは激戦であり、勇猛果敢に戦う己というものを夢想していたのだ。
だが、彼は一介の兵に過ぎず、今はこうして既に終わった戦場の片付けをしている。
当然ではあるが、これも重要な仕事であり、歴とした軍務である。
戦場の死体などをそのまま放置すれば、疫病や呪いの類でろくなことにならない。
故に、誰か――この場合は彼らの部隊――が片付ける必要があるのだ。
どうにも、その現実が腑に落ちない。
本隊は潰走している敵軍の追撃にあたっているのだが、従軍歴の短い者や年嵩の者からなる二軍は留守番である。
若者の多くは武功を立てる機会を欲しており、追撃戦に参加できないことを不満に思っていた。
勿論、四腕族の若者も同様の気分だった。
――少なくとも、戦場の爪痕を直に目にするまでは。
攻囲戦の最中は城内に居たため、殆ど何が起きていたか理解していなかった。
とてつもなく巨大な何かが暴れているのだけは音や衝撃で理解していたが、実際にその痕跡を目にすると恐怖しか湧かない。
ガラス化した大地は、未だに高温で近づけない。
巨大な足跡には挽肉のような何かが無数に転がっている。
黒焦げた何か、千切れた何か、細切れと化した何か。
もう既にそれが何だったのかも判別できないほどの有り様に、恐怖しか感じなかった。
だが……と、彼は思う。
生者の過去形になれるだけ、まだマシなほうなのだろう、と彼は少しずつ実感していた。
戦場の中央に近付けば近付くほどに、彼の脳は違和感を覚えたのだ。
どんどんと、死体が減っていく。
近付けば近付くほどに、戦いの跡が減っていくのだ。
それが何か得体のしれないものを見るようで、恐ろしかった。
そして遂に、彼は戦場の中心に辿り着く。
――そこには、何も無かった。
戦場の後片付けをすべき彼らが、その職務を果たすべきものは何も無かった。
最も大量の人命が失われた場所は、汚れ一つ無く、いつもと変わらぬ光景が拡がっている。
五〇万もの死が量産された痕跡は、何一つ残っていなかった。
最早、恐怖を通り越して、理解しがたかった。
その光景と……それを作り上げられる者が存在する戦場に、もう近付きたいと思えはしない。
現実を知らぬ若者が一人、慎重な大人へと成った日である。
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魔王城攻囲戦より五日後。
魔王城大会議室。
連合国軍臨時幹部会。
「――それでは、現状の報告をお願いいたしますわ」
「御意に。拙者から概要を説明させて頂くでござる。まずはお手元の資料をご確認くだされ」
蜥人族族長の言葉に、会議出席者は手元の資料に目を落とす。
資料には魔王城攻囲戦当日から本日までの報告が記載されていた。
魔力がほぼ空になり墜落した魔王および、肉体の維持が限界になりつつあった獣人宰相、地母龍を回収した魔王城防衛部隊は、その勢いのまま残存する敵部隊を追撃。
追撃戦の通例通り、連合軍の損害は軽微であり、侵攻軍はもはや軍の形を成していない状態にまで追い込まれたことが資料には記載されている。
特記事項として、魔王ら三名は無事であることも記されているが、特に詳細な説明はなされず、それを誰も気にはしなかった。
理由は極々単純である。
「いやはや、本当に助かったのじゃ。たまには魔王共にも感謝せんといかんのぉ」
完全とはいえないものの、回復しつつある本人が会議に出席しているのだから、誰も気にしようが無かった。
全身包帯――魔力回復用の呪符――姿の地母龍が、常と変わらぬ様子で呵呵と笑う。
「ふん……貴様に感謝されても嬉しくはないな」
「なんじゃ、小僧めが。照れよるのか?」
「うるさい……というか、貴様は何故平気なんだ? 宰相はまだ寝込んでいるというのに」
「鍛え方が違うのじゃよ。鍛え方が、の」
地母龍の意図的な――大げさな笑みに、場の空気が少し弛緩した。
「ワシのことより、魔王よ。お主は平気なのかの?」
「無論だ。鍛え方が違う」
「そういう意味では無いのじゃが……まぁ、良い。蜥蜴の、すまんな。話を止めた。続けてくれて良いのじゃ」
心優しい小僧――魔王の精神面を年長者として気遣った地母龍は、彼が無理をすると決めたことを察して早々に軌道修正する。
それもまた、気遣いの一種ではあった。
「御意でござる。それでは、次は要塞線の損害について――」
概略としては、要塞線防衛部隊も大損害を受けながらも何とか無事だった。
防衛部隊を拘束するために残置されていた敵部隊も、追撃部隊と要塞線防衛部隊の挟撃により二日前には排除が完了している。
「――これで、連合国領域内の小鬼族軍は排除がほぼ完了したでござる」
「俺っち達もホント助かったぜ。あと二日遅れてたら、死んでたかもしんねぇからな」
「然リ……皆ニ心ヨリノ感謝ヲ申シ上ゲル」
何のかんのと生き残った大鬼族族長が、隣の席に座る豚人族族長の肩をバシバシと叩きながら笑う。
彼らも敵が残置していた三〇万の軍を相手に、数日間よく善戦していた。
生き残ったことが、正にそれを証明しているだろう。
主要メンバーの誰も失わず、奇跡的にも危機を脱したと評されるべき状況である。
運の要素が非常に強く、声高に勝利だと叫ぶのは憚られるが、少なくとも耐え凌げたことをまず以って喜ぶべきだろう。
敵主力の撃破がなされたと考えられるのであれば、尚更だ。
しかし……というべきか、やはりと表現するべきか。
手放しに勝利だとは言い切れない事情があった。
故に、事後処理に慌ただしいこのタイミングで、主要な者一同が顔を合わせているのだ。
「さて……ここからが問題でござるが……改めてご両――豚人族族長殿にご報告をお願いしたいでござる」
「承知シタ」
指名を受けた豚人族族長が立ち上がる。
誰もその人選に異論を挟まなかった。
「数日前、敵増援部隊凡ソ五〇万ガ到着シタ直後ノコトニナリマス」
彼の声は聞き取りづらいものの、誰しもが大鬼族族長が説明するより適任だと理解していたからだ。
大鬼族族長は説明の際、擬音での表現が多すぎるのだ。
要は、グッときたらドーンとやれば良い、だのの類である。
何を言っているかは、常人には理解できないことが多すぎた。
「敵増援五〇万ノ小鬼族共ハ、到着ト同時ニ要塞ヘノ攻撃デハ無ク、友軍デアルハズノ人間共ノ軍ヘト攻撃ヲ開始シマシタ」
飾り気の無い端的な説明に一同が首をひねる。
裏切ったことは理解できるが、このタイミングでそれを行なう意図が理解できなかったのだ。
「アト、モウ一ツ気ニナッタ点ガ……」
「何ですの?」
「不思議ナコトニ……敵増援ノ多クハ女子供ノ様デシタ」
「意味が分かりませんわね」
令嬢の言葉通り、誰もがより一層に敵の意図を理解できなくなった。
そうする利点が思い浮かばないのだ。
だが、ただ一人だけ別の表情を浮かべる。
「その……宜しいでござるか?」
「何ですの?」
「まだ確定では無いのでござるが――各国に放っている者からの報告によりますと、小鬼族軍は友軍を含めた周辺国全てに同時侵攻をかけていると……」
「全て……ですって? 正気ですの? 我々に対して一〇〇万以上を向けておいて、どれほどの戦力を抽出できたというのです」
「それが……その――」
総人口一五〇〇万ほどの小鬼族は、連合国侵攻にほぼ一割近い人数の軍を用いている。
幾ら総力戦であるからといって、全人口の一割近い数を徴兵するなど正気の沙汰ではない。
これは令嬢の記憶の中にある、第二次世界大戦末期の日本軍の動員比率とほぼ同等であった。
そう考えれば、如何に異常な兵力を抽出したのかが分かるだろう。
どう考えても、これ以上の抽出は不可能なのだ。
「まだ、不確定と申しますか、にわかには信じがたいというか、でござるが……」
「何ですの? 歯切れが悪いですわね」
「情報を集めている最中ではござるのですが……どうも、奴ばらめ一〇〇〇万以上の兵力を動員しているとしか思えないのでござる」
思わず、誰もが固まった。
身体だけではなく、思考も停止した。
「――聞き間違いかしら……今、何とおっしゃいまして?」
いち早く復帰した令嬢が、相応の努力を以って何気ない素振りを装いながら、疑問を口にする。
「その……拙者の正気を疑わないで頂きたいのでござるが、情報から推測するに敵動員数は一〇〇〇万以上でござります」
「つまり、女子供が多いというのは……」
「文字通り、総動員なのかと……」
多くの者が頭を抱えたい想いだった。
一体全体、何をどうしてどう考えればそうなるのだ、と。
最早それは、想像の範疇外である。
「どう考えても、正気ではありませんわね」
令嬢の言葉に全てが集約されていた。
そもそも、そんなことを可能にする術すら思いも付かない。
何をどう考えても、狂気の沙汰なのだ。
この日の会議は、結果としてこれで解散となった。
もっと多くの――より正確な情報が必要であり、それが無い限りは推測すら難しいと判断されたからだ。
そして何より、この直後の出来事が他の何より優先され、会議どころでは無くなってしまった。
より正確な……生の情報源が、向こうからやってきたのだ。
凶報と共に。
ゴトフリード王国第二王子率いる少数部隊が、魔王城に襲来したのは夜半過ぎだった。
白旗を掲げ、ボロボロになった姿でやって来たのだ。
――この日、人間達の最大国家であるゴトフリード王国は、地図上から消えた。
いつも応援頂き、誠にありがとうございます。
皆様のお蔭で、あともう少しで完結です。
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