第18話 ご令嬢は天高く飛ぶもの
「くっ……殺せ……!」
偉大なる聖王国の王にして、聖教教主であり聖騎士で聖女で巨乳の聖王国女王は、絶望を抱きながら叫ぶ。
彼女の国は今まさに、小鬼族共と手を組んだ恐るべき裏切り者達の手によって、攻め滅ぼされるようとしていた。
彼女を取り囲む男共は、女王の叫びに些かも取り合う素振りを見せず、女王に近寄り――そして、その口を開く。
「女王陛下……その台詞は早すぎます。まだ敵軍は上陸しておりません。我が海軍が現在必死の交戦中でございます」
男達の中の一人――最も年長の者――が、女王にため息を隠す素振りも無く、そう告げた。
無論、いずれその時が来るであろうことを理解しつつも。
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「――と、まぁ……今頃、あの胸に栄養が集中していそうな女王陛下は、そんなことを仰っているでしょうね」
令嬢は白色竜の背の上で、今まさに危機を迎えつつある聖王国の女王を揶揄してみせる。
所謂女騎士名物たる『あの台詞』でも言っているのであろう、と。
本人が今ここに居れば、猛烈に反論をしたであろう評価であった。
とはいえ、仮にこの場に居たとしても、事実である以上なにも言えはしないのだろうが。
「なんじゃ、悪意があるのぉ? お主、その娘っ子に何ぞ恨みでもあるのかの?」
「どうせ貧相な身体だから、逆恨み……って、おい……そんな怖い目で見るな」
「アナタ……地上に降りたらどうなるか、分かっていますわね?」
青筋を立てる令嬢。
青ざめる魔王。
大空の上でいつも通りのやり取りをする二人を見て、地母龍は呵呵と笑う。
これより戦場に赴くにしては気が緩み過ぎかとも思ったが、言わぬが花かと思い直し口にするのを止めた。
諌める言葉の代わりでは無いが、彼女は思い付いた疑問を口にする。
「ところで……ちと気になるのじゃが、実際問題どうなのじゃ? ワシらは間に合うのかの?」
龍族の精鋭百騎が編隊を組んで飛ぶ様を、地母龍は同胞の背の上から眺める。
この世にこれより素早く強大な兵力は存在しない、と彼女は確信していたが、それでも間に合うかどうかは別の話であるとも理解していた。
救うべき相手が居なくなってしまえば、如何に強かろうと為す術は無い。
「かの名高き聖王国聖騎士団は、宗教的な意味合いの濃い――儀仗兵しか出来ない弱兵として、とても有名ですわ」
「おいおい、それはマズいんじゃないのか……?」
さらりとのたまう令嬢に対して、思わず魔王が不安げな顔を浮かべる。
「問題ありませんわよ。そもそも、あの国は島国ですのよ?」
「……どういうことだ?」
「その真価は海軍力にこそ有る、ということですわ」
令嬢の言葉通り、聖王国の戦力の殆どは海軍に有るといって過言ではなかった。
より正確には、平民を中心とした陸軍および海軍が真っ当な戦力を持っている、と評すべきだろう。
聖王国なる宗教国家は、その大層な国号とは裏腹に職業戦士たる貴族の権力が弱い国であった。
理由はいくつか有る。
島国であり、全人類種の三割ほどが信仰する宗教の総本山であることから、そもそも戦火に巻き込まれることが少なく、防衛のための海軍だけが発展したこと。
また、宗教国家であるが故に、貴族よりも国教である聖教に権力が集中したこと。
そして、民衆からの支持を得るため、聖教は平民に優しい政策を取りがちであること。
それらのお蔭で、平民でも軍中枢に入り込みやすく、才能さえあれば軍学校で魔法等の高等教育を受けられる文化が醸成された。
その結果として、船上でも遠距離火力を発揮しやすい魔法使いが、他国に比べれば圧倒的に多い軍が誕生したのである。
以上の点から、貴族を中心とした聖騎士団とは異なり、陸軍と――特に海軍は精強さで知られている。
「あー……つまり、なんだ? ちょっと説明が長すぎて分からなかったんだが、そもそも敵が上陸できないということか?」
「その通りですわね……とは言っても、時間がかかるというだけで、数で押し潰されるのは目に見えていますが」
そうか、と呟く魔王の表情はやはり不安げであった。
それを慮るように、令嬢は全く違う話題を口にする。
「そういえば……地母龍ちゃんは、人型のままですのね?」
そのほうが嬉しいのですが、という言葉に寒気を感じつつも、幼女の形をしたドラゴンは笑う。
「ワシが龍の姿になったら、救うべき島が吹き飛んでしまうからの」
「へぇ……それは、是非見てみたいですわね」
その言葉が事実であれば、行動計画を変更しても良いかもしれない、と令嬢は咄嗟に現有戦力を計算する。
その目に浮かぶ色は、幼女に見とれていた者と同じものには見えなかった。
「見ずに済むことを祈った方が、良いと思うがの」
龍族は成人――成龍を迎える凡そ二〇〇歳前後で、人型の姿から一般的に想像されるドラゴンの姿に変身できるようになる。
中には白色竜のように、比較的若い段階から変身できるようになる部族も居るが、概ねは成人である証だとされていた。
そして、部族毎の性質差が激しい龍族ではあるが、歳を重ねた龍族ほど巨大であるという点においては共通している。
つまるところ、
「――ま、気にするでない」
「残念ですわね」
あからさまに触れるなという雰囲気を出されては、流石の令嬢もそれ以上を口には出来なかった。
「お姫さま、見えてきたでふよ。あの島で合ってまふか?」
相変わらず舌っ足らずな口調で喋る白色竜は、その背に乗せた貴人を仰ぎ見る。
「ええ、合っていますわよ」
「なんだかすごい数の船が燃えてるでふよ?」
「そのようですわね……」
令嬢は心の内で安堵した。
海戦がまだ終わっていないということは、間に合ったことの証拠だからだ。
無論、今まさに命が特売品の如く失われていることも理解している。
ただ、その憤りを表しているのは、誰にも気付かれぬようきつく結ばれた唇と、微かにこぼれる血の一滴のみであった。
「もう……避けられないんだな?」
「ええ、避けられませんわ。ずっと以前から」
故に、魔王がこぼした主語不在の言葉に、何がと聞き返す必要は無かった。
「不安ですの?」
「いいや。俺は……魔王だぞ」
「ええ、存じておりますわ」
「いや、違うんだ。令嬢よ。俺はな……魔王なんだ――現実的にはそうじゃないとしても、魔族の王である自負が有ったんだ」
苦々しい表情で、魔王は海の向こうを見つめる。
「いつかは全ての魔族を統一して、人間との戦争も止めたかったんだ」
救いたいと願ったのは何も味方だけではなく、小鬼族も人間も例外では無かったと告白する魔王。
彼は、何もかもを救いたいと馬鹿げた願いを抱いて魔王となった漢である。
全面戦争の幕開けを目の当たりにし、誰にも理解されないと分かっていながら、それでも――そんな彼だからこそ、吐き出さざるを得なかった。
ただ、誰にも不幸になってほしくないだけなのに、と。
「その主張には、完全に同意いたしますわ」
「なに……?」
故に、彼女のその言葉に魔王は驚くこととなった。
「血を伴わない理想は夢想的だと指摘せざるを得ませんが、それを想うことを否定したりしませんわ」
「理想を伴わない暴力では、何も成し得ないだけだ」
「今も理想は抱いたままなのでしょう?」
二人にしか理解できない何かが、互いの間を過ぎ去ったことを同時に感じる。
「俺は、理想との矛盾に耐え切れない」
「わたくしは、現実に理想が砕かれてしまいそうですの」
同じような想いを抱きながら、真逆の道を歩んできた二人は現実を目前にして、遂に、
「矛盾は、わたくしが飲み干してみせますわ」
「ならば、俺は現実を打ち砕こう」
――ひとつの道を歩み始める。




