第15話 ご令嬢は虎穴に飛び込むもの
「おい……令嬢よ……」
「何ですの……?」
「俺の気のせいか? 完全に囲まれているように見えるのだが……?」
「気のせいではありませんわよ。殺気立った集団に取り囲まれていますわ」
「そうか。勘違いではないようで、安心したぞ……」
うんざりとした表情で、魔王は睥睨するように周囲を見渡す。
果たしてこれは殺気立っているのだろうか、そんな疑問が魔王の脳裏をよぎった。
対峙する者達の得体が知れなさ過ぎて、いっそ不気味にすら映るのだ。
「イザと言う時は、勿論分かっていますわね?」
「心の底から、分かりたくないな……」
「アナタ、タンクという言葉を知って――」
「――分かった。もう、みなまで言うな」
盾役、壁役、肉壁――好みの単語を割り当てて欲しい。
どんな表現にせよ、被害担任艦めいた役割であることに変わりは無い。
どうせロクでもないことになる、と分かる程度に魔王も察しが良くなっていた。
「――それにしても、耳長族がここまで好戦的だとは思わなかったな」
「悪名高い……かはさておき、魔王が乗り込んできているのですから、当然の反応ですわね」
「確信犯か……」
現状を簡潔に説明するならば、耳長族領域内に正面から訪れただけで、熱烈な歓迎を受けている――正確には、受ける直前と言える状況である。
一言で表現するのであれば、『一触即発』という単語が最も適切だ。
事実、責任者に言付けてくれただけ運が良かった、と思えるほどの空気が漂っていた。
「謎の多い種族ではあるが……」
万が一の際は令嬢を連れて逃げおおせるだろうか、魔王はその心中で算段を立ててみる。
結論としては、情報が不足していて何とも言えない、という頼りないものになった。
現存する魔法使いの中でも最強の一角を占める魔王は、飛行魔法を用いて人型の生物に後塵を拝した経験を持ち合わせていなかったが、何者にも負けないという自信を持つほどに想像力が欠如している訳でも無かった。
その点、魔を統べる王という称号からは想像できないほどに慎重であり、現実的な男である。
「――さて、どうしたものか」
この世界において、耳長族ほどに有名でありながら実態の知れない種族は存在しない。
そういった実情が魔王の判断を難しくさせていた。
かつて耳長族はその長命さと先進的な技術で以って、たかが数万人という少数部族でありながら、多くの種族を従える一大帝国を築き上げていた時期がある。
だがそれは、他種族からすれば理解出来ない理由で唐突に終わりを迎えた。
いつの頃からだろう。
彼らは本拠地である世界樹の森に篭もり、神秘の塊ともいえる巨大な樹木の研究に没頭し始めた。
目指すべきは、神の頂きである。
彼らは、その長い生に飽いていたのかもしれない。
もしくは自身らを特別だと認識し、飽くのない願望に探究心が歪み果てたのかもしれない。
それは当人達ですら、最早忘却した想いなのかもしれない。
「世界樹……初めて目にしますが――想像していたものとは、かなり違いますわね」
「これが噂に聞く……耳長族の魔法科学というやつなんだろう」
耳長族は、数千にまで減った人口ですら他国の干渉を受けずに独立した国家を保っている。
その拠り所となるものは、かつては森の守護者とまで呼ばれたほどの潤沢な魔力と、他種族には想像すら出来ない冒涜的な技術力である。
令嬢と魔王は、世界樹と呼ばれる樹齢数万年の大樹を見上げた。
かつて世界を支えたとされる大樹は半ば機械化が進んでおり、神秘と科学の融合、もしくは神聖への冒涜とも呼べる姿をしている。
その頂点は雲とも蒸気とも判別のつかない気体に隠れ、全容は見えない。
令嬢は、得体の知れない感情が胸中を満たしていくのを自覚した。
「お待たせした――長老がお会いになるそうだ」
顔色の悪い耳長の言葉に、令嬢は現実へと引き戻される。
「えぇ……分かりましたわ」
雰囲気に呑まれないよう、自身を奮い立たせるように言葉を吐き出す。
それを知ってか知らずか、魔王は判断を決定づけた。
「安心しろ……イザという時は、抱えて逃げてやる」
それを可能とするため、わざわざ最少人数で虎穴へと飛び込んでいるのだ。
中途半端な戦力など足手まといにしかならない程度に、魔王という存在は強大である。
「可能ですの?」
「知らん。知ったことでも無いしな。どうにかしてやる」
「……お任せ、いたしますわよ」
「あぁ――問題ないとも。助けるのであれば、俺に任せると良い」
いつだったか言葉にした誓いを再び口にしながら、魔王と令嬢は神聖なる冒涜の地に足を踏み入れた。
世界観の補足を兼ねたお話となります。
お楽しみ頂ければ幸いです。




