第7話 ご令嬢は誘拐されている?
「さぁ! 魔王よ! この僕と勝負だ!」
金髪碧眼で容姿端麗な爽やかイケメンが颯爽と剣を抜き放つ。
「――何を言っているんだ? 貴様は……?」
「怖気づいたのかい? 勇者であるこの僕に!」
「何? 貴様が伝説の勇者だと?」
「そう! 僕こそが! ゴトフリート王国第二王子! またの名を、愛の勇者!」
令嬢の胸中を端的に説明するならば『あの馬鹿め!』である。
少し詳細にするのであれば『こんな馬鹿な勇者が居てたまるか!』と表現しても良い。
交戦中の敵国城内で――ましてや相手国の国家元首との会談中に、剣を抜く馬鹿な使者がこの世に存在することが、令嬢には信じられなかった。
強いて合理的な理由をあげるなら、殺されて問題を大きくするための生贄か、さもなくば交渉をご破産にしたい時くらいなものだろう。
まかり間違っても、誘拐された人質の解放交渉時に行う行為ではない。
人質自身が魔王を足蹴にする行為とは、根本的に前提条件が違いすぎる。
事実、獣人宰相などは既に、公爵家の令嬢と第二王子を生贄に、国内の戦意を上げるための作戦である、と判断を下していた。
だが、悲しいことに令嬢は知っている。
第二王子は、心底本気で正しいことを行っているつもりだ、と。
可哀想なお姫様を、心の底から救いたいと願っていると。
つまるところ、途方もないほどに馬鹿であり、この世に絶対的な正義があると信じて疑わない善人なのだ。
権力を持たせてしまった日には、多くの人間を不幸に突き落とす類の人種である。
「さぁ、魔王よ! 僕の婚約者を返してもらおうか!」
あまりにも滑稽な一人芝居に、謁見の間に静寂が訪れた。
その空気に耐えきれなかったのか、令嬢は思わず口を開いてしまう。
「――貴方とは、既に婚約を破棄しているはずですわ」
令嬢の否定の言葉に、対称的な二つの表情。
第二王子の顔には、何故と言わんばかりの驚愕。
魔王の顔は、心なしか安堵の形を取り――すぐに自問自答の表情に変わる。
「何で、そんな悲しいことを言うんだい?」
「あの巨乳の……聖女とかいう子とはどうなったのです? 確か可哀想なあの子を守るのでは?」
「僕は全てを守ってみせるさ!」
「意味が分かりませんし、私を守って頂く必要はありませんわ」
「こんな恐ろしいところで囚われている君を、放っておける訳が無いじゃないか!」
この世界において、一二を争うほどの美しさを誇る魔王城謁見の間に、奇妙な空気が流れた。
各族長――現魔族連合国軍の将達や、各内務官達の共通認識をあえて言語化するならば、こうである。
『その人こそが、今この場で最も自由で恐ろしい方です』と。
「私が囚われているように見えますの?」
「一見すると見えない……が、魔王の魔法で操られているのだろう?」
「……そんな便利な魔法があれば、部屋に引きこもらせるぞ」
「何かおっしゃいまして?」
「いや、何も……」
これのどこが囚われているんだ、とボソボソと魔王が溢す。
いつになく強気な呟きではあるが、今日は令嬢と物理的な距離があるからに過ぎないと、第二王子以外の全員が察していた。
「――どうも、ご理解頂けていなかったようですので、改めて申し上げますわ」
「分かっているとも! すぐに助けてあげるからね!」
「…………」
令嬢が沈痛な面持ちのまま、深くため息を吐く。
その心は、遠い祖国を想っていた。
これは一刻も早く滅ぶべきだ、と。
囚われの淑女が、自身を救いに来た王子様を見て抱く感情では無かった。
「言っても無駄かもしれませんが……元から親の決めた婚約、貴方に気持ちは欠片もありませんの。巨乳の聖女を救ってさしあげたいのなら大いに結構。私など忘れて、どうぞそちらへ」
「言ったじゃないか! 僕は全てを救ってみせると!」
真顔の王子を目の当たりにして、令嬢は頭痛を覚える。
「全ての人を救いたい……それはそれは結構なことですわ。是非、私以外の人を救ってさしあげて。私は別に可哀想でも何でもありませんのよ」
悪意がないからこそ、性質が悪い。
それが令嬢の素直な感想だった。
繰り返しになるが、断じて囚われのお姫様が、自身を救いに来た王子様を相手に抱く感想では無い。
「誰も彼もを救いたいのであれば、まずは本当に救うべき人を優先してあげては如何ですの?」
「人に優劣は無いように、僕は全ての人を平等に救いたいんだ!」
致命的に話が通じない王子様を相手に、令嬢は嘆息する。
なまじ言語が通じて、人としては善人であるが故に、虚しさが増す。
そしてもっと最悪なことに、令嬢の祖国において王族は皆が似たようなものだった。
特段、この第二王子だけがおかしい訳ではない。方向性の違い程度の差だ。
皆が皆、夢の国の住人になりかけているのかもしれない。
「――相変わらずですのね」
令嬢は、それこそ子供の頃から危機感を抱いていた。
どうにか破滅を食い止めなければ、と子供ながら大人達に説いてまわったものである。
早晩滅ぶであろうことを察してからは、被害を最小化する方法ばかり考えるようになったが。
「私は今、好きでここにおりますの。はた迷惑ですので、お引き取り願えませんこと?」
魔王に攫われたことは、彼女にとっては幸運だった。
朽ちて倒れるはずの巨木を、朽ち果てる前に計画伐採できるのだ。これを幸運と云わずして何と呼ぼう。
「――とのことだ、王子殿。些か俺も貴様の言葉には飽きてきたところだ、お帰り願おう」
魔王が玉座から立ち上がり、話は終わりだ、と一歩を踏み出す。
「……ッ!」
普段は決して怒りを抱かない魔王だが、第二王子の言説に対し無意識に苛立ちを覚えたのだろう。内包する膨大な魔力が滲み出ていた。
結果……ただの一歩で大地が揺れる。
「ま、魔王様! 気をお静め下さい!」
「殿!」
魔王は表情を変えぬまま、慌てふためく者達を睥睨するように見渡す。
一見すると超然とした態度であるものの、その内心は焦りで満たされている。
こんな脅迫紛いのことをするつもりは無かったのだ。
「くッ……魔王よ! 彼女を解放しなかったことを後悔することになるぞ!」
だが、正義の人である王子は恐怖に屈することなく、勇気を奮い立たせる。
そして同時に、現状で令嬢を救うことは出来ないとも理解した。
こういった点に関する判断力は、比較的正常であった。
「令嬢よ! 必ず君を救いだしてみせるから! 待っていてくれ!」
「嫌で――」
「さらばだ!」
令嬢の言葉を遮り、颯爽と立ち去っていく王子。
嵐のような出来事に一同は呆然としつつも、何をしに来たのかと首を捻った。
後日、ゴトフリート王国より魔族連合国へと宣戦が布告なされるが、既に百年以上前から交戦状態であるため、特に影響を及ぼすことは無かったという。




