1.早く大人になりたい
「カイル、いよいよお前も一人立ちせねばならん」
「はい、お父様」
タイゼン・ド・ボルドー辺境伯の屋敷の居間で、ボルドーとボルドーの妻であるシーラが並んでソファーに座り、向い側にボルドーの三男のカイルが座っている。
ボルドー辺境伯は、≪智者≫によって、30年以上、この地を治めていた。
辺境伯領は、大陸から突き出た半島になっている。
そのため、半島の北、東、南の三面を海に囲まれている。
遠い昔、半島の南部に残る火山が大噴火を起こした。
火山の噴火とともに、海底の隆起が起こり、大陸と陸続きになった。
火山の北側、この半島を南北に分断するように山々が連なっている。
半島の北側はなだらかな平地となり、長い年月をかけ、広大で肥沃な土地を作り上げた。
これまで何人もの貴族たちが王都から派遣され、開拓を試みようとしたが、すべて失敗に終わっていた。
ボルドー伯の直前に派遣された、バレンシア伯の≪カリスマ≫によって惹き付けられた人々の手によって、ようやく都市が形成されただけであった。
バレンシア伯の死後は、王領直轄地となり大きな街道も整備されたが、人口は減り、都市機能は完全に麻痺していた。
そこに、16歳で派遣されたのがタイゼン・ド・ボルドー辺境伯である。
彼は人並み外れた智力によって、この見捨てられた半島を、独立国レベルにまで引き上げたのであった。
「我が子らの中でも、お前が最も人当たりが良い。神がお許しになるのであれば、お前にこの地を治める権能を授けてていただきたいと思っている」
「もったいないお言葉です。お父様。ですが、我が国はもちろん、この世界では、世襲は難しいと思われます」
「いや、わかってはおるつもりだ。カールは、聖職者として王都の大司教様のもとで修行しており、ガルボも王都で剣術を学んでいる。おそらく、二人とも、領主には向くまい。それでも継がせたいと思うのが親の欲目だ」
隣に座っている伯妃シーラも黙って頷く。
「お父様、もちろん、神のお導きにより、この地を治めよということであれば、私が責任を持って治めましょう。しかし、お父様もお母様も、まだお若い。妹のジュディが成人になるまで、あと5年もあります」
「そうだな。二人の娘、マリーとジュディが素晴らしい結婚相手に恵まれるかもしれぬな」
グラスに残っていたワインを飲み干し、ボルドー伯は、ふうと大きなため息をついた。
ボルドー伯の気持ちを代弁するように、伯妃シーラが言う。
「明日は、あなたの洗礼が最初に行われます。朝も早いので、今日はもう寝なさい」
「はい、お母様。そうさせていただきます。お父様、お母様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいカイル」
カイルが居間から出ていくと、
「私も年をとったな。カールやガルボ、マリーの時は、こんなに不安に襲われることなどなかったのに……」
「いいえ、あなた。不安に思うのは、私も同じです。兄妹たちのなかで、カイルがなんでも我慢して、他の子たちよりも頑張ってきたからでしょう? 領都の人々からも、一番可愛がってもらっていますよね?」
「ああ、私のスキルもそういう結論を出している。先が見えることで不安を覚えたのは、これが初めてだ。このスキルを授けていただき、本当に感謝はしているが……あぁ、今日ほどこの力を恨めしく思ったことはない」
「あなた。カイルなら大丈夫ですよ、きっと。神様はきちんと見てくださってますから……」
***
カイルは物心がつく前から、人の役に立つ仕事をしたい、と漠然と考えていた。
この世界は、14歳以下の子どもには何もさせてはくれない。
そのことだけがずっと不満だった。
カイルは、家にあった本を片っ端から読んだ。
しかし、どの物語も、どの歴史書も、なぜこの世界が洗礼というシステムで成り立っているのか、明解に説明されてはいなかった。
他の兄妹たちよりも、領都の隅々まで歩き回った。
しかし、辺境伯タイゼン・ド・ボルドーの息子という肩書きがいつも邪魔をして、ありのままの姿を見せてもらえず、「本物」の世の中を知ることができなかった。
早く大人になりたい。
その思いだけがカイルの中に占められていた。
だが、その苦しみも明日解放される。
なんでも良いから、人の役に立つ洗礼を授けて欲しい。
カイルは祈り、眠りについた。
こちらは不定期掲載となります。
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