異様時間 二千十八年・六月六日-07
湧き上がる湯気、僅かに見える黄身の優しい色、そして柔らかく炊き上がって食される事を今にも待つ米、一口サイズに食べ易く切られた鶏むね肉。
目の前にある雑炊を前に、スミレはまず、手を合わせて「頂きます」と言った。
蓮華で一口分掬い、アツアツの内に頬張る。火傷しそうな程の熱が口内を犯し、ホフホフと空気を送って冷ましていると、スミレから見て右斜め前に置かれたスマートフォンより、声が流れた。
『野村時雨は、後処理の後に警察へ引き渡しました』
キャトルの声だ。スピーカーモードにしているスマホから聞こえる声に、スミレは首を傾げて訊ねた。
「はふっ……誰それ」
「スミレが顔面崩壊させたオッサンの事だって」
「ああ。アイツ」
今度はフーフーと息を吹きかけて少しだけ冷ましてやりながら、再び一口分を頬張る。
まだ少しだけ熱かったが、それでも口から鼻先まで広がる旨味を感じつつ、スミレはウンと頷いた。
「ジュリア医薬が失踪者の捜索依頼を出したって事は、ジュリア医薬はその、野村某が人体実験してる事を辞めさせたかったって事か」
『ジュリア医薬は最近、別会社によるジェネリック医薬品の進出に大変悩んでおりましてね。
売上も下がり、このままでは鳴海カンパニーから得られる資金援助も絶えてしまう事を恐れたのです。
だから西洋医学、東洋医学、果ては漢方の技術を研究し、新薬の開発を打ち出しましたが、成果は上がらなかった。
故に【異端】を求めたのです。幾ら二流とはいえ、野村時雨は錬金術師の端くれですから、錬金術学の観点から新薬の開発を行えるのでないかと、一縷の希望を求めて彼を頼ったようです。
別にそれが【老化停止】で無くても良かったのです。ただ彼らは、業績を求めた新たな試みを行えるのならば、それで』
だが、彼はジュリア医薬を利用し【禁忌】を犯した。
何の罪もない一般市民を実験台として、英知を求めたのだ。
ジュリア医薬は恐れた。
このまま彼が人体実験を行い続け、世間の目に触れた時、ジュリア医薬が関わっていたという結果が出る事を。
それ故に――この秋音市で【何でも屋】として仕事を受け付けているキャトルへ、失踪者捜索の依頼を出したのだ。
「で、アイツどうなるのさ」
『とりあえず処置としては大量殺人という体にして警察へと引き渡しました。猟奇的犯行という判決が下されると思いますので、死刑囚の仲間入りでしょうね』
「そうかい。その話、飯がマズくなるから切るぞ」
『あ、お待ちください。今日は何回【視】ましたか?』
キャトルの問いに、スミレはしばし口を閉じながら思考した後「二回」と端的に答えたが。
「あ、キャトルせんせー。三回ですよ、三回」
二人の会話に割って入るミズホ。
『三回。スミレさん、あまり多用しないようにお願いしましたよね?』
「待て、確かに二回だ。ホムンクルスとやり合う二回しか使ってないし、後は千里眼しか」
「ぶぶーっ。お昼に一回、アタシに使ってるもんね」
あ――と。スミレは手に持っていた蓮華をポトリと落としてしまう。
『スミレさん。貴方の【未来予測】は特別なのです。無益な使用は脳の寿命を減らす結果となりかねませんよ』
「視えてしまったものは、仕方ないだろう」
『全く、ああいえばこう言う……本日はありがとうございます。報酬は後日振り込みますので、確認をお願いしますね』
溜息を共に挨拶をして、電話を切ったキャトル。沈黙がスミレとミズホの間に訪れ、スミレはしばし口を結びながら、ミズホと目線を合わせないようにしていた。
「スミレ」
「何だ」
「美味しい?」
両手で頬杖をつき、ニッコリと笑いながら訪ねるミズホの言葉に――スミレは蓮華を拾い上げ、雑炊をもう一口頬張った後、コクンと頷いた。
「うん。なら【視】た事は許したげる」
「……助かる」
再び現れる、無言の時間。ただ蓮華と皿のぶつかり合う小さな音だけが支配する、八畳間の空間。
しかしそれは【沈黙】とは違う。
言葉を交わさないだけで、嫌な時間ではない、優しい時の中、スミレはミズホの作った雑炊を完食した。
「今日は泊まっていけ。もう夜も遅い」
「うん、そうする。――ねぇ、スミレ」
「ん?」
「一緒の布団で寝ていい?」
「……好きにしろ」
口角を吊り上げ、微笑んだスミレの笑顔と。
目を閉じ、ニッと白い歯を魅せ付ける、ミズホの笑顔。
今日、二人の時間は、そうした笑顔の中で、流れていった。