異様時間 二千十八年・六月六日-04
そのままスマホをしまう事無く、今度はキャトルに電話をかける。ワンコールが終わる事無く電話に出たキャトルは『はい、どちら様でしょうか?』と呑気な声を上げた。
「キャトル。この質問はふざけないで答えて欲しいんだけど」
『はいはい、スミレさんですね。何でしょうか』
「現代医学で、完全に老化を止める薬学は存在するのか?」
『外観を若々しく保つ事は可能です。それは民間療法や漢方等でも既に証明されていますね』
「食い止めるだけなんだな。なら完全に老化を止める方法は無いと」
『少なくとも医学にはありませんね。そもそも老化の原因と言うのは様々な説が考えられており、未だ根本の究明が成されていないのが現状なのです。
細胞分裂回数にプログラムが設定されている説が現在最も有力な説ですが、かといって実例があると言う点を鑑みても、遺伝子異常の蓄積により細胞が死に至るエラー説も捨てがたい。
ここまでデータが揃ってなお答えが出ないとなると、全ての説が正解である可能性も有り得ますし、それを全て解消する医学・薬学は現状不可能です。
しかし――他の方法ならば、不可能ではありません』
「【異端者】ならば、か?」
『ええ。それこそ勉強をすれば、スミレさん。貴女でも可能です』
キャトルの言葉を聞いて一言礼をしながら電話を切ったスミレは、フッと息を吐いた後に歩き出す。
目指した場所は三人目の失踪者、安西時文の自宅である。
自宅とは言ったが――彼の住む場所は、自宅でも何でもない。
先ほど調べた失踪者二人が利用していたとされるコンビニからそれ程遠くない場所にある公園は、休日になると散歩コースにも使えそうな広い空間である。
現時刻は昼の四時。本来ならば子供が遊んでいてもおかしくない時間帯に、散歩をする者一人として居やしない。
なぜなら――ここはホームレスのたまり場として、有名な場所であるからだ。
役所が打ち立てた『炊事禁止』の立て看板が、まるで見えていないかのように行われる、ホームレス同士の炊き出し。
中心には七十近いだろう老人三人程度が徳用焼酎をコップに注ぎ、雑炊を頬張り、ホッと息をついていた。
「お爺さん達、ちょっといい?」
声をかけると、老人三人はスミレを一瞥した後、首を傾げた。
「安西時文って人、知らない?」
スミレが言い放った言葉を聞いて、しばし何かを考える様にしていた三人は、やがて思い出したかのように「ああ」と声を揃えた。
「文さんかぁ。あの人そんな名前なんだったな」
「そだったそだった。ワシら文さんとしか呼んでへんかったからな」
「文さんがどうかしたんけ?」
三人の物言いからして、安西時文がホームレスであった事は間違いなさそうだ。スミレはここで誤魔化して聞くのは時間がかかるだけだと考え、単刀直入に説明する。
「その文さんって人、失踪したっぽいんだけど」
「あれま。あの人消えたんけ」
「気にならないの?」
「ワシらにとっちゃよくある事だかんなぁ。自殺も、役所の人間が就職支援で住み込み仕事を斡旋する事もあるし、何なら殺しをやって消えたりとかな。いきなり居なくなっても気が付かん」
「三人は、そう言うのやらないの?」
「嬢ちゃんは今幾つだい」
「十七」
「ワシら嬢ちゃんの四倍は生きとるしな! これ以上働いて何になる」
「ワシらは一日一日、楽しく気ままに生きていければそれでいい。文さんがどう考えとったかは知らんけど、あの人と過ごした日はボケるまで忘れん。隣に居る二人がもし明日いなかったとしても、同じ事よ」
三人はウンウンと頷き、一斉に酒を煽った。くぁあ、と。酒の味を楽しんだのかよく分からない声を聞きつつ、スミレは最後に一つ、本来聞きたかったことを聞く事にした。
「文さんと最後に会ったの、何時?」
「えーっと」
三人があれやこれやと話している。数秒の時間経過の後、三人は答えが固まったのか、公園から見える一つの店を指さした。
「何日か前な。文さんがコンビニにある廃棄弁当をちょろまかしに行った時から見てない」
ビンゴだ。スミレは心中で文さんに礼を述べながら――目の前で炊き出されている雑炊に視線を向けた。
――なんだか、お腹が空いてきた。
**
鳴海ミズホは、鳴海グループの子会社が運営する不動産屋に立ち寄り、可能な限りの情報をリストアップした上で、ジュリア医薬名義で借りられた賃貸を検索し、それを見つけた。
「あったよスミレ。伊勢門通り三丁目五番地にある、結構広くて古い平屋が、ジュリア医薬名義で借りられてる」
再びスマホで電話をかけながら、得られた情報をスミレへと話すと、彼女は『よし』と声を上げた。
『周りに他の民家は?』
「ここの人に聞いてみたんだけど、その辺は地盤が緩いらしくて、地震発生時に液状化現象が起こりやすいって警告が出てたから、殆どの人が補助金貰って引っ越し済み。辺りは本当に人通りが少ないって」
『ソイツにとったら、絶好の場所って事か』
「チェックメイト……かな?」
『分からんが、行ってみる価値はあるだろう』
「アタシも行った方がいい?」
『いや、いい。……それよりミズホ、お願いがある』
何、と問いかけたミズホの言葉に、スミレが声を重ねた。
『今日、雑炊が食べたい』
「へ?」
『さっきホームレスの爺さん達が、美味しそうに雑炊食べてるの見て、今物凄く雑炊が食べたい』
「は? う、うん。その……意味はわかんないんだけど……何雑炊が食べたい?」
『ミズホが作る雑炊なら何でもいい。お前の手料理が、ここ最近、唯一の楽しみだからな』
ケロッとした口調で言い放ったスミレの言葉に、ミズホは小さく溜息をついたあと、何だか無性に恥ずかしくなった。
――スミレは本当に、突然何の前触れも無く、嬉しい事を言ってくるものだ。
「……分かった。腕によりをかけて作っとく」
『うん。頼んだ』
短く、しかし力強く放たれたスミレの言葉を聞いて、ミズホは良しと頷きながら立ち上がり、不動産屋を後にした。
――今日の夕食は、スミレが好きなタマゴを使った、卵雑炊だ。