感情慟哭・後 二千十八年・七月二十九日-07
まだ、ミズホは生きている。
鳴海ミズホは喧嘩等、ましてや命の奪い合いなど、経験が無い。心臓近くを刺された事によるショックで、気絶していてもおかしくはない。
そしてスミレも、マモンという「異端者」を殺した経験はあっても、人を殺した経験などは皆無だ。
もちろん訓練も受けていない。心臓を正確に突き刺す事など難しい。
刃が途中で肋骨に当たって折れていない事が、そもそも奇跡と呼べるだろう。
――まだ助かる。まだ、ミズホは、生きる事が出来るのだ。
そこに、一人の女性が、現れた。
シスターのような装束を着込み、両手には二丁拳銃を構えた、端麗な顔立ちの女性。
プリステス・キャトル。ミズホの――【敵】だ。
「まだ、殺せていないみたいですね」
「待て。待ってくれ、キャトル」
ミズホとキャトルの間に、スミレがボロボロと涙を流しながら、両手を広げて立ち塞がる。
しかし、キャトルはゆっくり、右手に構えた拳銃のグリップを握りしめ、銃口をスミレの奥で眠る少女に向けた。
「退いて下さい。
出来るかどうかはわかりませんが、まだ肉体は人間のままである彼女を殺せば、弱体化した神霊としての力は、消滅させる事が出来るかもしれない。
しかし彼女が生き残ってしまえば、神霊としての力は再び蘇る。
――殺すしか、ないんです」
「いやだ……いやだッ!! もう、ミズホを殺したくない……私は、私は……この眼に視える未来を、確かな物にしたい……っ!!」
まるで神に祈るように。
スミレは、両手を握りしめ、グズグズと泣きながら、キャトルに乞う。
見逃して欲しいと。
ミズホを、助けて欲しいと。
「スミレさん、貴女はご自分が何を言っているか、分かっているのですか?
彼女が生き残ると言う事は、災いはこれからも生まれ続けるという事です。
それすなわち、人間は永遠に、災いが生み出す災厄から、逃れる事が出来なくなる。
貴女のお父様を殺した結果となった災いの力によって、見も知らぬ誰かが、また犠牲になるやも知れないと言うのに――!」
キャトルにとって、それが自分の【罪】である事も、分かっている。
しかし彼女は、言わねばならぬ。
言わねば――その【罪】から目を、背けた事になるのだから。
「……分かっている。私が、どれだけ自分勝手なのか、分かっている……でも、でも……っ」
「仮に彼女が生き残ったとしましょう。
災いを滅する為の組織である聖堂教会は、何時までもミズホさんを……そして彼女を殺す為に派遣されたプリステスを拒む、貴女を殺そうとするでしょう」
わたくしもあなた方の敵となるでしょう、と。
それでも良いのですか、と。
キャトルは静かに問う。
彼女の言葉を聞いて、スミレはしばしの時を項垂れて過ごしていたが。
しかし。
スミレは、真っ直ぐ彼女の目を見据えながらも――コクンと、頷いたのだ。
「……それでも、良い。私は、誰よりミズホを、愛している。
ミズホが殺してくれと願えば、私はミズホを、殺す。
でも、でも……ミズホが、私と共に、生きて居たいと願うのなら……私も、ミズホと共に……生きていたい」
小さく、溜息をついたキャトルが――引き金を引く。
半自動拳銃型が二発の銃弾を放つ。放たれた銃弾は、真っ直ぐ軌跡を描きながら、着弾した。
スミレの足元。ミズホの頭部から――僅かに逸れた地面に。
「――はい、今の銃弾で、あなた方お二人は死にましたっ!」
「え……え?」
「中村スミレと鳴海ミズホという二人はわたくしに殺され、世間から抹消されます。
でもおかしいです。鳴海ミズホという存在が消えた筈なのに、なぜか災いは今後も活動を続けます。
まぁ仕方ないですよね! だってわたくしや聖堂教会には、神霊が視えぬのですから、災いを生み出す元凶が、今どこにいるのか分からないんですもの!」
「なにを、何を言っているの、キャトル」
「ああーっ! しかも今、唯一神霊を視る事の出来る中村スミレまで、邪魔をするから殺してしまいましたーっ! これでは神霊を探す事もできませーんっ!!」
どこか自棄になっているとも取れる言葉の荒々しさを聞きながら。
そこでスミレは、キャトルが言わんとしている事の意味を、理解した。
「……見逃して、くれるのか……?」
小さく問うた、スミレの一言。
キャトルは、苦虫を噛み締める様な苦悩を表情に浮かべつつ――しかし、コクリと小さく、頷いた。
「……ええ。だって」
「だって?」
「貴女はまだ、わたくしの弟子ですもの。弟子の愛する人を殺せるほど、わたくしは鬼畜生ではございません」
コンクリートの床に背中を預けるミズホへと歩み寄って、彼女の身体を抱き寄せたキャトルは、手をスミレへと伸ばす。
「さぁ、行きますよ。――共犯者」
「ああ……ああ……っ!」
力強く頷いて。
スミレは、キャトルの手を取る。
キャトルの手は小さいけれど――確かな温かさがあって。
スミレは、ギュッと強く、彼女の手を、確かに握り続けた。




