私怨巫女 二千十八年・五月十一日-10
そしていつの間にか、フレイアはスミレの前から消えた。
スミレはそれを、天罰だと思ったのだ。
自分が辛いから、友達の事を視えぬ知らぬ存ぜぬと嘘を吐いた自分への天罰。
だからフレイアは、彼女の元を去ったのだ、と。
「……私はたった一人、大切な友達を、傷付けた。
私は、それを謝る為だけに、今まで生き続けていた。
本当は、未来に希望なんか無い。もし宝くじが当たったなら、その金は将来の為じゃなくて、フレイアを探す為だけに使おうと思うんだろうな。
そしてフレイアを見つけて、一言謝って……なお許されないなら」
――死のうと思うんだろう、と。
そう口にしたスミレの言葉に、ミズホは自身の小さな手を、力いっぱい振り込んでいた。
パシン、と。乾いた音が、二人の耳に届く。
スミレは、今まで閉じていた眼を開いて、自身の頬を叩いたのだろう少女を、見据えた。
今まで、眼鏡を外して、彼女の表情を、見た事は無かったが。
綺麗な女の子だと――素直にスミレはそう思った。
端麗な顔立ち、サラサラとなびく綺麗なツインテール。
そして今まさに、まぶたに溜めた涙をボロボロと溢しながら、ギロリとスミレを睨む姿さえ。
――スミレには、女神のような美しさだと、そう感じられたのだ。
「……鳴、海?」
「スミレ。先週初めて会った時に、アタシは、お金で買えないものは一つだけって、そう言ったよね」
先週の事――それは、スミレとミズホが、初めて出会った時の事。
ミズホは学校をサボり、スミレは病院から学校へと向かっていた最中の事。
ミズホはスミレを買おうとして、スミレは彼女を拒否した。その時、ミズホは確かに言ったのだ。
「お金で買えないものは、一つだけ」と。
「――それは命なの。
命だけは、お金で買えない。ドルだろうが円だろうが元だろうが、ジンバブエドルだろうが……どんな大金つぎ込んだって、死んだ人は蘇らない。
だからアタシ、命を粗末にしてる奴だけは、見ていてホントにイライラするの。この世で一番価値がある命を簡単に投げ捨てられる奴が、アタシは大っ嫌い。
アタシは、フレイアって神さまなんか知らないよ。視えないよ。
でもアンタが、もしフレイアって人に謝りたいのなら……まずは、自分自身を、許してあげなきゃ。
その命を、大切にしなきゃ。
その上で『ごめんなさい』しないと……本当の気持ちは、伝わらないんだから」
ミズホの言っている言葉は、ただの綺麗事だ。
彼女は、未来も視えない。
精神異常者と嘲笑われる事も無ければ、スミレの事を全て知っているわけでもない。
幼いスミレが抱いた絶望を、真に理解しているわけでは無いのだから、説教を垂れる彼女は、本当にお気楽だと、スミレはそう思う。
――しかし、だがしかし。
スミレは、彼女の放った言葉が、【嬉しい】と思えたのだ。
自身が要らぬと考えた命を、大切に思ってくれる人が居る。
――こんなにも嬉しい事は無い。
「……鳴海、ミズホ」
「何、スミレ」
「変更は無い。私があのクソガキを引き付ける」
「スミレッ!」
「大丈夫。……ありがとう、ミズホ」
え、と。スミレの言葉に一瞬、疑問の言葉を投げたミズホは、続けて放たれる彼女の言葉を、しっかりと聞いた。
「私は初めて――生きる意味を、見つける事が出来たのかもしれない」
しっかりと眼を開いたスミレは、覚悟の視線をミズホへと向けて、立ち上がった。
――その時に視えた未来は。
――ミズホと共に笑い合う、自分自身の姿であった。
**
本間美紀子――プリステス・サンクは、秋音市民公園からゆっくりと、スミレとミズホが跳んだオフィス街への道を歩いていた。
本来彼女のような少女が巫女服を着込み、長太刀を抜き放ちながら歩く姿は、警察へ通報されていてもおかしくは無い。
しかし、彼女の周囲数百メートルには、人っ子一人居ない。
それは、彼女の右手中指にある透明の指輪、聖堂教会が開発した虚力増幅装置――【アルターシステム】を装着しているからに他ならない。
アルターシステムは、この世に災厄をもたらす【災い】を殺す為、人間が持つ虚力を増幅させてプリステスへと変身させる機能の他、虚力を用いた人智を超えた術を使役する事が可能となる。
今彼女が居る現状も【人払い】と呼ばれる術が発動しているからに他ならない。
彼女をプリステスと知らぬ者は術中にあり、自然と彼女から遠ざかるように仕向けられているのだ。
本来人がごった返す夕方のオフィス街には、今は誰も居ない。皆脳内で「通りは通行禁止」だとか「工事中」だとか適当な理由がでっち上げられて、自然と彼女の周りを避けているのだ。
「うふふ、あはははっ」
笑い声を漏らしながら、彼女はブンブンと長太刀を振っていた。
――これからアタシは、気に食わない奴を殺してやれる。
――この世には必要のない人間が多すぎる。少し位殺しても、問題など無いだろう。
そんな風に考えながら、周りを見渡して【鬼ごっこ】をする彼女。
そんな彼女の前に、一人。
少女が、立ち塞がった。
鉄パイプを右手に握りしめながら、精一杯細めた目でギロリとプリステスを睨み付ける少女。
短い黒髪、整った顔立ち。しかしその顔には汗が流れ出て止まらずにいる。恐怖と緊張により、発汗が激しいのだろう。
「自分から出て来たんだ」
「少しは、自分の意思で生きようと思えたんでね」
「へぇ、面白い。なんでか聞かせてよ、お姉ちゃん」
「なに、簡単だよ。……久しぶりに出来た友達を、お前なんかに殺させるわけにゃ、いかなくなった」
「そうなんだ! いいじゃんいいじゃん! じゃあ少しは、楽しませてくれるんだよ――ねっ!」




