私怨巫女 二千十八年・五月十一日-02
中村スミレは目を醒ます。
重たい体、覚醒しない意識、そして訪れる短い頭痛と共に、彼女は一度立ち上がった。
立ち尽くしたまま、ボーっとしばしの時を過ごした彼女は、やがて「ああ」と小さく呟きながら、ハンガーにかけられていた制服に手を伸ばした。
「もう、朝か」
制服を着込んで、下に緑色のジャージを着込んだ後、布団の近くに置かれていた、黒縁眼鏡をかけた。
スミレの視力は常人よりも良い方だ。
しかし彼女はわざと乱視用の眼鏡をかけて、そのぼやけて見える光景に「よし」と頷き、冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中に、調理用の具材などは一切ない。一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中には500mlのスポーツドリンクと、コンビニで売っていたサンドイッチしかない。
それを取り出し、乱雑に包装を剥がして、口にする。
栄養など、美味しさなどを求めぬ、ただ空腹を満たす為だけの行為。しかし彼女はそれで良いと思っていた。
スマホを取り出し、時間を確認。時刻は朝八時半。九時から開くメンタルクリニックに行く為、午前の授業を休む事は既に学校へは伝えてある。
「行ってきます」
家の中に、スミレ以外の人物は居ない。
だが彼女は、必ず家を出る時は「行ってきます」と、帰ってくる時は「ただいま」と、言うように心がけていた。
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「じゃあ質問だよ」
「はい」
「自己紹介をお願い」
「中村スミレ、十七歳です」
「どこの学校で、クラスは?」
「秋音高等学校二年三組、出席番号十九番です」
「趣味はある?」
「特には」
「もし宝クジで一千万円が当たったら何に使う?」
「思い当たりませんが、将来の為に貯金をすると思います」
「フレイアって誰?」
「毎回思うんですけど質問の意味がわかりません。フレイアというのは外国の人ですか?」
「この部屋の隣に、薬品室があるんだ」
「はい」
「そこの奥にある引き出しの二段目に、とある薬が入ってるんだけど、何の薬か分かるかい?」
「分かる筈ありませんよ、もう」
「よし、今日はこれで大丈夫。一応薬を出しておくから、もし何かあれば飲む事」
「ありがとうございます」
「だいぶ落ち着いてきたね、スミレちゃん。三年前までいつも俯いて無言だったのに」
「可愛げない女で、ご迷惑おかけしました」
「ああ、そう言う意味じゃあ無いんだけれどね……はい、じゃあまた来週ね」
「はい、失礼します」
**
スミレは秋音市内にある岡村メンタルクリニックで処方された薬を、駅前のコンビニに設置されたゴミ箱へ入れ込んだ後、カバンを肩にかけて歩き出す。
既に時刻は十時半。今から学校に向かえば十二時近い時間となる。
どうせ遅刻となるのならばと思い、同じく駅前のファーストフード店に入り、チーズバーガーセットを頼んで、スマホを取り出した。
特にやりたいスマホゲームがあるわけでも、調べたいニュースがあるわけでもない。適当にニュースサイトを見て、記事を閲覧するだけ。
『首相への新たな関与、学園運営に影響か』
『消費税増税への意欲、野党による妨害行為多発』
『婦女斬殺事件。捜査から見える残虐性』
チーズバーガーを食し終える頃には様々なニュースを見終わり、彼女は店内をただ見まわした。
その行為にも意味は無い。ただ退屈な時間を浪費する為だけに行われる観察だが、乱視用の眼鏡をかけたままではどうにも見辛かった。
「スミレ。隣、座るね」
そんなスミレに、声をかけてくる女の子が一人。
スミレは声の主に視線を向けるが、眼鏡をかけたままでは風貌しか分からない。何とか分かった事は、女の子の着込んだ制服が秋音高校のものであるという事だけ。
「誰だお前」
「アンタね! ……はぁ、鳴海ミズホだよ」
「ああ。先週の女か」
先週、鳴海ミズホと名乗った少女とイザコザがあった事を思い出し、スミレは「一週間ぶりだな」と気楽な声を上げた。
「今日も病院行ってたの?」
「ああ、お前は今日もサボりか」
「そうだよ。アンタもそうじゃん」
「私はただ昼食をしているだけだ」
「ねぇスミレ、アタシにはアンタがビョーキには見えないんだけど」
「当然だな。何せ病気は患っていないからな」
「へ? じゃあなんで病院なんか行ってるの?」
「精神異常者だ。お笑い種だがな」
ハハッ、と。自虐的な笑みを浮かべながら、スミレはオレンジジュースを口にした。
「変な幻覚が見えるとか?」
「神さまが視えるんだ」
「へー」
「なんなら未来も視える」
「スゴーイ」
「なんと数キロ遠くの光景を双眼鏡とか無しで視る事も出来る」
「いや設定盛り過ぎでしょ」
「だよなぁ。私もそう思う」




