第一界層
「その回帰草って言うのは、断界の塔に生息しているってことなのか?」
「いえす。正確には第二界層に生息する魔法植物ですが」
「第二階層に? それじゃあ……」
俺たちが向かうのは、第一界層だ。
それ以上の界層には、まだ上がれない。
「いえす。ですが、お二人は第二界層、第三界層へと挑戦するつもりだとお見受けしました。先行予約と言うものです」
俺たちの会話から、そう察したのか。
たしかに快進撃は続くと、俺自身が言っていたな。
「ダンジョンの遺産や資源は、ほとんど市場に出回りません。例外もありますが、大抵の場合は手が出せないほど高額です。ですから……」
「私たちに頼みたいってことかー」
こくりと、メイは頷いた。
「報酬は私の全財産、42万ルピアです。頑張れば、もっと上乗せできます」
「42万……」
その金額を聞いただけで、彼女の決意が見て取れる。
メイはこの機会がなければ、きっと自分で断界の塔に挑戦していた。
しかし、メイ自身が挑戦して向かうよりも、俺たちが第二界層に挑戦するほうが早い。
そう判断して、俺たちに希望を託そうとした。
クエストやバイトでルピアを稼ぐ苦労は、俺にもわかる。
しかも、メイは俺たちと違って、一からこつこつと貯めたもの。
それは金額以上の重みを持つ。
「一ついいか?」
「いえす。なんでしょうか?」
「どうしてそこまで、その回帰草を手に入れたいんだ?」
そうまでして、回帰草を求める理由が知りたい。
ただ何となく興味があるから、なんて理由でその金額は提示できはしない。
その問いに、メイは沈黙した。
目を伏し、数秒の時がすぎる。
そして、意を決したように顔を上げた。
「回帰草は、傷や病を元の状態に戻す可能性を秘めています。私はその可能性で、元通りにしたい人がいます。私の……大切なお母さんです」
察するに、察するにだ。
メイの母親は、恐らく傷か病のせいで消えない痕が残っている。
それをどうにかしたい。
娘であるメイが抱く感情としては、至極真っ当なもの。
そのためなら、どこまでも頑張れるのだろう。
「わかった! 私たちに任せて!」
詩織は、そんなメイの手を取る。
そして、強く握りしめた。
「いまはまだ無理だけど。きっと直ぐに第二界層に挑戦するから」
「あぁ、その通りだ。そのクエスト、俺たちが受けるよ」
「司さん……詩織さん……」
メイは握りしめられた自身の手を見つめる。
その目からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「ありがとう……ございます」
泣き崩れるメイを、詩織は優しく慰める。
その間、俺は背中を向けて見ないようにしていた。
泣き顔を見られるのは嫌だろうから。
「本日は、ありがとうございました」
目元の赤いメイは、そう言って頭を下げる。
しかし、そうしても、もう涙はこぼれなかった。
「じゃ、私はメイちゃんを送っていくから」
「のー。私はもう大丈夫です。一人でも」
「ダメ。そんな顔した女の子を一人で帰せないよ。ほら、いこ?」
詩織はメイの手を引いていく。
メイはそれにすこし戸惑っていたが、嫌がってはいないようだった。
「頑張んないとな」
二人を見えなくなるまで見送り、そう呟く。
断界の塔への挑戦は、元々は力試しの意図が大きかった。
だが、今は違う。
なんとしてでも第二界層へと挑戦したい。
その思いのほうが、ずっと大きくなっていた。
「……さて、こいつを返してこないとな」
じょうろを二つ持って、先生のもとへと向かう。
水やりの完了を報告し、じょうろの返却も終わり。
俺はその足で魔法植物園を後にした。
「――やっと、この日が来たか」
月末の三十一日。
俺と詩織は学園を離れ、断界の塔の前に立っていた。
前と言っても、そこは中心に噴水のある広場ではあるけれど。
「わかってはいたけど、高いねー。天辺が見えないくらい」
「東京タワーもスカイツリーも、目じゃないな」
今から挑戦するダンジョンの偉大さに関心しつつ、入り口へと目を向ける。
断界の塔の入り口は、漆黒に塗り潰されていた。
あの膜のようなものが一種の転移装置のような役割を果たしてる。
どの界層に行きたいかを思い浮かべれば、そこへ飛ばしてくれるみたいだ。
「……行こうと思えば、今からでも第二界層にいけるんだよな」
「そうだね。でも、それは自殺行為だって、わかってるでしょ? 司だって」
「まぁな」
行こうと思えば、第二界層に行ける。
けれど、許可されていない界層に向かうことは、それすなち自殺に等しい行為だ。
どれだけ腕に自信があっても、越えてはならない一線。
勇猛と無謀を履き違えてはならない。
「大丈夫。そんなことしなくたって、私たちならすぐに挑戦できるよ」
「あぁ、もちろんだ。それに第一界層で受けたクエストが、たくさんあるからな」
俺たちが断界の塔に挑戦することが正式に決まったすぐあと。
メイの時のように、俺たちに個人的なクエストを依頼してきた生徒が何人もいた。
これをすべて成功させれば、結構な金額のルピアになる。
第二階層への挑戦も、この調子ならそう遠くないはずだ。
「行こう。断界の塔に」
「うん。一緒に駆け上っちゃお」
俺たちは足並みを揃えて、断界の塔へと向かう。
漆黒の膜に触れて、突き破るように奥へと進む。
膜を抜ける感覚は独特で、あたかも水中であるかの如く肌に吸い付いた。
けれど、それも一瞬のこと。
突き抜ければ、そこはすでに断界の塔の中。
「――こいつは凄い」
視界いっぱいに広がるのは、見渡す限りの空と大地。
塔の内部に内包された幾つもの小世界の一つ。
第一界層、大平原。
俺たちはその大地に、世界に、降り立った。