理想
俺と詩織はトレーニングルームにやってきていた。
「まるでカラオケ店だな」
魔法陣で転移した先に広がるのは、ずらりと並んだ個室の群れ。
規則正しく配置された個室の列が、何列にも渡って立っている。
一つ一つが狭く感じるが、魔法で空間を拡張しているのだろう。
日本にも似たような施設はあった。
「あれー……どこも埋まってるね」
「人がいないところも……予約されてるな」
空いている個室はないかと探してみるも、なかなか見つからない。
すでに誰かが使っているか、予約で押さえられているか、そのどちらかばかり。
この反省を生かして、次からは予約を取るようにしておこう。
問題は今現在のことだけれど。
「うーん。日を改めるか?」
「んー……もうちょっとだけ、探させて」
詩織は諦める気がないらしい。
だとすれば、あとは誰かが使い終わるのを待つくらいしかないが。
「――ん? おーい、そこのお二人さん」
周囲をきょろきょろとしていると、不意に誰かに声を掛けられる。
そちらに視線を向けると、見知らぬ男子生徒がそこにいた。
クラスメイトでは、ないはずだ。
「見ない顔だけど、ひょっとして噂の転校生?」
「転校生は転校生だけど、噂のって?」
「そっちの女の子、すっごい強いんだろ? すげーのが転校してきたって噂だぜ」
そんな噂が流れているのか。
つい数時間まえのことなのに。
どこの世界も年頃の紳士淑女は噂好きだな。
「ここにいるってことは、二人も自主トレか? 転校早々、真面目なんだな」
「あぁ、でも生憎と空きが見つからなくてさ。どうしようかって話してたんだ」
「なるほど。なら、ちょうど良い」
ちょうどいい?
「俺、さっき使い終わったから、そこを使えばいいよ。あれ」
そう彼は背後の個室を指さした。
たしかに空室を示す赤色のランプが光っていた。
「助かる」
「いいってことよ。転校生には親切にしないとな。じゃ」
そう言って、彼は去っていく。
「ありがとな」
「ありがとうね」
その背中に礼を言って、俺たちは空いた個室に足を踏み入れる。
そこは訓練場の造りと同じ、真っ白で幻想的な空間だった。
個室の面積よりも明らかに広いそこは、やはり魔法で空間が拡張されている。
それでも訓練場よりはスケールが小さいけれど。
まぁ、あれだけ広くても持て余すだけだろうし、これくらいの広さがちょうどいいか。
「使用料は500ルピアっと」
リタから教えてもらった知識を元に、ケースからルピアを取り出す。
これで支給金の五分の一が消える訳か。
こりゃ金策は急務だな。
「司。私も出すよ」
「ん? あぁ、いいよ。今日は」
「でも……」
「なら、次ぎはそっち持ちってことにしよう。それでいいだろ?」
交互に使用料を払うようにすれば、貸し借りがなくて済む。
「そういうことなら。うん、わかった。じゃあ、次は私が払うからね」
「おう」
100のルピアを五枚支払い、魔法陣から転送させる。
すると、すぐにこのトレーニングルームに施された魔法が起動した。
白しかなかった空間に、色が描かれていく。
それは輪郭を宿し、形作られ、俺たちの見知った風景へと変貌する。
「ここって……ははっ、懐かしいな」
そこは幼い頃、詩織とともに過ごした道場だった。
踏みしめる床木の感触も、窓から射す日差しの暖かさも、漂う木の匂いすら、あの頃のままだ。
「私たちの共通認識が、魔法に反映されたってこと?」
「かもな……詩織も憶えていたんだな、あの頃のこと」
「あたりまえだよ。ここは私の原点なんだから」
原点か。
そう言えば、はじめて詩織にあったのも、ここだったな。
「よし、はじめるか」
「うん。手加減しないでよ? いつも通り、全力で!」
互いに空間を開いて、そこから得物を手繰り寄せる。
鞘から引き抜いた刀身は、かつての懐かしい思い出と同化する。
この一時だけ昔に戻れたような、そんな気がした。
「行くよ」
「あぁ、来い」
道場の床木が軋むほどの踏み込みが、開戦の狼煙を上げる。
加速した詩織は、そのままの勢いをもって直進し、一刀を繰り出した。
風切り音を鳴らし、神速が迫る。
しかし、俺はそれを下方から弾き上げると、すぐさま刀身を翻して反撃に移った。
「――くっ」
一撃を見舞い、詩織の勢いを削ぐ。
刀身でうまく防御されようが関係ない。
そのまま振り抜いて勢いで押し、体勢が乱れたところへ連撃を加える。
右へ左へ、上へ下へ。
あらゆる角度から刃を入れ、詩織を攻め立てた。
「このっ!」
声を荒げ、力を込めた詩織は俺の太刀筋を力尽くで歪めにくる。
俺の一撃を刀身の腹で受け、吸い付かせるように払う。
そうすれば刀はあらぬ方向へ向く。
その瞬間、その刀身はただの鉄の棒にまで成り下がる。
得物を手放したも、同然。
この状況を詩織は好機と見て、詰めにかかろうとする。
だが、そう考えたのはこちらも同じ。
「――なっ!?」
握りしめたのは、左手の拳。
刀がダメなら、拳を握れば十二分。
この状況下なら、鋒で曲線を描く刀よりも、直進する拳のほうが早い。
殴りつけた左の拳は、詩織の身体を吹き飛ばす。
地上を滑るように後退させられた詩織は、なんとか踏みとどまって勢いを削いだ。
「直前で手を差し込んだか」
俺の攻撃は、半ば防がれていた。
拳が魔殻に接触するまえに、詩織は手の平で受け止めようとしていた。
問題は、それが充分には叶わなかったこと。
掴み損ね、勢いを殺し損ね、身を攫われて後退してしまっている。
「っつー。流石だね、司」
詩織は、痛そうに左手を払う。
「完全に意表を突かれちゃった。でも、同じ手は二度も通用しないからね」
「その意気だ。さぁ、続けよう」
「うん。今日こそ、司を倒して見せるから」
俺たちはいつものように刃を交わす。
焔を灯し、冷気を纏い、魔法をぶつけ合う。
この仮初めの道場ではなく、本物の道場にいた頃から、ずっとそれは続いている。
詩織は何度も挑み、そのたびに手痛く敗北した。
けれど、それでも詩織は諦めることなく、折れることなく、食らいついてくる。
それが堪らなく嬉しいと感じてしまうのは、詩織が俺にとって希望だからだろう。
かつては沢山の仲間がいた。
けれど、結局のところ俺に付いてこられたのは詩織だけだった。
みんな、諦めてしまったのだ。
この俺を、この天道司を打倒するという目標を。
だから、今日も俺たちは刀を交える。
詩織は俺を倒すために、俺は詩織に倒されるために。
「――結局、また勝てなかった」
夜になってトレーニングルームをあとにした詩織は、落ち込んだように呟いた。
今日のところも俺の全戦全勝だった。
詩織と俺の目標が遂げられる日は、まだまだ先のようだ。
「でも」
そう言って、詩織は俺のまえへと回り込む。
「いつか必ず、司を倒してみせる――理想を、超えてみせるから」
そして、拳を突き出した。
「あぁ、期待してる」
俺もそれに拳を合わせる。
誓いを交わすように。