凍結
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったよね」
「あぁ、そうだったね。僕の名前はフォン。フォン・シールセンだよ」
「そっか。じゃあ、よろしくね。シールセンくん」
「お手柔らかに、東雲さん」
二人の間に流れる空気が張り詰める。
両者ともに、すでに臨戦態勢だ。
静かに戦いの火蓋が切られるのを待っている。
なので、その役目は俺が担おう。
「両方とも、準備はいいか?」
二人からすこし距離をおいた位置に立ち、そう確認するも返事はない。
この場合の沈黙は、肯定の証と受け取るべきものだ。
「じゃあ、いくぞ」
手を振り上げ、そして。
「――はじめ」
振り下ろした。
「吹き抜ける」
俺が役目を終えて後方へと跳ぶと同時に、フォンが仕掛ける。
彼が魔術で空中に描くのは、風で構築された線路。
詩織を逃げ場なく取り囲むように、曲線をいくつも張り巡らせた。
「容赦はしないよ」
そう宣言し、フォンは敷いた風の線路に足をかける。
瞬間、生身での再現が不可能なほどの加速を見せる。
フォンは風の線路上を加速しながら、次々と乗り換えていく。
その様はまさに縦横無尽。
彼に焦点を合わせたと思えば、次の瞬間には離脱されている。
遠巻きに見ている俺たちがそうなのだから、戦っている詩織が体験する彼の速度は尋常ではないだろう。
しかし、詩織はその最中にあって、誰よりも冷静だった。
かく乱に惑わされず、速度に乱されず、実に落ち着き払っている。
右手を刀の柄に掛けたまま、抜刀のときをただ待つ。
「――無駄か」
その姿を見て、フォンもかく乱は無駄だと悟ったのだろう。
彼の動きが目に見えて変わる。
惑わせるでも、乱すでもなく、倒すための機動と化す。
詩織までの最短距離を行き、背後からロングソードを振るう。
魔法使いとしての身体強化に加えて、風の線路による加速。
その両方を伴う彼の一撃は、達人の一刀にも比肩する速度を秘める。
だが。
「――」
決着は、一瞬にしてついた。
フォンの一振りはたしかに素晴らしいものだった。
太刀筋も、剣圧も、剣速も、並の魔法使いならまず避けられない。
しかし、詩織はそんじょそこらの魔法使いとは格が違う。
たった一刀。
たった一度の抜き打ち。
それに乗せた、高純度の魔法。
神速の居合いは、冷気を伴い馳せる。
ロングソードは半ばから折れ。
その瞬間を持って、詩織の周囲は凍結した。
「――え?」
詩織が放つ、氷の魔法。
それは指定した範囲の一切を凍結させ、勝負を終わらせた。
彼、フォンはいま氷の中にいる。
魔殻で直撃は防いだものの、身動き一つできはしないだろう。
詩織は、おもむろに指を弾いて音を鳴らす。
それが響いて伝わった直後、氷は音を立てて崩壊した。
あまりに一瞬の出来事に、訓練場は静寂に包まれる。
「……え、え? なに、いまの」
「見……えた? あの転校生、さっきなにしたの?」
「いつ魔法を発動してた? 誰か、見えてた人いる?」
すこしずつ喧噪が生まれ、それは次第に大きくなっていく。
手がつけられなくなるほど肥大化したそれは、最後には大きな歓声へと変貌した。
詩織という実力者に送られる賞賛の嵐。
それは聞いていて、自分のことのように嬉しくなるものだった。
「凄いわね、詩織。私でも辛うじて太刀筋が見えたくらいよ。あれを至近距離で打たれたらと思うと、ぞっとするわ」
ほかの生徒には見えていなかったようだけれど。
どうやらリタの目には見えていたらしい。
委員長をしているとだけあって、リタもかなりの実力者らしい。
「もしかして、貴方もあれくらい強いのかしら」
「さてな、どうだろ」
「誤魔化すのね。いいわ、いずれわかることでしょうし」
氷から解法されたフォンは、友達と思しき生徒に担ぎ上げられていた。
どうやら気を失っているようで、急いで保健室へと連れて行かれた。
そんな彼を見送っていると。
「司ー!」
詩織が駆け寄ってきて。
力一杯、抱きしめられた。
「おまっ、時と場合を考えろってあれほど」
「だって、アレ使うと寒くなるんだもん。あー、あったかい」
詩織の魔法は強力だが、相応のデメリットがある。
魔法の使用に伴う、体温低下。
軽度であれば寒い程度だが、重度になれば身体機能が著しく低下する。
だから、魔法の使用後は速やかに体温を平熱に戻さなくてはならないのだけれど。
その手段の一つが、俺に抱きつくことに、なってしまっている。
「……一応、説明してもいいか?」
「えぇ、どうぞ」
リタは、親切にもそう言ってくれた。
「詩織は寒がりでさ。俺は平熱がほかの人より高いんだよ」
というのも、俺も詩織と似たような魔法を使うからだ。
俺の魔法は焔。
使用に伴い、自身の体温が上昇してしまう。
だから、幼少の頃から魔法の訓練が終わると、いつも決まって抱きしめあっていた。
涼むため、暖を取るために。
「だから?」
「小さい頃は、よくこうして暖を取っていたんだよ。その名残でさ。うん」
「ふーん」
ダメだ、こりゃ。
詩織とは恋仲じゃない。
そう説明したばかりだと言うのに、もう信じてもらえそうにない。
でも、魔法使いとして、魔法のデメリットを人に話すのもな。
「詩織っ、いい加減離れろって」
「えー、まだ足りないのにー」
不満を言うように、詩織は頬を膨らませた。
けれど、構うことなく引き剥がす。
もう色々と、周囲の視線に耐えられない。
いまこの場にいるすべての人間から注目を浴びてしまっている。
居心地が悪いったら、ありゃしない。
「それより、それよりだ。どうだった? 戦ってみて」
話を逸らすように、そう問いかける。
「んー、悪くなかったけど。司じゃないとダメかな」
すこし乱れた髪を正しながら、詩織は言う。
「私の理想は、やっぱり司しかいないよ」
「そうか」
隣で話を聞いていたリタが、不思議そうな顔をしているけれど。
あえてそれを聞くようなことを、リタはしなかった。
代わりに、なにか含みがあるような笑みを浮かべていた。
まるで新しいオモチャを見つけた、子供のように。
「おーい、野次馬もいいが自習はちゃんとしろよー。半端な報告しやがったら、放課後に居残りだからなー」
タイミングを見計らっていたように、イリーナ先生はそう忠告する。
それを受けてクラスメイトたちは、我に返ったように一斉に散らばった。
リタもその流れに乗るように去って行く。
あの笑みの意味はいったいなんだったのだろうか。
それがすこしだけ引っかかるが、まぁ気にしてもしようがないか。
「し……東雲さん」
不意に、フォンの声がしてすこし驚く。
保健室に運ばれたかに見えた彼は、出入り口から戻ってきていた。
ふらふらの足取りで、友人に支えられながらではあるけれど。
「あ、シールケンくん。さっきの話だけど」
「言わなくていいよ。結果はわかりきってるから」
まぁ、あの魔法を間近で見てしまえばな。
「手も足も出なかった。自分の実力不足を実感したよ。でも、また誘っていいかな? 今度はもっと強くなっているから」
「うん。そのときを楽しみにしてるね」
その答えを聞いたフォンは、満足そうに薄く笑う。
そうして、ゆっくりとした足取りで彼らもまた去って行った。
今度こそ、保健室に行ってほしい。
「意外と似たもの同士かもな。フォンと詩織」
「そうかな? どんなところが似てる?」
「どれだけ手痛く負けても食らいついていくところ」
「……うん。そうかも」
あの諦めない姿勢を、俺はこの目で何度も見ている。
その素晴らしさと言ったら、見るたびに感嘆し、感動し、尊敬の念すら覚えるほどだ。
彼の中にもそれがあった。
「司。私たちも自習をはじめようよ」
「あぁ、そうだな。でも、全力はなしな」
「どうして?」
「学園の施設にトレーニングルームってあっただろ?」
そう言ってやると、詩織はすぐに察しがつく。
全力を出すなら、誰もいないそこがいい。
「わかった。なら、軽く流してウォーミングアップにしよっか」
「よし、じゃあはじめようか」
こうして一波乱あった実技の授業は終わりを迎えた。
その後の授業も滞りなく消化され、時刻は放課後となる。