転校生
Ⅰ
東雲詩織は、常勝不敗の魔法使いである。
現代の裏世界に属する魔法学園に在籍し、トップの成績を残したまぎれもない天才だ。
魔法の扱いに長けているし、戦闘におけるセンスも申し分ない。
容姿が素晴らしく端麗で、成績面も優秀そのもの。
自らの力量に奢ることなく、満足することもない。
はるか高みへと手を伸ばし続ける、強靱な精神性を持っている。
性格はからっとしていて、誰からも好かれていた。
絵に描いたような優等生。
彼女をそう称しても、異を唱える者などいないほどだ。
けれど、そんな完璧な詩織にも敵わない相手はいる。
それはたった一人の例外。
詩織が幾度となく挑み続け、未だに一勝たりとも掴めていない者。
たとえば、そう。
幼馴染み、とか。
Ⅱ
遠く日本を離れた地にて。
歩く地面は石畳。
見える街並みは赤煉瓦。
そんな見慣れた風景とは違う景観を、観光気分で楽しみながら歩くことしばらく。
俺たちは目的地であるところの、エターズ魔法学園へとたどり着いた。
「はー、まるで城だな。こりゃ」
校門から眺める学園校舎は、一国の王が座す王城のように映る。
荘厳にして偉大。
その敷地内に足を踏み入れることすら、憚られるような威圧感がある。
俺も、この学園に在籍することにならなければ、近寄ろうともしなかっただろうな。
「ほーら。はやく行こうよ、司。こんなとこで立ち止まってら迷惑でしょ?」
一方で俺の幼馴染みは、随分と肝が据わっていた。
すこしも臆した様子もなく、寧ろ楽しみにしているようでもあった。
平然と敷居を跨いで、くるりとこちらに振り返る。
栗色の長い髪が勢いで揺れて、憂いを知らないかのような瞳で射抜かれた。
そんな風に見つめられてしまうと、俺のほうも立ち止まってはいられない。
「わかったよ、詩織」
そう返事をして、俺も学園の敷居を跨ぐ。
俺たちの新たなる学園生活が、今ここに始まりを告げた。
「――という訳だ。天道司と東雲詩織。二人の転校生と仲良くしろよ、生徒諸君」
エターズ魔法学園の一角にある教室にて。
担任であるイリーナ先生は、金の長い髪を鬱陶しげに払いながら、そう告げた。
男勝りな口調で、教師にあるまじき露出度の多い衣服を纏う女性教師。
そんな有様で教職が勤まるのかと疑問に思ったけれど。
すぐに考えを改めた。
ここは格式も格調も高い、老舗の魔法学園だ。
その環境にあって彼女がクビになっていない以上、あの格好や口調でも勤まっている。
教師としての適性は、十分すぎるほどあるということだ。
「じゃ、二人は席につけ。後ろのほうに空いてるのがあるから」
指示に従って、俺たちは教室の最奥まで足を進める。
たしかに空いた席が二つ、隣り合っているのが見えた。
ほかに空きもないことだし、ここに違いはないだろう。
さしたる確認作業もすることなく、俺たちは着席した。
「よーし、じゃあ授業を――っと、そうだった。リタ」
「はい。なんですか? 先生」
リタ、と呼ばれた女子生徒が返事をする。
ちょうど目のまえの席にいた彼女の声は、同年代とは思えないほど大人びていた。
妖艶とさえ、言ってもいい。
「学級委員長として、昼休みにでも二人を案内してやってくれ。あと、この学園の仕組みもな」
「わかりました。任せてください」
二つ返事で了承したリタは、こちらを振り向く。
その身に纏う雰囲気と一連の仕草には艶があり、色がある。
そんなリタは俺と視線を合わせると、微かに笑みを浮かべた。
「そういうことだから、お昼休みに、ね?」
そうとだけ言って、彼女は再びまえを向いた。
年齢を五歳か六歳くらい詐称しているんじゃあないのか?
思わず、そんな馬鹿げたことを頭の片隅で考える程度には、彼女は大人びている。
どこからどう見ても学生服を着た二十代のOLだ。
「――さて、ここがロビー。多種多様な施設へ繋がる玄関口ってところね」
昼休み。
学級委員長であるリタに案内されたのは、広く空けた空間だった。
文字通り、空港のロビーのような場所で、数多くの生徒が往来している。
「施設への移動は、基本的に転移魔法陣を通ることになるわ。たくさん、並んでいるでしょう?」
リタの言う通り、このロビーには複数の魔法陣が描かれていた。
この空間を縁取るように、一定間隔に二つずつ配置されている。
生徒たちは、右側の魔法陣から現れては、左側の魔法陣に消えていく。
入り口と出口で魔法陣が決まっているらしい。
「あの端のほうから順番に、魔導実験室、図書室、魔法植物園、トレーニングルーム、食堂、それから――」
リタは一つ一つ魔法陣を指さしながら、行き先を告げていく。
流石はエターズ魔法学園とだけあって、魔法使いのための施設が充実している。
中には温泉なんてものまであった。
「――ってところね。折角だから、食堂に入りましょうか。お昼、食べてないでしょう? それに」
そう言ってリタは懐からとあるケースを取り出した。
「これの使い方も、教えないといけないしね」
薄い箱状のそれは、俺たちにも事前に支給されているものだ。
その中に入っているのは、数種類の硬貨である。
「ルピアって奴か」
「たしか、この学園内だけで使える独自通貨……だったよね?」
どこかの国の単位と同じ名前だったはず。
「そうよ。ここではドル札でも小切手でも、お買い物はできないの。まぁ、詳しい話は食堂に入ってからにしましょうね」
そう言って、リタは食堂へと繋がる魔法陣へと向かう。
「なぁ、詩織。ケースの中にどれだけ入ってた?」
「100のルピアが十枚と1000のルピアが四枚だけど。司は?」
「俺も同じだ。ということは」
手持ちの資金は5000ルピア。
この価値がどれほどのものか、俺たちはまだ知らない。
しかし、この学園生活における全財産がそれだけとなると。
「多いとみるか、少ないとみるか。微妙なところだな」
「月のはじめに支給されるんだよね? だから、考えて使えばこれだけで一ヶ月もつのかも」
「どうだろうな。そんな救済処置が用意されているかもよくわからん」
ここは魔法使いの学園だ。
良くも悪くも、世の中の常識からかけ離れた位置にある。
表の世界では非合法、非人道でも、こちらの世界では合法、人道的と扱われる場合もある。
そんな世界に生きる魔法使いという偏屈が集まってできた学園だ。
どんなことが起こっても不思議じゃあない。
「どうしたの? お腹、空いてない?」
「いま行く」
詩織と話し込んでいると、リタに呼ばれてしまう。
待たせるのも悪いので、話を終わらせて俺たちは食堂へと向かった。
「食堂――この学園にある施設の利用料は、一律で500ルピアよ」
食堂の入り口には、ゲート設けられている。
それの隣に備え付けられた台の上に描かれた魔法陣に、リタはルピアを五枚おいた。
すると、それらは一瞬にしてどこかへと転送されて消失した。
そして、ゲートは通行可能となる。
「500ルピアか」
手持ちの十分の一。
そう考えると、すこし多いように感じてしまうな。
頭の中で色んな思いを巡らせつつ、500ルピア支払ってゲートを潜った。
詩織もそのあとに続いてゲートを潜る。
「いま意外と高いって思ったでしょ?」
心の中を言い当てられた。
「まぁな。一日一食にしたって、食事にありつけるのは十日だけだからな」
一回の食事で500ルピア。
手持ちの5000ルピアだけでは二週間と持たない。
この分だと、支給金だけで一ヶ月過ごさせる気はさらさらないと見える。
「そうね。なにもしなければ、そうなるわね。でも、安心して。ここは食べ放題だから貴重な貴重な500ルピアを支払うだけの価値はあるわよ」
「だと良いけど」
この食堂の形式は、セルフサービス。
バイキングやビュッフェと言われるもの。
たしかバイキングは和製英語で、食べ放題と同義なのは日本だけとか。
そんなどうでもいい豆知識を思い出しながら、皿に料理を取り分けた。
「でも、今日はよく空いてるんだね。お昼時なのに」
たしかに見渡していても空席が目立つ。
生徒を多く抱える学園にしては、珍しいように思う。
「まぁね。みんな、ここよりもいいところで食事をしているから。でも、月末になると金欠の生徒でごった返すのよね」
「ん? ……あぁ、食べ放題だから食い溜めできるのか」
「そういうこと」
毎食の利用には高価だけれど。
一度の利用で食い溜めすることで、食費を浮かすことは可能だ。
そう考えてみると、一応は餓死者が出ないように配慮されているのか。
これでも餓死するなら、もう知らん。
そんな学園側の意思が感じられる。
「さぁ、続きはテーブルについてからにしましょう。あそこの席がいいわね」
リタは日当たりのいい席を差してそちらへと向かう。
俺たちはそれぞれ好みの料理を携え、テーブルに腰を下ろした。
「――もう察しがついているでしょうけれど。当然、支給金だけでは満足にご飯を食べることもできないわ」
そう言って、リタはフォークに刺した野菜を口へと運ぶ。
「……だから」
きちんと飲み込んでから、リタは話を続ける。
「私たちは働いてルピアを稼がなくてはならない」
「じゃあ、アルバイトってこと?」
「そういうこと。労働にはそれに見合った報酬を、ってね」
働いてルピアを稼ぐ。
社会経験の一旦を、学園内で行おうという取り組みか。
今朝にイリーナ先生が言っていた学園の仕組みとは、これのことだろう。
転校のまえに軽く聞かされはしていたが、詳細を知るのはこれがはじめてだな。
「でも、労働って言っても、色々あるよね? 例えば?」
「そうね……」
詩織の質問に、リタはすこし思考を巡らせた。
「至極簡単なものもあれば、面倒なものもあるわ。例えば学園内の清掃活動とか、先生方のお手伝い、幻想生物の飼育係に、魔法植物のお世話とかね。ほかにも色々と」
「まるで子供のお小遣いだな」
皿洗いをしたら百円。
部屋の片付けをしたら百円、みたいな。
「歴としたお仕事よ。私たちはクエストって呼んでるわ。それは先生から出されることもあるし、生徒会や生徒個人からでも可能よ。学園の審査をクリアしないと行けないけど」
クエストを出すには審査を通る必要があるのか。
まぁ、何でもかんでもクエストに出来るなら、悪用する奴が出てくるのは自明の理か。
こいつが気に入らないから殴ってくれた人に1000ルピア、とか。
その場合はクエストじゃあなくて賞金首だな。
「ほかにも、さっき貴方が言ったように、アルバイトをすることも出来るわ。学園の敷地内に商業スペースがあるのよ。カフェとか、飲食店、雑貨屋、魔道具店なんかが密集しているの」
「そこで働いてルピアを稼ぐってわけか。文字通りのアルバイトだな」
この食堂が賑わいを見せていないのも、そっちに客を取られているからか。
まぁ、エターズ魔法学園に在籍する生徒はかなり多い。
それらが一度に食堂へと押し寄せれば、あっと言う間に満杯になってしまう。
毎日毎日、大渋滞だ。
そうならないためにも、商業スペースは必要不可欠か。
「なら、リタもなにかアルバイトをしているの?」
「いいえ、私は特にしていないわ。委員長だから、それである程度ルピアがもらえるから」
「へー、そうなんだ」
委員長としての仕事も報酬の対象か。
面倒臭い役職なんだし、それくらいの旨味があって然るべきだな。
「なんにせよ、先立つものが必要か」
クエストか、アルバイトか。
どちらにせよ、ルピアを稼がなくては学園生活をまともに送れない。
明日にでも割のいいクエストかアルバイトを探してみようか。
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