第6話 虎穴
作戦B2は、周囲の障害を取り除きながらの宇宙猫の子供を捕獲する作戦である。B1は周囲の障害が親猫の場合を想定している。すなわちB2は猫以外の障害が対象という作戦行動になる。もっとも楽なのは障害が一切なく子猫1匹だけを考えればいいA1、子猫が複数いる場合のA2。作戦Bは1が親猫、2が親猫以外、3がその両方。C作戦は子猫を発見する前に親猫に遭遇し、強行突破、退避、撤退のパターンで立案されているが、事実上作戦失敗を意味する。
「作戦B2、了解」
三人の役割はアルフレッドが戦闘、僕が索敵、ノーラが子猫の捕獲になる。つまりこれから行われるのは、アルフレッドがオートクリーナーを一時的、或いは恒久的に無力化、無害化し、僕が周囲を警戒しつつ、ノーラが子猫を捕獲できるようにサポートするというものだ。
「俺が遮閉モードでオートクリーナーに近づく。上にいたオートクリーナーと同じであれば、こちらは察知できないだろう。安全を確認いた上で二人は捕獲の準備、ケージで子猫を眠らせ、俺がオートクリーナーの動きを封じる。その間に二人はワイヤーバイクまで移動し、離脱」
アルフレッドの指示がテキストと音声で遮蔽ヘルメットに内蔵された視覚補助システムと聴覚システムを通して伝えられる。僕らの存在は空気の中に溶け込み、お互いの姿はモニター越しにスケルトンワイヤーフレームとそこに紐づけられた別ウィンドウに顔が表示される。これによって、アイコンタクトとジェスチャーで音声なしで情報を伝えられる。もちろん肉声は外には漏れないように遮断されるが、人は隠密で行動するときに声を出さない習慣があり、また視覚情報による簡単な合図のほうが、通常の隠密行動と同じルールでできるので、通常はこのような方法を取るのである。
「見て、当たり前だけど、子供やっぱり子供なのね」
軍属ではないノーラにとっては遮蔽モードで言葉を使わないというのは、むしろ滑稽なのだろう。それはそれでいい。普段通りにできることが、この場合は優先されるべきだろうが、アルフレッドにはどうにもそれが、気になるらしい。
「余計なことはいい。作戦に集中しろ、ノーラ」
「はいはい、わかっていますよ。そっちこそ、子猫に逃げられるような派手なことはいないでよね」
このとき、僕は 一抹の不安を感じ始めていた。そしてアルフレッドがこの作戦が始まってから、イラついている理由、ピリピリしている理由がなんとなくわかった。
"こんなに簡単に子猫に出会うことはおかしい"
それはたとえば百に一つ、千に一つの可能性であるのであれば、それもいいが、いままで子猫の目撃例はほとんどないのである。いくら精度の高い情報があったとしても、これはうまく行きすぎである。これは万に一つ、或いはそれ以上の幸運によって引き起こされたことかもしれないし、それは僕やアルフレッドではなく、ノーラの持っている運であるのかもしれない。しかし、僕らは知っている。万に一つの幸運は、その十倍、何百倍の確率の低い不幸を連れてくることもあるのだということを。
「どこかに親猫がいるはずだ。警戒を怠るな」
アルフレッドは、オートクリーナーの後ろ1メートルの距離に位置を取り、警戒を促した。
いわゆる猫の視力は人間のそれよりも劣ると言われている。しかし、ネコ科の大型肉食獣の視力は人間をはるかにしのぎ、宇宙猫の視力はおそらくライオンやヒョウに匹敵するかそれ以上である。子猫をオートクリーナーと遊ばせている親猫はおそらく目の届くところに潜んでいるはずである。つまり今回の作戦はA案はまず実行されることがなく、B案もB1かB3であり、B2は『迷子の子猫作戦』ともいうべきレアケースである。その幸運を引き当てたのであるとするならば、それはそれでいい。しかし本当にそうなのであろうか。
"作戦B3へ変更すべきじゃないか"
僕の頭にそのことがよぎったが、相手の位置も数もわからないでどう対処すべきか、すぐに答えはでなかった。そしてモニターに映るノーラの表情を目にしてそんな考えは吹っ飛んでしまった。ノーラは勝手にオートクリーナーをよけて子猫に駆け寄って行った。
「この子が成長して、人を食い殺すだなんて……」
ノーラと猫のかかわりについては一応調べておいた。親しい身内を宇宙猫に殺された人間は時に復讐心から我を忘れて作戦を無視して行動することがある――それはすなわち死を意味する。彼女については、それに関する情報は得られなかったが、それは僕が調べられる範囲のことであり、宇宙猫とのかかわりなど、そう簡単にわかるものではない。特に彼女は要人でもあるわけで、記録の改ざんや隠ぺいは、あっても不思議はなかった。
「おい、ノーラ」
ノーラの表情は明らかにおかしかった。子猫を見つめるノーラの目はうるみ、今にも飛びかかりそうな顔をしていたのである。
「落ち着け! 無暗に手を出すんじゃない」
ノーラは鬼気迫る表情で子猫の背後に回ると、両手で一気に抱え上げた。
そして――
「なんて可愛いんでしょう! ずっと会いたかったわ、子猫ちゃん」
透明なノーラは子猫を抱きかかえたまま遮蔽スーツ越しに頬ずりをしたのである。
「なぁっ……」
声にならない声を上げたのは、僕だったか、アルフレッドだったか。次の瞬間、アルフレッドが怒号を上げる。
「畜生!」
僕のセンサーに最悪のアラートが流れる。
"Caution! Discover enemies"
「見つかったぞ。上だ」
僕がそう言ってアルフレッドを見たとき、奴は遮蔽モードを解除し、すでに戦闘態勢に入っていた。
「ちぃっ! 最悪だぜ」
宇宙猫にはまだ、僕とノーラの存在には気づいていないだろう。目に見えているのはオートクリーナーとアルフレッドと空中で泣き叫ぶ子猫である。どうやら親猫は通りを挟んで迎え側の50メートル先のビルの屋上に居たらしい。こちらのセンサーギリギリ外側からずっとこちらを監視していたのだろう。
"推定体長2.8メートル、体重200kg メス 推定接触時間20秒"
外部意識によって客観的な情報がモニターに映し出される。
「俺が囮になる、そのあいだにそいつをなんとかしろ!」
アルフレッドはオートクリーナーを駆け寄ってくる宇宙猫めがけて蹴り飛ばした。アルフレッドの筋肉組織並びに骨はナノテクノロジーを応用した増強システムによって通常の人間の5倍近くの力を出すことができる。その力を安定的に発揮するためには自重を重くしなければならず、ジャイロ効果を利用した制御装置を作動させる必要がある。つまり攻撃を有効に行うためには遮蔽モードを解除する必要があるのである。
アルフレッドの強靭な脚力によって蹴り飛ばされたオートクリーナーは、駆け寄る宇宙猫めがけて20メートルほど蹴り飛ばされ、そこでオートクリーナーも姿勢制御をおこない、路面に転がることなく着地したが、次の瞬間、宇宙猫の強烈なパンチを食らい、足を二本へし折られた。
「ちっ、瞬殺かよ。多少時間稼ぎになってくれるかと思ったんだがなぁ」
しかし、宇宙猫の注意を引き付けるには十分な効果があった。アルフレッドはすぐに遮蔽モードに入り、姿を消す。
「まったく、なんてことを!」
僕はアルフレッドの戦闘を外部意識でモニターしながら、ノーラをしかりつけた。
「ごめんなさい、私、この子を見ていたら、どうしようもなく抱きしめたくなっちゃって……」
いろいろ言いたいことはあったが、今はそれどころではない。
「子猫を早くケージに!」
ノーラは嫌がる子猫を無理やりケージに入れようとして失敗をし、ケージを地面に落としてしまった。僕はそのケージを拾い上げ、子猫の首根っこを摘み上げ、ケージの中に放り込んだ。
「乱暴はしないで!」
ぶん殴ってやろうかと思ったがノーラの少女のような表情を見た瞬間、ノーラの少女的な側面を完全に見落としていた自分に腹が立ち、思わず舌打ちをしてしまった。
「あなたって、最低ね! ディーノ・カンナヴァーロ」
"そうじゃない、君に対してじゃないんだ"
そう言いかけたとき、アルフレッドの怒号で我に返った。
「二人ともいい加減にしろ、ここは戦場だぞ!」
僕は彼女の手を掴み、ケーブルバイクのところまで走ろうとした。
「離して!」
一度狂った歯車は、なかなか噛み合うことがない。僕は子猫を入れたケージをスリープモードにセットした。子猫は催眠ガスによって眠り、エアバックで子猫を保護して安定させた。これによって多少乱暴に扱っても、子猫が起き出して暴れ出したり、傷ついたりすることはない。僕はいっそノーラも眠らしてしまったほうがいいかもしれないと思ったが、そんなことをしたら、あとでどんな罵声を浴びせられるかを考え、実行することはできなかった。
"そういうところが、お前さんは甘いんだよ"
あいつにそう言われることも簡単に想像ができてしまう自分が、嫌で仕方がなかった。
「虎児は回収した。撤収する」
ノーラにはあえて声を掛けず、状況を報告することで行動を促す。ノーラはそれに素直に従ったように見えたが、モニターに映る表情には僕に対する軽蔑と自分がしでかしたことへの自戒の念でいっぱいだった。
「急げ! 時間がない!」
アルフレッドの号令を合図に僕とノーラは思いっきり駆け出した。ここからワイヤーバイクのある場所まで20メートル。今のままでは確実に二人は宇宙猫に追いつかれてしまう。しかし一対一であれば、アルフレッド一人で対応可能だ。アルフレッドの跳躍力は垂直に10メートルほど飛び上がれる。一撃で宇宙猫を蹴り飛ばし、その隙にワイヤーに飛び移ればなんとかなるだろう。
"Caution! Discover enemies"
更なる敵の出現を警告するメッセージがモニターに映し出される。
ここは宇宙猫の巣窟だ。敵が一匹であるはずはなかった。
「ノーラ、ケージを捨てて撤退だ!」
"子猫の捕獲後に、複数の宇宙猫に囲まれた場合"というのは事前の作戦立案の中で、問題になっていた。子猫をケージから解放することによる効果がどうなるのか、まるで見当がつかなかったからである。もっといえば、確保した状態で敵に発見される状態は、想定される状況の中でおそらく最悪の事態である。哺乳動物の母性本能は高い。
これまで宇宙猫の子育てに関して何も情報が得られていないだけに、親猫に発見された場合のリスクは最大限に見積もるしかないが、その場合、我々が生還できる可能性は作戦を立案する意味が消滅するほどに小さくなる。
「一人でも生き残れれば上々、そしてその中で子猫を選ぶか、仲間を選ぶかという選択肢が出た場合は……」
あいつとの間では、第一優先はノーラであり、次が猫、そして自分たちという優先順位が暗黙で存在していたが、ノーラには猫を捨てるようにと話したのだが、ノーラは、それはできないと答えたのである。
「私はあなたたちも見捨てないし、大事な研究材料も必ず捕獲して帰るわ。失敗した場合のことを今から考えるよりも、そうならないように一分一秒でも費やすべきじゃなくて」と強気な発言をしていた。
「女って言うのは、男よりも強欲なんだぜ。わかったかい、相棒」
あいつはその場ではそうやって茶化したが、このままでは全滅してしまうかもしれない。僕はここでようやく強硬手段に出る覚悟を決めた。
「いやよ! 子猫は絶対に離さないわ」
彼女はケージを右手から持ち上げて胸のあたりでがっちりと抱え込むような格好になった。当然に走るスピードは落ち、僕は彼女を追い越し、遮蔽モードを解除して思いっきり跳躍した。
「馬鹿野郎!」
あいつがいつものように悪態をつく。やっといつものペースになった。いや違う。僕は何をやっている。こういう時に悪態をつくのは僕の役割じゃなかったのか。僕は空中庭園から垂れ下がっているワイヤーに飛びついた。地上3メートルの位置から2メートルほど上に登りながら、勢いで右に振れた自分の身体を制御し、逆方向に壁を駆け上がるようにして来た方向に身体を戻す。他のワイヤーに絡まないように注意を払いながら、固定されたワイヤーバイクを始点に振り子のようにして自分の身体を左側へ重力との折り合いがつく最頂点まで駆け上がり、大声を上げながら近づいてくる他の宇宙猫に向かって駆けだした。
敵は3匹、ありがたいことにこちらの動きにすっかり気を取られている。ちょうど猫が壁を這う虫を見つけたときのように、三匹ほど僕の動きに合わせて首と視線を動かす。
"推定体長3.5メートル、体重250kg オス 茶トラ 1頭、推定体長3.8メートル、体重270kg オス 黒白マダラ2頭"
宇宙猫と言っても、見た目は地球上にいる野良猫と大差はない。大きな違いは大きさ、重さ、敏捷性、狂暴性、知性が桁はずれであること。それは都会育ちの生身の人間がアフリカのサバンナでライオンの群れに囲まれているような絶望的な差である。そのような状況で取るべき最善手を僕の外部意識は的確に提示してくれる。
ビルを使ってスイングバイをしながら上に登って行けば、宇宙猫の注意を引き付けつつ、無事に空中庭園まで逃げられるかもしれない。これが、外部意識が僕に示した仲間全員を助け出す答えだった。宇宙猫はペンライトで照らされた壁に映し出された光を追うように僕の動き目で追いながら時々ジャンプをするが、往路と復路の起動が変わるために、何度も空振りをする。しかし奴らの野生はあと一歩のところで僕の身体に爪をたてるとこまできている。
ノーラは無事にワイヤーにたどり着き、遮蔽したままワイヤーバイクにまであと5メートルというところまで来ている。奴らの跳躍力は垂直に15メートルだと言われているが、ビルの壁をかけのぼるのであれば、恐らく30メートル近くまで登ることは可能であるが、着地はそうはいかない。地面が土や砂のような柔らかくないコンクリートや鉄板の上では、20メートルがおよそ限界値だろう――つまりワイヤーバイクの位置まで行けば、安全圏である。
「それは判からねぇぞ。母親っていうのは、そういう場合、自分が着地でどうなるかなんてことは考えねぇだろう。だから――」
ミーティングの時のあいつの言葉が脳裏に浮かんだ次の瞬間、僕の目の前は真っ暗になった。まるで落とし穴にでも堕ちたように……。