第3話 数字が語るもの
人類が宇宙への移民を本格的に始めたのは今から200年ほど前のことであるが、人類の営みは変わらない。
有史より人の活動拠点は転々としている。古代は河川の近くに文明が栄え、中世の都市国家、シルクロード、大陸間航路、ハブ空港。テクノロジーや文化の発展によって人の集まる都市は転々とし、繁栄と衰退を繰り返してきた。
それは宇宙に出てもなんら変わりはない。火星においても経済活動の中心は常に移動する。今回作戦地域になっているアレス・バレー・シティは人類が火星開拓の第一歩をアレス渓谷にしたのには、無人探査機による調査で、もっともその場所が開拓に適していると判断したからであり、当然アレス渓谷開拓地を中心に人類の活動範囲は広がっていく。少し離れた場所に新たな開拓地ができても、中枢はあくまでもアレス渓谷であり、そのような時代はしばらく続く。やがて、運搬技術の向上や発掘される鉱山資源などから経済的活動地域は移り変わり、また老朽化した開拓都市は、機能的にもハブ的な役割を果たし得なくなってきて、やがて火星の中心地は別の場所に移り変わっていく。
それでもいきなりすべての機能を移すわけにもいかず、またその土地に愛着のある者は、第二の故郷としてアレス・バレー・シティを愛し、そこで死んでいく。そのような郷愁も世代がわかれば忘れ去られていく。やがて都市は空洞化し、スラム化が始まると必然そこは悪の温床となり、不法行為、闇取引などが行われるようになる。ただ、それはアンダーグランドの話しであり、富めるものは高層ビルの最上階で安全に暮らしている。そしてその二つは隔離ではなく共存の関係であることが多いのである。
宇宙猫による都市部での最初の被害は、恐らくスラム街で発見された身元不明遺体であろうと推測されている。しかし、これらの証拠は当時、十分に検証されぬまま闇に葬られた。一つには被害届がないこと。もう一つは、そのようなことは日常茶飯事であったことがその原因であり、遺体に獣が荒らした後があったとしても、だれもそれが直接の死因だとは考えなかったのである。
当然である。
なぜなら、ここは火星なのだから。
しかし、事件は起きた。
匿名の通報を受けて駆けつけた警官によって回収された遺体に残されたライフレコーダーに信じられないものが映り込んでいた。それは猫であるには違いがないが、猛獣を超えて怪物と言って遜色のない、まさに怪獣である。4つ足で歩行した際の頭の高さが10歳の少女の顔の高さに匹敵し、その獣は少女の身体に飛びかかり、首元に噛みついた。さながらライオンや虎が人を襲うような光景であった。そばにいた偉丈夫の男性が、思いっきり獣の脇腹を蹴飛ばすと、その獣は身をひるがえし、今度はその男性に襲いかかった。
少女はその場で気を失い、目が覚めたときは近くの病院の集中治療室の中だった。現場には無残に痛めつけられた男性の遺体が転がり、その凄惨な様子が彼のグラスデバイス(眼鏡型端末装置)のライフレコーダーに記録されていた。
その男性は、少女の父親だった。
当初、ゴシップののりで報道されたこの情報は世間の注目を浴びたが、どちらかというと街中の下水道に現れたワニのような扱いで、誰かが持ち込んだ珍獣が火星のスラム街で大暴れしているといった風潮であったが、数か月後事態は一変する。
地元警察による危険生物の駆除作戦が敢行され、18人の警官が軽武装、2人のレンジャーが特殊武装でこの作戦に参加し、獣が出現した場所を中心に獣狩りがおこなわれたのだが、だれもが予想しなかった事態が発生することとなる。
午前10時、マスコミ数社の取材を受けながら、4人一組、5つの部隊に分けてスラム化したビルをひとつひとつ探索していくが、撮影はすぐに中止が命じられた。捜索を始めて30分足らずで、遺留品や血痕、遺体の一部が発見され、彼らは身の危険を察知したのであったが時すでに遅し。彼らは一瞬にして狩る側から狩られる側に立場を変えられてしまった。怒号と悲鳴、そしてうめき声。猛獣と化した巨大な猫が街のいたる死角から警官隊に襲い掛かり、四肢から生気が失われ、壊れたおもちゃの人形のようになってもなお、その獣は攻撃をやめることはなかった。
彼らは食うためにではなく、人を狩り、弄ぶために現れたのであった。
悲惨なのは彼らに相手をされなかったマスコミの取材班である。ある程度安全な場所に陣取っていた彼らは攻撃の対象とされなかったことは幸いであったが、そのぶん、人間から命が失われ、マネキン人形のようになり、それすらも破壊されていく様をいやおうなしに見せつけられる羽目になり、それは一生消えることのない心の傷として彼らの心の奥底に刻まれたのであった。
以来、この地域は侵入禁止エリアに指定され、スラムではなくゴーストタウンと化したのである。人はその地域を放棄し、地上10階以上の建物の上で生活をするようになった。それ以下の建物は、宇宙猫の住処と言うわけである。
「あのとき、いっそ町ごと焼き払ってしまえばいいなんていう、過激な意見もでていたが、猫ごときにそこまですることはないというのが、大半の見解だった」
ローゼンベルガーは作戦地域に浮かう武装ランドシップの操縦席で重い口を開いた。
「そうね。でも今日の被害が予想されたとしても、やはりそれは愚行だと私は思うわ」
ノーラは奴の顔を横目で見ながら、宇宙猫と人類の戦いの歴史を語り続けた。
「宇宙猫の生態については、遺伝子レベルの解析は進んでいるけれども生態については、ほとんど知られていないわ。自然界の生き物とは行動パターンも違うし、都市に住み着いたものと、ドームの外側で野生化した個体とも、恐らくはまったくちがうのだろうけれど、いろいろと謎が多いのよね」
武装ランドシップは東へと向かっている。アレス・バレー・シティまで1時間ほどで到着する予定だ。現在は安全な高度を保って地上100メートルを滑空している。火星の重力は地球の約三分の一しかない。宇宙猫の跳躍力は一説には30メートルを超えると言われている。一応安全基準としてオートパイロットでは地上60メートル以上での飛行が義務付けられているが、それは民間での適用であり、軍用機はこの基準に当てはならない。
「かなりの数の戦闘を経験してきましたが、奴らとは常に戦闘状態で、いつ、どこで食事をし、眠り、生活を営んでいるかについてはまるでわかっていないのは確かです。ただ、ほとんどの場合、奴らが出現し、暴れている地域に、我々が派遣されるという流れになっているから、正直、そういったことは戦闘に役に立つ場面はあまりないんですがね」
もちろん、そうでない場合もある。作戦ポイントに移動中の遭遇戦などがそれにあたるが、そういう場面では、大概宇宙猫は何処かに逃げ去ってしまう。こちらが深追いしない限りは、ほとんど反撃してくることもない。
ノーラの話を聞きながら、宇宙猫との戦いに関するライブラリーファイルを"外部意識"で確認しながら、これからの作戦に関するリスクを検証していく。"外部意識"とは、拡張型自己診断システム(Extended self-diagnostic system 通称SDS)のことで、診断対象者――僕の場合であれば、僕が戦闘前にどのような準備をし、どう考え、どう行動したかをデータといて構築し、擬似人格――つまりもう一人のディーノ・カンナヴァーロを作り上げ、セカンドオピニオンとして意見を交換したり、ある程度の仕事を任せたりすることができるのである。
ただしこれは誰しもができることではない。使い方を誤れば、オリジナルの人格に悪影響を及ぼすこともあることから実際に使いこなせる人間に僕自身もあまりお目にかかったことがない。SDSそのものは標準装備だが、僕が"外部意識"と呼んでいる拡張型自己診断システムを使いこなせるのは上級のメディックやヒーラー、整備士には何名かいるそうだが、彼らが"外部意識"という呼び方をしているかどうかは、僕の知るところではない。
「宇宙猫の胃の内容物には、普通の猫とたいして変わらないものしか入っていないってご存知?」
「奴らは俺たちを食い物としては見ちゃいないさ」
ローゼンベルガーはオートパイロットの計器を眺めながら独り言のように話す。
「そうなの。ライオンや虎などの大型の肉食獣は、人を襲ってそれを食べるわ。これは自然の摂理なのだけれど、宇宙猫が何故人を襲うのかについては、野生としては理にかなっていないのよ」
ノーラは相変わらず、僕に話しかけてくる。
「そうでもないぜ。奴らにとって人を襲うのは、いわば群れの中で強さを誇示する儀式のようなものさ。だから人を襲い、痛めつけ、食べる目的ではなく、まず仲間に獲物の自慢をするのさ。人間が釣った魚の大きさを競うのと同じさ。そして、恐らくはそのあと……」
嫌な沈黙が流れる。
戦闘には参加しない雌猫や子猫たちが、肉塊と化した人体をどのようにして食べるのかを想像はしても誰も口には出したいはずもない。
「だから、今回、子猫を生きたまま捕獲したいの。それと妊娠している雌猫ね。これもできれば生きたままがいいけれど――」
「ノーラ、それはリスクが高すぎる。まず発見することが困難で、捜索に時間がかかる。それに普通に考えて、そういう時期の母猫はいろいろと厄介だ。悪いけれど生け捕りは最初か作戦行動の中から外している。あくまでオプションだ」
「生きて帰る。それができて、初めて一人前の兵士だ。素人のあんたには、それがどんなに難しいことかわかるかい?」
ノーラはむっとした顔で何かを言いかけて、押し黙った。
「数字は、嘘をつかないんだろう?」
今日のあいつは、本当にどうかしていた。