第2話 悪い予感
ノーラ・マッカーシーを一言で例えるのなら、"男勝りの才女"である。修飾を施すのなら"若くて、美人で、お転婆で、いたずら好きで、頑固で、我がまま。頭の回転が速く、身のこなしは機敏で、畏れを知らない。それが僕の好みの女性のタイプと言うことは全くないのだ。
彼女はブロンズに輝く髪の毛を特別なものだとはこれっぽっちも思っていないようで、風でセットが乱れることを嫌がったりはせず、服装もどちらかといえば機能を重視している。容姿に関して言えば、男の気を引くような可愛らしさや、艶といった物は微塵も感じられない。タイトなスーツは彼女の身体の線を際立たせてはいるものの、妙に腰をくねらせたり、胸元あたりを強調するようなポーズをとったりすることはない。決して小さくはない胸のふくらみでさえ、彼女にとっては格好よくスーツを着こなすには必要だが、それ以上は何も求めていないように見える。
彼女は赤色を着こなすのに十分な個性を有し、白のブラウスの清潔さ、青い瞳の神秘さ、ブロンズの髪の毛の荘厳さ、シャープな目鼻立ち、どれをとっても過剰でもなく、物足りなさもなく、それは絶対的な比率での"均整"や"調和"と言えるだろう。
ただ唯一、彼女には欠点があり、恐らくはそれをコンプレックスに思っているのに違いがなかった。おそらく僕は、そこにまず惹かれたのだと、今であれば冷静な自己分析をすることが可能である。
彼女はその佇まいも、生まれも、個性も、間違いなく人を従え、例え上から見下ろすような態度を取ろうとも、それに相応しすべてを持っている。だが、彼女はおそらく、これまで人を見下したりはしなかった――いや、できなかったのだろう。
彼女の身長は、どれだけ高いヒールを履いても、すらりと見えるようにストライプが入ったパンツを履いても彼女の目線は常に上を向く。話し相手がローゼンベルガーであれば、奴が椅子に腰かけていても、彼女は見上げなければならない。だから彼女は意識的になのか無意識になのか奴のそばにはいかないし、その分僕と会話をする機会、そして彼女との距離感は近くなる。
「作戦を実行するに当たっては、まずノーラの香水を何とかしてもらわなければならないですよ? それにまさかヒールを履いて現場に行くわけじゃないでしょうね」
言われなくてもわかっていると、彼女は不機嫌を絵にかいたような顔付きで反論した。
「あなたこそ、その馬鹿デカい図体は、見かけ倒しじゃないんでしょうね」
僕は必至で笑いを堪えたが、そういうことが器用にできる男ではなかった。
「ディーノ、あなたも私をがっかりさせないで頂戴ね。女の扱いはともかく、ヒーラーとしては一流の仕事をしてもらうわよ」
いじらしく、愛おしく、けなげで、強情で、ハツラツとして、聡明でいて、不器用でもある。
職業柄、人物の分析――共同で作戦をする場合には、当然に参加者全員の健康状態をチェックするのだが、彼女に関するデータはこの時点でまだ何も知らされていなかったこともあって、僕は無遠慮に彼女の性格や身体的特徴を目視で行っていた――はNMMを使わずとも、目視と問診で、だいたいの健康状態がわかってしまう。そうでなければ、この仕事は務まらないのだが、この時の僕は、単純に彼女を1人の女性として分析していた。
「ヒールはともかく、香水は別にいいんじゃないか。どのみち密閉型光学迷彩スーツを着用してもらうのだし、脱臭機能が作動していれば奴らに気付かれることはないだろう」
対宇宙猫用に開発された密閉型光学迷彩スーツには、宇宙猫から身を隠すためのありとあらゆる機能が備わっている。迷彩、消音、消臭、温度調節が環境に応じて自動制御され、極端な話、奴らの鼻先迄行くことも可能である。ただし、それはあくまでも戦闘前の話しであり、戦闘状態になればこのスーツは非常にもろい。
「あれは猫に鈴をつけることはできるが、それ以外には何の役にも立たないからな。過信は禁物だ」
そんなことはわかっていると、僕はそう言い返そうとしたが、それを受け付けない凄みが、僕を黙らせた。
「あれは我が社が誇る最高の技術スタッフが作った傑作よ。あなたにとやかく言われなくたって、何ができて、何ができないかくらい、承知しているわ」
ローゼンベルガーに目を合わせず、ぷいと横を向いて頬を膨らませた姿は、子供の頃に見た童話のプリンセスそのものだった。
「兎に角、現場での指揮にはしたがってもらう。不測の事態と言うやつは、人でも機械でも必ず起きるものだ。奴らはそれを見逃さない。奴ら以上の狡猾さと慎重さを持たなければ、やられるのはこっちだ。遊びじゃないんだぜ。ここは戦場だ」
ノーラは顔を真っ赤にして大男を睨みつけたが、大声を出すのを必死で堪えていた。
「おい、何もそこまで言わなくたって……、彼女だって奴らのことはよくわかっているさ。しかしノーラ、それとこれとは別の話なんだが、ヒーラーとしては随行するメンバーのメディカルチェックは事前にしておきたい。思うところもあるのでしょうが、命に係わることです。僕にパーソナルデータへのアクセス許可と強制介入コードを一時的に発行してもらうわけにはいきませんか? もちろん作戦終了後、これらのデータは規則に従い、全て破棄されますし、指定された機密領域には侵入しません」
奴が嫌われ役を買ってくれたおかげで、ノーラは僕の提案には素直に応じてくれた。それはある部分ではあいつとの阿吽の呼吸であったのかもしれないが、そんなわけで、アルフレッド・ローゼンベルガーは、朝からずっと不機嫌を装っていたし、実際不機嫌になっていた。僕はそれを取るに足らないことだと思っていたが、どうやらそれはまちがいだったようだ。
奴の悪い予感は、見事に的中したのであった。
彼女の健康状態に、特に問題はなかった。ハウスダストや特定の動物、とくに猫に対するアレルギーが重度である。これは近年顕著で、宇宙猫と人が争うようになってからは、二重の意味で増えている。一つは実際に猫の数が増え、空気中にアレルゲンが浮遊していること。猫が個体として巨大化したこともそれに拍車をかけているが、さらに言えば、精神的に猫に対する拒絶反応を起こす人も少なくない。
彼女のデータには特に宇宙猫に関する直接的、或いは身内が被害にあったという記述はなかったが、少なくとも一研究者として、宇宙猫の扱いについてパニックになるようなことはないだろう。そのような特記事項は存在していなかった。もちろんそれらが機密領域に隠蔽されている可能性は否定できないが、だいたいそれなら、この任務を指揮して現場に出るなどということはないだろう。常識的に考えれば問題はない。
「ノーラ、念のために聞いておくけれども、猫を極端に怖がったり、或いは恨んでいたりってことはないよね」
「そんなことあるわけないじゃない。これはビジネスよ。そして人類の火星の覇権をかけての戦争なのよ」
気丈にそう答えるノーラの言葉を、僕は信じた。
"女の言うことを鵜呑みにすると、ろくなことにならないぞ"
いつだったか奴と大規模な作戦の合同ミーティングのあと、メンバー数名で行きつけのバーに寄った時、若い整備兵が、機械は嘘をつかないが女は嘘をつくから始末に負えないと馬鹿話をしたときに、奴がぽろっとこぼしたことを、今になって思い出したが、奴が『女が絡むと悪い予感の的中率が上がる』と言っていたことを、僕はもっと真剣に聴くべきだったのかもしれない。
「では、作戦の確認よ。宇宙猫の生態、特に街に住み着いた猫の交尾、出産、子育てについてのサンプルが欲しいの。成長した親猫の戦闘力や学習能力はこちらの予想をはるかに上回る個体が増えてきているの。それについては現場に出ているあなた方も実感しているとこでしょう?」
ノーラから手渡された資料には解読不明の文字が書かれている。これは機密文書保護加工がされた極秘資料で、内容を読むためにはキーグラスを掛けて見る必要がある。キーグラスとは、書面の文章や画像を読み取るために、認証キーが設定してあり、パーソナルキーと連動し、アクセス権限を管理している特殊めがねであるが、見た目は普通のサングラスと変わらない。
「確かにすべての個体と言うわけではないですが、肉体的なパワー、スピードもさることながら戦闘知識、特にこちらの武装攻撃に対する対処能力は知識の並列化が見られますね。まるで学校で訓練されたみたいにね」
資料にはそれを示す統計データが載っている。このデータの意味するところはすなわち、多くの犠牲者が出ているということを示している。有効であると軍で採用された兵器が、ものの数か月で敵に効果がなくなるというのでは、企業の信用うんぬんよりも、兵士の成り手が居なくなってしまうだろう。
「メダカの学校じゃあるまいし、まさかあのろくでもない獣が、真面目に授業を受けているっていうのか。もしそうだとしても、半分は居眠りをしていて、残り半分は子作りに夢中なんじゃないか」
もともときれいごとを言うのは得意ではない男だが、今日の奴は、悪目立ちが過ぎる。
「そうね。そうかもしれないわね。でも、だとしたらこのデータはどういうことなのかしら。数字は嘘をつかないわ。これは宇宙の真理よ」
ノーラの得意分野は数学だ。特に人類の過去における数学的難問、ポワンカレ予想に関する論文は、賛否両論はあったものの、この若さで一石を投じたことについては、彼女が単に親の七光りで今の地位にあるわけではないことを示していた。
「数字はあくまでも結果さ。真理とは関係ないさ」
「やめないかアルフレッド! 今日のお前、少しおかしいぞ」
「お前さんもわかっているだろう? 数字は結果だ。予測の材料にはなるが、それ以上ではない。戦場では常に何が起きるかわからない。基本中の基本だ」
ローゼンベルガーはキーグラスを外し、テーブルの上に書類と一緒に投げ捨てた。
「私はその数字を使って予測をするのが仕事なの。お互いに専門分野への口出しはしないほうがいいのではなくて?」
ノーラは怒っていた。
「作戦前だぞ。二人ともわかっているよな」
そうは言ったものの、僕の心情としてはノーラの肩を持つ方向にすっかり傾いていた。理由はいくつかあるが、ヒーラーとしては数字をもとに予想を立てることは重要なことであり、それを過信してはいけないことも重々にわかってはいたが、時に奴のやりようは型からはみ出すぎて、予測数値が何の役にも立たないこともしばしばある。そういうことに苛立ちと言うよりは、肝を何度も冷やされたことを、多少なりとも恨みには思っていたのだろう。
「作戦の意義は理解したつもりです。すいません。こちらは意義や意味よりも、より確実に作戦を実行するためにどうすればいいのか。そのあたりを話したいのですが、それではダメかな。ノーラ・マッカーシー」
僕の仲裁でその場はどうにか収まり、具体的な作戦行動や兵装、緊急の場合の対処について実りのある話ができた。
ミーティングが終わった後、僕はノーラに呼び止められ、二人きりで話をした。
「あなたの相方さんも、そうとうな変わり者ね。別に自分を棚に上げて言うわけじゃないけれど、あなたには苦労を掛けるわね」
「いつもはあんなんじゃない……、と言いたいところですが、僕からしてみれば、いつものことですから。問題はないでしょう」
「そう、それならいいのだけれど。これだけは覚えておいて」
ノーラは僕に耳を貸すように合図をした。僕はそれに従い腰を屈めた。
「私、あの人、嫌いよ」
そう、囁いた後、彼女は僕の頬にキスをした。
「じゃあ、よろしくね。ディーノ」
僕は彼女の後ろ姿をしばらく見つめていた。
「悪い予感なんて、これっぽっちも、しないけどな……」
体温の上昇、心拍数の一時的な上昇をやり過ごし、出撃の準備に取り掛かった。
「ご機嫌だな、相棒、でもこれだけは覚えといてくれ、鼻歌は死神を呼ぶぞ。特に戦場ではな」
もしもローゼンベルガーが冷や水をかけてくれていなければ、僕は今頃、この世にいなかったかもしれない。
だが、その時の僕には、まるでそれがわかっていなかった。
作戦開始時刻まで、あいつとは一言も、話をしなかった。