第1話 決死圏
「もう死ぬかもしれないと思った瞬間、あー、俺って生きているって実感できるわけよ」
あいつは遠くを見つめながらそう言ってのけた。いや、案外とそれほど遠くないのかもしれないが、身近なものを見て、そんなことを言っているのだとしたら、あいつと自分との距離があまりにも離れてしまっている。そう思いたくなかった。或いはそう、認めたくなかった。
「死に損ないが、えらそうなことをぬかすなよ」
僕は手当てに専念しようとしたが、あいつの言いように少し腹が立ち、そして不安な気持ちにさせられ、嫌味の一つでも言わなければ気が済まなくなった。
「ずいぶんと罰当たりな言い方をするじゃないか。お前さん、最近口が悪くなったよな」
よくもこんな状態で悠長な口のきき方ができるものだと呆れる。思えばアルフレッド・ローゼンベルガーと出会ってからこの方、呆れるようなことばかりだったが、期待を裏切られたことは一度としてなかった。あいつは必ず生きて帰ってきた。
「もしそうだとしたら、きっとそれは身近にいる誰かさんの影響さ」
いつものあいつなら、ここで大きな声を出して笑い飛ばすか、僕の首に丸太のような腕を巻き付けて減らず口の一つでも叩くのだろうが、さすがにその元気はなかった。顔は笑っているように見えたが、意識を保っていること自体が相当な負担のはずだった。『これまでで一番酷い』という状態を毎回、毎回更新している。まるで何かの記録に挑んでいるかのように。そう考えると、ますます腹が立ってきた。
戦いは厳しさを増している。いくら超人的な回復力を持っているからと言って、不死身ではないし、高い回復能力も無限ではない。あいつの基本性能はずば抜けているし、僕の治癒能力も同等のヒーラーに出会うことはまずない。しかし不死身の戦士などいないし、死者を生き返らせるヒーラーもいない。限界はもうすぐそこまで来ている。戦いの度に――生きて帰ることができた度に、そう思ったのだが、次の戦いのときにはさらにその上を行くダメージを負ってしまっている。
「不死身を証明するにはできる限り死に近づかなければならない。俺たちはそれを実践するためにこの星にやってきたわけではないが、本人たちがどう思おうとも、結局物事を決めるのは観測者だからな」
アルフレッド・ローゼンベルガーは無骨な人間であることは間違いないが、決して戦闘馬鹿というタイプではなかった。やや達観した物の見方をし、誰よりも熱く燃え上がるが、誰よりも炎をクールにコントロールできる。
「いい料理を作るためには、火加減が大事なのさ」
あいつが戦闘を料理のレシピみたいに表現することに最初は戸惑いを感じたし、実際、他人が聴いたら不謹慎だと思うに違いなかった。しかし、戦争などというものは不謹慎をどれだけ真面目にやり切れるのか。それこそレシピに忠実に敵を『料理』することを求められるし、名コックはすなわち、名将や英雄と呼ばれるのである。
「なるほど、確かに治療というのも、ある意味料理みたいなものだからな」
戦闘を料理に例えるのと、治療を料理に例えるのと、どちらがより不敬なのかということについては、僕たちは意見が一致していた。さて、今回の料理のテーマは勇敢なる戦士の活造り――我ながら、罰当たりなことだ。
「お前さんの包丁さばきはいつみてもほれぼれするね。世が世なら料理の鉄人として讃えられただろうな。アイアン・シェフ――ディーノ・カンナヴァーロとかな」
外傷は火傷、凍傷、打撲、毒物による皮膚組織の壊死。噛みつかれたり引っ掻かれたりした場所は雑菌によって化膿している。それらの菌は、あらかじめ予防処置がしてあるので、体内に入り込んでも免疫によって致命的なダメージにはならないが、体温は上昇し、普通の人間なら歩くことがままならないだろう。
あいつは「あばらを2~3本もっていかれた」と言っていたが、それは逆で無傷なあばら骨の本数だった。ヒビが入っている程度の物はおそらく24時間で自然治癒するだろうから、それでも治らない骨は右の4番と5番、左の6番と7番だ。しかしそれよりも深刻なのは左腕のダメージだ。前腕の橈骨と尺骨は粉砕骨折しており、筋肉組織はずたずたにされている。強力な顎をもつ敵に噛み砕かれたのもそうだが、使えなくなった左腕を盾替わりに使うような無茶をしたに違いなかった。
軽量級のパワードスーツは完全にダメージを吸収することはできない。あいつの内臓が無事なのは強靭な筋肉の鎧、そして破損と修復を繰り返して強化された骨の強度による。軽量級のパワードスーツの利点は、徹底的に追及された軽量化とより素肌に近い感覚を装着者に伝える機能の充実である。それによって体術を極めた者は道着を着た感覚で戦闘を行うことができる。敵対する相手の殺気のようなものを感じ取ってコンマ数秒の差を積み重ねることで有利に戦うことができる。
一方、重量級のパワードスーツは、高い防御力と直線的な推進力、そしてアタッチメントで様々な武器や防具を装着できるが同時に、それらをフルに使うことで多くのエネルギーを消費するという難点を持つ。行動可能時間内に敵を殲滅できなかった場合、格好の的になってしまう。戦線から離脱する際は、パージしてめくらましや自爆によって脱出を補助する機能は標準でついているが、重量級のパワードスーツは急な加速や停止、重火器使用時の衝撃などによって着用者の体力の消耗も激しい。
アルフレッド・ローゼンベルガーは状況にようってそれらのスーツを使い分けることができるオールマイティな兵士だが、軽量級のスーツを好んで使う。
「スーツが頑丈だと、ついついその防御力に頼って隙ができてしまう。常に命の危険を肌に感じられるこいつのほうが、俺には性にあっているのさ」
僕から言わせれば、あいつは命のやりとりを愉しんでいるのだ。不死身を証明するために、限界ぎりぎりまで死に近づく。死神の鎌が後ろに束ねた髪の毛を数本切り落とす間合いまでは平然と入り込み、死神がまとったマントの生地のしなやかさを頬に感じ、しゃれこうべの目の穴の中に深遠を覗き込み、不適な笑みを浮かべる。
「お前さん、知っているかい? 死神には目玉がないんだぜ。かわりに深い、深い闇があるんだ。俺は一度その闇の中にサバイバルナイフを突っ込んでやったことがあるんだぜ。そしたらどうなったと思う。あの野郎。ナイフごと俺を闇の中に飲み込もうとしやがった。もし一瞬ナイフを放すのが遅かったら、俺はこの世にいなかっただろうな」
あいつとコンビを組んだのは、その死神によってあいつの所属していた部隊が壊滅させられ、あいつただ一人、奇跡的な生還を果たしたあとだった。唯一の生き残りであったアルフレッド・ローゼンベルガーは、それをきっかけに『不死身の戦士』と呼ばれるようになったのだが、同時に『死神憑きのローゼンベルガー』と呼ばれるようにもなった。
あいつが受ける任務はどれも遂行困難なミッションであったから、必然犠牲者も多くなる。アルフレッド・ローザが通り過ぎたあとに死体の山があるのではない。
あいつの向かう先が常に決死圏なのである。