魔人
ラスカに服を着せ、孤児院にたどり着くと、そこは既に騒然となっていた。
ただ、それは現在進行形で何か起こっているというよりは、全て終わった後と言った様子だ。
「ティオ!」
「あ、レン! よか……って、大丈夫!?」
ラスカを抱いたまま駆け寄って声をかけると、ティオはほっとしたような表情を浮かべるが、俺の服がやたら汚れているのを見て一気に慌てた表情になる。
「ああ、平気だよ。ラスカのお陰で怪我一つない」
なー? と腕の中のラスカを見ると、こくりと頷きが返ってきた。
それを見て、改めてティオもほっと胸を撫でおろしている。
「それでこっちは……まぁ、大体察しがつくけど」
言いながら、俺は運動場を見渡す。
そこには、ケルベロスと思しき死体が3体ほど、全て身体があり得ない角度で折れ曲がった状態で転がっていた。焼くでも凍らせるでも斬り裂くでもなく、強烈な鈍器で殴られたかのようなこの倒され方を見れば、誰がやったかなど考えるまでもない。
「ティオ、1人でやったのか……?」
それでも、俄かには信じられずそう尋ねる。
俺など、1人では成す術もなくラスカの助けがあってようやく1体仕留められただけだというのに、ティオはそれを3体も。それも、最近は孤児院に新しく来る子があまりいなかったために卒業などで人数が減ったとはいえ、8人もの子供を守りながら成し遂げたのだとしたら、驚くなというほうが無理というものだ。
「え? そうだけど……」
しかしティオは、事もなげにそう言ってのける。
周りにいた子供達は口々にティオの戦いぶりを誉めそやしていたが、その度にティオは「あれくらい大したことじゃないよ、みんなも頑張ればできるようになるから」と言っている。流石にそれは無理だと思うぞ、うん。
「そ、そっか……まぁ、みんな無事ならよかったよ」
ここ3年で益々魔力が上がり、いい加減俺の身体強化魔法でも防ぎきれなくなってきていたのだが、まさかケルベロスをいとも容易く葬れるレベルだったとは。
案外、俺もあの時ラスカに助けられずに嬲られていても無傷で済んだのか……?
いや、少なくともあそこから反撃できたかと言われれば首を傾げざるを得ないし、やっぱりティオは規格外だ。
「でも、これだけ居たとなると、まだこの辺をうろついてるやつがいるかもしれないし、警戒しとかないとな」
俺とラスカが見た1頭だけでなく、孤児院のほうにも3頭現れた。ここまで来ると、もはや群れごとこちらに来ている可能性が高い。
ケルベロスは、5頭~10頭程度で一つの群れを成すそうなので、少なければこれで打ち止めだろうが、多ければこの倍以上現れる危険がある。出来れば街に避難したいが、移動中を襲われたら目も当てられない。ひとまず今日中にはミラ先生たちも戻ってくるはずなので、もう数時間も耐えれば十分だろう。
「うん、そうだね。……レン、私が外見てるから、今のうちにご飯食べてきたら?」
独り言のように呟くと、ティオはこちらを気遣うようにそんな提案をしてきた。
しかし、俺は苦笑を浮かべてすぐに首を横に振る。
「いや、いいよ。別に昼1食抜いたくらいでどうなるわけでもないし」
そう嘯くが、ティオは納得いかないのか、むすっとした表情でお小言を言う。
「ダメだよ、腹が減っては戦はできぬ、でしょ? お腹空いたままじゃ力出ないよ?」
「それを言うなら、ティオだってまだ飯食ってないだろ」
「私はレンがいない間にもう食べたからいいの」
「嘘だな」
お前も同じだろうと言うと、食べたとの答え。しかし、そんなわけはない。
なんで分かるの、とでも言いたげにティオはこちらをじとーっとした目で見てくるが、ティオが全員揃う前にいただきますしてるところなぞ見たことがないのだし当然だ。
「だってお前、嘘ついてるとすぐ顔に出るし」
「えっ、嘘!? どこに!?」
「そうやってすぐ慌てるところとか」
「あ……もうっ」
そのまま指摘するのも面白くないのでカマをかけてやると、これまた面白いくらい簡単に引っかかってくれた。
からかわれていると分かったティオはぷくーっと頬を膨らませて怒りを露わにするが、可愛いだけで全く迫力はない。
「だから、ひとまず先生たちが帰ってくるまでは2人で……って、どうしたラスカ?」
方針も決まり、子供達を孤児院の中に入れようとすると、突然ラスカの身体がビクッと跳ねる。
声をかけるが、ラスカは身体を震わせながら俺にぎゅっとしがみ付き、何も答えようとはしない。
「ラスカ……?」
力で劣るケルベロスを相手にも、尻込みすることなく自分から立ち向かったラスカの怯えた様子に、俺も嫌な予感を覚えて周囲を見渡す。すると、異変はすぐに訪れた。
「ケルベロス!」
ティオが叫ぶ先から、漆黒の魔犬が姿を現す。それも、
「おいおい、ちょっと多すぎないか……?」
木々の影から、孤児院を囲うようにして次々と姿を見せるケルベロス。ざっと数えただけでも、20頭は下らないだろう。それらが全て、こちらを威嚇するように唸り声を上げ、逃がすつもりはないと言わんばかりに周囲をぐるぐると回っている
「さすがにちょっとやばいか……」
この数相手では、さしものティオでも子供達を守りながら殲滅するのは厳しいものがあるだろう。どこまでやれるかは分からないが、俺も援護を……
そう思い、ラスカを置いて前に出ようとするが、ラスカは首を横に振る。
「違う……もっとよくないの、いる。すぐ近くに」
「え……?」
まるで予言のように告げられた言葉は、しかしそうであるという確信があるのだろう、ラスカはいつになく顔を青ざめさせている。
「……レイラ、ラスカを頼む」
「う、うん。……ティオ姉もレン兄も、気を付けてね」
ひとまずそれは考えても仕方ないと、近くにいたレイラにラスカを預け、他の子と一緒に家の中へ避難を促す。
建物ごと崩れる危険はないでもないが、それでも外で常にケルベロスの炎弾に晒されるよりは遥かにマシだろう。そして、ティオと2人だけ残った運動場で、ケルベロスと対峙する。
「ティオ、どう思う?」
子供達を家の中へ押し込めている間も、ケルベロス達に目立った動きはなかった。今はまだ様子見をしているだけと言えばそうなのかもしれないが……
「うん……なんか、変だね」
ティオも同じことを思ったのか、訝しげな表情を浮かべている。
鳥の死体が最も鳥除けに効果があると言われているように、仲間の死体を見て警戒している可能性はある。けど、それにしたってあいつらには遠距離攻撃手段があるんだから牽制くらいしてくるだろうし、そうでなくとも、今の今まで子供達を家の中へ避難させるために俺の意識はケルベロスから外れていた。ティオ1人の目なら死角をついて攻撃するくらいはわけないし、どうにも連中からは攻撃の意志を感じなかった。
まるで、ただ俺達をここに釘付けにするのが目的のような――
「ふむ、これは想定外だな。まさか人間の子供がケルベロスを打倒しうるとは」
瞬間、場の空気が凍り付いたかのような圧迫感を覚えた。
嫌な汗がドっと噴き出し、全身が金縛りにあったかのようにピクリとも動かなくなる。何が起きたのか、自分でもよくわからないままに、辛うじて動く首だけで恐る恐る声がした方向を……上空を見上げる。
「だが、それだけ活きが良いということだな。これならば十分にお喜び頂けるはずだ」
そこにいたのは、1人の男だった。
浅黒い肌を持ち、引き締まった無駄のない筋肉に覆われたその身体は、腰に差した剣もあって熟練の戦士を思わせる。しかし、空に浮かぶそれは人間ではなかった。
頭に生えた二本の角は、ティオのそれよりも太く長く、まるでその存在を誇示するかのようにねじれながら天に向かって伸び、ケルベロスと同じ金色の瞳はまるでこちらを値踏みするかのように細められている。
背中から生えた蝙蝠のような翼は肌よりもなお漆黒で、これも魔法なのか、本物の蝙蝠のようにそれをはためかせることなく、優雅に広げた状態で空に浮かんでいる。
翼と角を除けば、比較的人に近い容姿をしているところは亜人のようにも見えるが、ティオやラスカとも明らかに異なる、隠すつもりもない濃密で邪悪な魔力。
「悪、魔……?」
それを見て、辛うじて俺の口が紡いだのは、魔大陸でも最強と言われている魔人の一族の名前。
不死身の肉体と不滅の魂を併せ持ち、いかなる手段を講じても、一時的に消し去ることは出来ても完全に消滅させることは事実上不可能とまで言われており、その終わりなき生がもたらす莫大な魔力と深い知識は圧倒的な戦闘力を発揮する。
個体数がもう少し多ければ、人間に今日の繁栄はなかったとまで言わしめたその存在が今、俺とティオの正面に降り立った。
「さて、単刀直入に言おう。貴様らには我らが魔王を目覚めさせるための生贄となってもらう」
未だ衝撃が抜けきらず、呆然としている俺達をよそに、悪魔はまるでそれが確定事項であるかのように告げた。
いや、実際、この悪魔にとっては確定事項なのか。
達人でもなんでもない俺だが、この悪魔にだけは勝てないと頭の中で警鐘がガンガン鳴り響いてしょうがない。まさに、天敵を目の前にした哀れな獲物のような気分を現在進行形で味わっているみたいだ。
「魔王復活の生贄だって……?」
それでもなんとか思考を立て直し、少しでも情報を得ようと口を開くが、声が恐怖で震えているのが自分でもわかる。全く、情けない限りだ。
「そうだ。勇者によって施された封印を解くためには、人間の子供の魂が必要なのだ。それも、高い魔力を持った上質な魂がな」
バレても痛くないと思っているのか、もしくは今回の件で目的は達せられるのか。存外あっさり喋ってくれたが、さりとて状況が好転したわけでもない。
まず、狙いが人間の子供ということは、亜人であるティオやラスカは外れるだろう。その点は素直にほっとする。
そして次は高い魔力ということだが……この孤児院で最も魔力量が多いのは、先に上げた2人。それが真っ先に対象外となった今、残る子供で最も魔力量が多い者は――俺だ。
となれば、俺が大人しく捕まれば、他の子に危険を及ぼすことなく帰って貰えるのかもしれない。
「故に、そこの小僧と……中にも、良さそうな者がいるな。オレに付いて来て貰おう」
と、一瞬考えがよぎったが、そういうわけにもいかないらしい。
俺以外の魔力量はそこまで大きく差はないのだが、こいつが言った最後の一言、“上質な魂”というのが仮に前世持ちのことを指すのだとすれば、渡り鳥の前世を持ったレイラが危ないかもしれない。
「……やるしか、ないか」
俺一人の話なら、一度捕まって様子を見て脱出ないし、ミラ先生たちが戻ってきてからゆっくり救出計画でも練ってくれればいいと思っていた。
冷静に考えれば、レイラ一人増えたからと言ってこの方針に支障はない。けど、例え一時でも、こいつにレイラを……家族を奪われると考えたら、とても大人しく捕まってやる気にはなれなかった。
「うん……!」
ティオもやる気なのか、俺の独り言に律儀に返答しながら、腰を低くして構えを取っている。
「ティオ、あいつは俺が狙いだから、俺を必要以上に傷つけることはないと思う。だからお前は……」
危ないから下がっていろ……そう言おうとしたが、それよりも先にキッとティオに睨まれた。
「レンも、他の誰だって、魔王なんかに渡さない……! だから、私も戦う!」
ティオが、初めて見るほど怒りを露わにして叫ぶ。
怒りに呼応してティオの身体から魔力が迸り、バチバチと音を立てて火花のように爆ぜていく。
「……そうだな」
もしこいつの目的が俺でなくティオだったら。きっと俺も、同じように抗おうとするだろう。そもそも俺だって今の今、俺自身はよくてもレイラを攫われるのは嫌だと思ったばかりだ。これでティオにだけ我慢させようというのはお門違いだった。
「分かった。……行くぞティオ、コイツぶっ飛ばして、帰ってきたミラ先生たちに自慢してやろう」
「うんっ!!」
口ではそう言うが、実際の目的は時間稼ぎだ。
俺達2人では、ケルベロス20頭の殲滅だけならまだなんとかなったかもしれないが、目の前の悪魔には到底及ばない。それは、恐らくは威圧目的で放たれているだろう魔力量からしても明らかだ。
具体的には、怒りのままに解き放ったティオの倍以上はある。その上で、ケルベロスによる包囲まで敷かれては、子供達だけ逃がすという手も現実的じゃない。
けど、ミラ先生や年長組の子達が戻ってきて一斉にかかれば、ケルベロスと悪魔を足止めし、子供達を逃がすことも可能なはずだ。
問題は、それを口に出してティオに伝えると相手にまで知られてしまうため、言えないことだが……そこは分かってくれていると信じよう。それに、ティオの魔法適正からしても、変に足止めを考えさせるより、思いっきり戦って貰ったほうがやりやすい。
俺は足を殴りつけて震えを止め、その代わりとばかりに震えだした手で頬を張って無理矢理気合を入れる。
それでもやっぱり震えは止まらず情けないことこの上ないが、俺に出来ることは元から創造魔法くらいだ。震えていても関係ないと割り切って、せめて最後まで立っていようと悪魔を睨みつける。
「ほう、抗うか、人間。面白い、少し遊んでやろう」
そう言って口の端を釣り上げると、悪魔は腰の剣すら抜かず、構えすら取らないままに、どこからでも来いとばかりに手を軽く広げてきた。
「っ、やあぁぁぁ!!!」
声を上げながら、ティオが真っ直ぐに突撃する。
握り締めた拳は魔力を纏って光の尾を引き、一筋の流星のごとく悪魔に迫る。
「《創造:泥沼》!」
「む……」
悪魔の目がティオに向いた瞬間、俺は創造魔法でその足元を沼に変えて両足を沈みこませ、即座に固定する。まさかこれで完全に封じ込めるわけはないだろうが、ティオの拳が届くまでの一瞬の隙を作れれば問題はない。
「ふん……」
「っ!?」
しかし、悪魔のほうはそんなものはどうでもいいとばかりに、足を抜こうとする素振りすら見せないまま向かってくるティオに手のひらを向け、片手一本であっさりと受け流した。
ティオの拳から放たれた衝撃が大気を叩き、地面を穿つ。しかし、それほどの威力がありながら、ティオの一撃は悪魔に何の痛痒も与えられていなかった。
「この力、やはり鬼の子か。だが、制御が甘いな、せっかくの力もこれでは宝の持ち腐れだろう」
「うぅ……!!」
上体の流れたティオに追い打ちするでもなくそう告げる悪魔に、ティオは悔しげに呻きながらも流れた勢いのままに地面に手をつき、側転のように身体を回しながらその腹部に向け蹴りを放った。
「《創造:閃光》!!」
同時に、俺は周囲の光を集めて悪魔の目の前で炸裂させ、目くらましを行う。
さすがに、目が見えない中でティオの蹴りを受け流すなんて芸当は出来ないだろう……と思ったのだが。
「ふん……」
鼻を鳴らすと、まるで最初から固定などされていなかったかのように地面から足を引っこ抜き、しっかりした大地を踏みしめ直すと悪魔はティオの蹴りを真っ向から腕で防いだ。俺だって無傷では防げないティオの蹴りを、しかも、恐らくはまだ視界が塞がったままで、だ。
そして、すぐさま悪魔はティオの足を掴み取り、無造作に投げ飛ばした。そして、
「オレとて、戦士でもない子供の命を無意味に散らすのは本意ではない。大人しくしているがいい」
無造作に向けられた掌から紫電が閃光となって迸り、ティオの身体を貫いた。
「きゃあ、ぁ……!」
「ティオっ!!」
ティオの小さな身体は、バチバチと稲妻を纏ったまま地面を何度も跳ね、そのまま周りを囲んでいたケルベロスの元へ転がっていき、ダメージのせいかそのままぐったりと動かなくなる。
そして横たわったティオに向け、傍にいたケルベロスが飛び掛からんと身を屈め――
「やめろぉぉぉぉ!!!」
そこまで見た時点で、俺はもう悪魔のことも忘れて魔法を行使していた。
悪魔と対峙するより前、ケルベロスが出て来た時からゆっくりと、気づかれないように地面に浸透させていた魔力を解き放ち、ティオの真下の地面を隆起させてその身を持ち上げると同時に、飛び掛かって来たケルベロスを押しのける。
隆起した地面は、そのままティオを抱え込むようにその形を変化させながら更に肥大化し、やがて土だったものが砂へ、更に岩へと変わっていく。
「《創造:岩巨人》!!」
そうして出来上がったのは、岩で出来た巨大な人型。岩山を砕いてできたような、辛うじて丸に見えなくもないゴツゴツとした岩をパーツとしていくつも繋げて造られた不格好なその巨人は、俺の意のままに、ティオを守るように腕に抱えた状態で立ち上がった。
その体長は、およそ5メートル。今の俺が咄嗟に作れる、最大規模の岩巨人だ。
「グルルァ!!」
ケルベロスが炎を噴き、岩巨人へと攻撃する。
ティオを右腕で庇いながら、左腕を盾にその身に炎を受けた岩巨人の半身が砕け散るが、すぐさま俺の魔力を喰い、地面から素材を吸収してその箇所を修復していく。
「ぶっ飛ばせ、岩巨人!!」
俺の命を受け、岩巨人がその足を無造作に傍にいたケルベロスへと叩きつける。それだけで、ケルベロスは軽々と数メートルに渡って吹き飛んでいき、そのまま動かなくなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
しかしその代わりに、俺の魔力はもう枯渇寸前にまで追い込まれていた。
ラスカと一緒に戦った時の流砂蚯蚓に加え、この岩巨人と、俺でもそう易々と連発できない創造魔法を短時間のうちに行使したせいだが、まだ敵は僅か1頭削られたのみ。この程度で力尽きるわけにはいかない。
鬱陶しいほどに荒く乱れる呼吸をなんとか整えようと深呼吸して――
「レ、ン……危、ない……!」
「え……?」
震える身体で、ティオが警告の声を発する。
それと同時に、
「ふむ、ここまで素早くゴーレムの模造品を作り上げるとは、中々やる」
「がはっ……!?」
俺の背中から胸にかけてを紫電が貫き、身体中を痺れるような激痛が駆け抜けた。
衝撃で肺の中の空気が一瞬で全て吐き出され、頭がくらくらする。
「だが、自立行動はさせられないようだな。その程度では、このオレには通じない」
悪魔が後ろで何かを言っているが、俺の耳には入らない。
俺の頭にあるのはただ、魔法の制御を手放してしまったがために、未だ身体が痺れて動けないのであろうティオを抱えたまま崩れる岩巨人の姿だけだ。あのままでは、ティオが岩に押しつぶされてしまう。
「クリ、エイ、ト……!」
無理矢理に意識を繋ぎ止め、身体に残った魔力をかき集めて岩巨人の残骸に向けて魔法を行使する。
敢えて形のイメージを載せないまま創造魔法を使うことで、“形のない状態”――つまり、対象を粉々に粉砕する、俺がこの世界で初めて使った魔法。
意識して使ったわけではない。ただ、このままだとティオが危ないと思って。何かしなければと思って魔力を投射したら、自然とその魔法になっていた。
結果として、ティオは岩巨人の残骸に押しつぶされることなく地面にその身を横たえるのみで済んだのでよしとする。本当なら、それでも3メートルほどの高さから落ちたティオの身体を心配するところだが、岩巨人を作った影響で地面は砂になっていたし、ティオの身体は頑丈なので大した怪我はないだろう。
そこまで意識した時には、地面が目の前に迫っていた。
自分が倒れ込んでいるのだと気づいたのは、既に衝撃が駆け抜けた後だった。
「ふっ……最後の力で鬼の娘を守ったか。その気概、やはり魔王様への供物に相応しい」
喜色ばむ声がしたと思ったら、俺の身体がぐいっと持ち上がる感覚がする。
大方悪魔が持ち上げているのだろうが、何の抵抗もできない。
「待っ……て……レン……レン……!」
視界の端で、ケルベロスに抑えつけられながら、ティオが必死にこちらに手を伸ばしているのが見える。
その目からは涙が零れ、初めて話した時よりもずっと痛々しい表情を浮かべている。
ごめんな、ティオ……俺が、もう少し強かったらよかったんだけど、やっぱりダメだったよ。
「ティオ……に……手……出す……な……」
取り合ってくれるとも思えなかったが、せめてこれだけはと、必死に声を絞り出す。
すると意外なことに、悪魔が頷くのが視界の端で見えた。
「言っただろう、無意味に命を奪うつもりはない。さて、残る子供を連れていくとしよう」
ティオのことなど眼中にないとばかりに放たれた悪魔の言葉に、ああ、そうだったと思い出す。
俺はティオを泣かせただけじゃなくて、レイラも守れなかったんだ。
家族になるって、そう決めたのに、大事な妹を泣かせた挙句、こんなやつから守ることもできないなんて……本当に、情けない。
「私は……どうなっても、いいから……レンを……連れて、行かないで……!」
それでもなお紡がれるティオの言葉に、俺の胸も締め付けられる。
叶うなら、今すぐこの悪魔をぶっ飛ばして、ティオのところに駆け寄りたい。
けれど、俺の身体は言うことを聞かず、振りほどくどころか、これ以上の言葉を紡ぐことすらさせてもらえない。魔力はもうすっからかんで、もはや泥団子一つ造れない。
「お前には用はないのだ、鬼の子よ。恨むならば自らの無力を恨め」
最後にそう告げ、悪魔は孤児院へ向かって歩き出す。
後ろから聞こえるティオの泣き声に、悔しさを募らせながらも――俺の意識は、そこで途切れた。