“家族”
本来は10歳からなのだが、どうせ黙って一人でやられるくらいならと、あれ以来特別にシア姉が魔法の練習を見てくれることになった。
そのおかげもあって、2年の間に随分と上達し、今ではそれなりに大きな岩なども好きに作り変えることが出来るようになったが、これには教えてくれたシア姉も驚いていた。
なんでも、創造魔法は使う素材の堅さやサイズによって消費魔力が桁外れに大きくなるようで、自分の身体より大きな岩を作り変えるのは子供の魔力量では通常不可能らしい。それでも俺がそんなことを自覚すら出来ず実行できたのは、前世の記憶が関係しているようだ。
通常、人が保有する魔力は修練などではなく、『生きた年月』によってその量を増やし、老衰による減少などもなくひたすら増え続けるらしい。なので初期値や伸びしろは才能によって差異はあれど、子供が大人を凌ぐ魔力を持つことは稀なんだとか。
その例外とも言える存在が、前世の記憶を持つ者達――通称、『前世持ち』だ。
魂に積み重ねられた歳月こそが魔力の源となっているからだとか、他にもいろいろ説はあるが詳しいことは分かっておらず、とにかくそういった人間は程度の差はあれ常人よりも高い魔力を持って生まれてくる。
ただし、魔力が高ければイコール強いというわけでもないし、魔力量と魔法の適正はまた別の話だ。
例えば、そう。
「ほらレン、もうちょっとこう魔力を鎧にして着こむようなイメージで……そう、それでドカーンッと!」
「…………」
前世持ちによる大量の魔力にものを言わせて補助魔法の一つ、身体強化魔法を全力で使っても、厚さ5センチにも満たない木板すら割れない、俺のように。
「ダメだ、ビクともしない……」
がくっと肩を落とし、この視線で割れてしまえとばかりに忌々しい木板を睨みつけるが、そんなことで割れれば苦労はない。ただ傷一つない綺麗な木目が見えるだけで余計虚しくなる。
「防御力は上がってそうなのにね」
そう言って、シア姉は傷一つない――どころか、赤くすらなっていない俺の拳を見やる。
どういうわけか、何度全力で木板を殴ってみても俺の拳のほうは全く痛みを感じず、変な言い方だが硬いクッションを殴っているかのように、それ以上押し込めないのにどれだけ力を込めても痛くないというおかしな感覚に襲われていた。
なので、俺の身体強化魔法は力や速さなどでなく、防御力のほうに適正があるのだろうが、いまいち実感が湧かない。
「うーん、そうだ! じゃあ、どれくらいまで耐えれるか耐久チェックしてみよう」
「えっ、いやいやいや、耐久限界とかそんな危なっかしいの調べなくていいから!」
そんな俺の様子を見て取ったのか、いいこと思いついた! とでも言いたげに告げるシア姉に、俺は慌てて制止の声を上げる。
いくら防御力が上がろうと、だから殴ってみようなどと言われてじゃあお願いしますとなるわけがない。大丈夫だと言われても怖いものは怖いのだ。
しかし一方で、シア姉の言うことも別段おかしなことと言うわけではない。魔法はイメージが大事という言葉通り、『自分にはここまで出来る』という経験は一つのイメージとなり、次回以降の魔法行使の精度や強度のアップにつながるし、自分がどこまでのことを出来るのか把握しておくことで、いきなり出来もしない無茶をして身体を壊すような展開を避けることもできる。
「男の子でしょ! つべこべ言わない、ほらっ、構えて!」
「わ、分かったよ」
だからだろうか、取りつく島もなく構えろというシア姉に不承不承頷きつつ、俺は両手を重ねて受け止める構えを取る。
耐久チェックとは言うが、早い話がどれだけの衝撃を受け止めきれるかというものを調べればいいので、シア姉が段階的に強く拳を打ち付けて、どこから痛みが生じるか調べるだけ。なので、実際のところそこまで危険というわけでもないのだが……相手がシア姉だと、少々不安が残る。
「ほら、行くわよ!!」
「ちょっ!?」
そんな不安が当たったのか、シア姉はいきなり身体強化魔法で拳を強化しつつ殴りつけてきた。
パァンッ!! と乾いた音を立てて俺の掌に拳が打ち付けられるが、しかし、なんの痛みもない。
「……平気っぽい」
「じゃあ、どんどん行くわよ!」
「えぇ!?」
俺が何の痛痒も感じていないことを察するや否や、一段と力を載せて拳を振り抜くシア姉。だが、それも俺の強化魔法を破ることは敵わず、俺には全く痛みはない。
2発、3発と、幾度となく拳を打ち付けられ、徐々に殴った勢いに身体の強度ではなく俺の力のほうが対抗できなくなって体勢を崩し、押し流されて格好悪く尻もちをついたりしながら、それでもなお俺は全く痛みを感じなかった。
「…………」
「し、シア姉?」
そんな風に拳を打ち付けた何度目か、俺がまたしても抑えきれずに後ろに転がり、そのまま何の問題もなく立ち上がりつつぱっぱっと服やズボンに着いた土を払ってシア姉のほうを向くと、何やらプルプルと拳を震わせていた。
一体何事かと声をかけると、シア姉はくわっ! と擬音が尽きそうな勢いで目を見開き……
「ここまで来て負けてらんないわ! レン、今から私の攻撃魔法を最大火力で撃つから受け止めなさい!」
「えぇぇぇぇ!!?」
そんなとんでもないことをのたまった。
「いやいやいやいや、シア姉の最大火力ってことはファイアーボールじゃん! 俺死ぬよ!?」
シア姉は、魔力を炎に変換する炎系統の攻撃魔法が得意で、前に一度練習しているのを見た時は、河原の一角にあった岩がコナゴナに爆散していた。そんなものを人の身体で受け止めたらどうなるかは文字通り火を見るよりも明らかだ。
「大丈夫よ、私の全力の身体強化魔法で殴られてもビクともしないんだから、死にはしないわ!」
「いやいやいやいや! 殴られるのと火の玉ぶつけられるのとじゃ全然違くない!?」
そもそも、身体強化魔法で熱まで防げるのか、そこからして分からない。いや、魔法書には自分を害する攻撃全般に効果があるようなことが書いてあった気はするが……
「さぁ、行くわよレン!! 《ファイアーボール》!!」
「ちょおおおおお!?」
俺の抗議の声などどこ吹く風とばかりに、シア姉の掌にぼんやりと魔力の燐光が集まると同時、サッカーボールくらいの大きさの火の玉が生み出されて一直線に飛んでくる。元々大して距離もなかったので避ける暇などもちろんなく、咄嗟に腕を交差して受け止める。
「のわぁ!?」
衝突と同時に火の玉は弾け、小規模の爆発を起こす。ただの炎の塊のはずなのにどういう原理で爆発するのかさっぱりわからないが、魔力で作られた仮初の炎なのでそんなものなのか。
爆発の衝撃で後ろに軽く飛ばされ転がりながら、そんな風に冷静に考えられている自分に気が付き、少々驚く。やがて、転がる勢いも止まり、起き上がりながら身体の状態を確認して――
「……傷一つないなぁ」
確かに、シア姉は全力で身体強化魔法を使っても平気だったから死にはしないと言っていたが、さすがにここまで完璧に無傷とは俺自身びっくりだ。
「ぐ……ぐぬぬ……」
「……えっと、シア姉?」
どこまでも防御特化な力に喜ぶべきか悲しむべきか悩んでいると、シア姉はまたもやぷるぷると震えながら、隠しきれない悔しさを滲ませつつ再び手を翳し――
「って、ちょっ、シア姉!? まだやんの!?」
「このまま本当に傷一つ付けれないまま終わるなんて納得できないのよ! せめて痛みの一つくらい通してやるんだから!」
「目的が変わってる!?」
自分のとっておきを完封されたのがよほど悔しかったのか、掌から無数の火の玉が打ち出され、雨霰のごとく俺に向かって降り注ぐ。
「おわぁぁぁぁ!!?」
無傷で凌げるからと言って、攻撃が怖くなくなるわけではない。
俺は即座に踵を返し、騒ぎに気付いたミラ先生がシア姉を止めるまで、ひたすらファイアーボールの乱舞から逃げ続けることになった。
「はぁ、酷い目に遭った」
夜。子供達はおろか、ミラ先生や年上の子達も誰一人例外なく眠っているような時間にふと目が覚めて、水でも飲もうかと調理場を目指し真っ暗な孤児院の廊下を歩きながら、昼間のことを思い出して一人ごちる。
一応、最初の一発目は手加減してくれたようなのだが、そこから先はもう全力全開でファイアーボールを撃ってきていたために俺はさっさと這う這うの体で逃げ出した。しかし、困ったことに俺の身体強化魔法は足の速さを全く上げてくれなかったために振り切ることもできず、散々追い回されてクタクタになってしまった。
いくら通じないからと言ってあそこまでムキにならんでも、と思いつつも、そのおかげで自信もついたわけだから微妙なところだ。まさか、その効果を見越して本気になったフリを――
「いや、ないな。シア姉に限ってそれはないな」
浮かんだ考えを自分で笑い飛ばして否定しつつ、俺は調理場にたどり着く。
この世界……いや、孤児院だけかもしれないが、当然のように上水道など整備されていない。なので水を飲みたかったら基本的に井戸まで汲みに行かなければならないのだが、俺の場合は創造魔法が使えるのでその限りではない。
暗がりの中、半ば手探りで木製のコップを取り出してテーブルの上に置き、手を翳す。
「《創造:水》」
魔法名を唱えると同時に、コップの直上、虚空から水が現れ、並々と注がれていく。
魔法を発動する時、発動する魔法の名前を言うのは絶対に必要というわけではない。が、魔法に個々に名前を付けて練習することで、より一層その魔法のイメージを確固たるものにし、スムーズに発動できるようにすることができる。また、人がよく使う魔法というのは、よく使われるのを目にするだけでもイメージの鮮明化につながるので、戦闘時に使われるような魔法ほど統一化が進み、同じ名称と効果を持つ魔法が広く普及しているらしい。創造魔法に関しては戦闘で使うような魔法ではないということで、ほとんど名のある魔法は存在しなかったが……
しかしそこは飲み水を作るための魔法。適当に作って腹を下すような真似をするのは嫌なので、安直ではあるが自分で魔法名を付けて、日々練習に励んでいる。
決して、格好つけたいがために意味もなく魔法名を言っているわけではないのだ。
そんな風に、誰に対してでもない言い訳を心の中で並べながら、一息にコップの中身を煽っていると――ふと、視界の端、窓の外に人影が見えた気がした。
「…………?」
一瞬、時間帯もあって幽霊かとも思ったが、暗がりの中にいるその影は確かに2本の足で歩いている。足があるから幽霊じゃないというのも変な話だが、それでもなんというか、背筋が凍るような、そんな不気味な印象は覚えなかった。
では、あれは誰なのか。一応、夜中は出歩くなとミラ先生に言われているし、勿論トイレなどやむを得ない理由もあるので割と緩い決まりではあるが、それでも孤児院の敷地の外に出ることを許されるほど甘いものではない。だからと言って、孤児院の子以外がこんな夜更けに回りをうろついているなど真っ当な理由であるはずがない。
放っておくべきか否か。少し悩むが、孤児院の子にしろそうでないにしろ、見過ごすには怪しすぎる。
結局ついていくことにして、俺は光の刻印が刻まれた魔石が入った提灯のような道具を持ち出すと同時に急いで外へ向かった。
「(《創造:静寂》)」
創造魔法で、自分の周囲に空気の真空層を作り、足音を抑える。本当は攻撃魔法でやることだが、生憎とまだ使えないので創造魔法で代用する。維持するにも移動するにも、攻撃魔法と違って魔力がどんどん減っていくが、俺の魔力量は多いのでこれくらいなら訳はない。
「さて、行ってみますか」
誰かに見つかることを警戒しているのか、少々おっかなびっくりに進む人影を追って、俺もコソコソと夜闇に紛れて移動する。もちろん、持ちだした道具はまだ使わずだ。静寂の魔法は、単に音を消すだけで当然姿は見えるし、光など出せば一発でバレてしまう。
そうして後をつけていくと、人影は孤児院から街中へ続く道を外れ、脇の獣道から林の中へと入っていった。
「(確かこっちは……)」
その先にある場所を思い浮かべながら、俺も後を追う。
この暗闇の中、獣道を通るのは物凄く危ない。というかほぼ全くと言っていいほど足元が見えないのだが、人影は危なげなく先へ進んでいった。
「しょうがないなぁ……」
少しだけ、静寂の魔法に使う魔力量を増やし、余剰魔力を発生させる。すると、僅かではあるが俺の作った真空層からぼんやりとした魔力の燐光が漏れだし、足元くらいは辛うじて見える程度の光源となってくれた。今は尾行している立場なのだから、こういった目立つ真似は避けたいところだったが、背に腹は代えられない。
しかし、必要最低限しか光を発していないため、やはり足元がおぼつかず、ノロノロ歩いているうちに人影は見えなくなってしまった。
「まぁ、行き先は分かってるし問題ないけど……」
昼間であれば大した距離ではないが、慎重に進んでいるために少々時間をかけつつ、草木に挟まれた道を進むことしばし。
やがて道は途切れ、開けた場所に出る。
本来なら、そこそこ広い河原があり、魔法の練習に最適だといつも孤児院のみんなが使っているだけの場所。そこには今、ひどく幻想的な光景が広がっていた。
溢れ出る魔力が燐光を伴い、何もない空中に星のように瞬く。その光は夜の闇さえ照らし出し、周囲の草木を青白く浮かび上がらせると同時、川の水面にキラキラと反射し輝いている。
その中心には、1人の少女がいた。
人の物とは思えないほど鮮やかな緑色の髪を後ろで結んでポニーテールにしたその少女は、集中しているのか、泉のように大量に湧き出る魔力を纏いながら静かに目を閉じ佇んでいた。
それはさながら、神に祈りを捧げる巫女のように――
「…………」
あまりの光景に、俺は目的も言葉も忘れてただただ魅入ってしまう。
このまま足を踏み入れていいのか、それとも何もせず立ち去るべきなのか。
そんな風に迷い、一歩後ろへ下がろうとして……
「っ、だ、だれ!?」
どうやら、雰囲気に呑まれて魔法の制御を手放してしまったせいで静寂が解けてしまっていたらしい。パキッと、木の枝を踏み抜く乾いた音が周囲に響き、少女がこちらに気付いて振り向いてしまう。
あまりにもベタな展開に頭を掻きながら、俺は持って来た提灯に明かりを灯し、消えてしまった少女の魔力光の代わりとしながら、渋々声をかけた。
「お前、確か……ティオだったよな? こんな時間にこんなとこで何してんの?」
今まで気づかなかったが、よく見れば目の前の少女は孤児院の子が着ているのと同じ服を着ていた。
この場所に向かった時点でそうだろうとは思っていたが、念のため尋ねてみると、ティオは小さくこくりと頷いた。
「ま、魔法の、練習……身体強化の……」
怒られると思ったのか、怯えた様子で答えるティオに、俺は決まりが悪くなって言葉を濁す。
「あー、ほら、別に怒ってるわけじゃなくてな? 魔法の練習くらいなら昼間にみんなとやればいいじゃん、別にこんな夜中にやらなくてもさ」
見たところ、この子は俺と同い年くらいに見える。まだ魔法を教えてもらう歳ではないだろうが、俺が既に例外的に教えて貰っているのだ。頼めば仲間に入れて貰えるんじゃないかと思う。
しかし、そんな俺の考えと裏腹に、ティオは首を横に振った。
「ダメだよ……私が一緒にやったら、みんな怪我しちゃう」
「怪我? なんで?」
確かに凄まじい魔力量だったが、暴発することでも恐れているのだろうか?
そんな俺の予想は半分正解で、半分は外れだった。
「私……これ、だから」
そう言って、ティオは額にかかった髪をかき上げる。
「それ……」
そこにあったのは、人にあるはずのないもの――小さな、黄色い角だった。
亜人、という者がいる。
前世を持って生まれてくると、大抵の場合は高い魔力を得るに留まるが、人以外の前世を持つと、魔力以外にも様々な影響を与えてくる。
草食動物の前世を持つとやたら野菜が好きになったりと、大抵は大したことのない物だが、中には取り立てて大きな影響を与える物もある。
鳥の前世を持てば、飛行魔法を覚えたり。犬の前世を持てば、知覚強化魔法で常軌を逸した嗅覚を得たり。
何よりも大きな影響を与えてくるのが、魔物や魔人を前世に持ってしまった場合だ。
ただでさえ、魔物や魔人というのは普通の動物はおろか、人すら凌駕する魔力と身体能力を持つ。その特徴を前世と言う形で引き継いだ人間は、前世持ちの中にあってさえ殊更強力な魔力、魔法と同時に、身体的特徴までをも継承してしまう。
人でありながら、人の敵たる魔の特徴を持ち産まれてしまった者達。
彼らは『亜人』と呼び蔑まれ、酷い時は迫害の対象となる場合すらある。もしかしたらこの子も、そういった理由から孤児となってしまったのかもしれない。
「だから、その……私に近づくと、危ない、よ?」
きっと、今までも、孤児院で人を避けて生活してきたのだろう。その顔には隠しきれない寂しさと孤独感が滲んでいるように見えた。
「(俺は今まで、何してたんだ?)」
その表情を見て、俺は自問する。
俺は、この子の名前しか覚えてなかった。亜人であることも知らず、それで他の子と距離を置いていたことなんて気づきもしなかった。魔法のことばっかりで、他の子と関わることを避けていたようにも思う。
前世では確かに、誰とも長く付き合えず、別ればかり経験してきた。親と顔を合わせることもロクになかったし、そのせいでずっと一人だった。でも。
――私達、家族でしょ!
シア姉に言われた言葉を、頭の中で反芻する。
そう、俺はもう、この場所で7年も過ごした。なのに、俺は仲の良い子の1人も出来ていない。シア姉は何かと世話を焼いてくれるが、それにしても言われた以上には関わらないようにしてる気がする。
結局、俺が一人だったのは別れのせいじゃなかった。俺自身が、別れを恐れて仲良くなるのを避けていた。だから、気づかない。こんな近くで、ずっと一人で苦しんでいる子がいたのに、今までずっと気づけなかった。
そこまで分かってしまったら、もう気づかないフリなんてできない。
きっと、俺の知らないところでシア姉やミラ先生たちも、この子のために骨を折っているのかもしれない。それを、ぽっと出の俺みたいなのがどうにか出来るとも思えない。それでも、今からでも遅くないのなら――俺も、ちゃんとした“家族”になりたい。
「ならティオ、明日から俺と魔法の練習しよう。俺もちょうど身体強化魔法教えて貰ってるから、ちょうどいいだろ」
「え、えぇ!? い、今の聞いてた? 私亜人で、だから、一緒は危ないって……」
提案すると、ティオは予想外だったのか、目を見開いて驚き、遠回しに断ろうとする。
だが、その程度で引き下がるわけにはいかない。
「大丈夫大丈夫、別に何かあっても気にしないからさ」
「そ、そういう問題じゃ……!」
あっけらかんとそう言うと、ティオは一転して怒りの表情を浮かべる。こんな時間に、誰にも知られることなくひっそりと魔法の練習に励むような子だ。嫌われることより、誰かを傷つけてしまうことのほうが怖いのかもしれない。
「分かった、じゃあ、そうだな……ティオってさ、鬼人族なんだよな?」
「え? う、うん、そうだけど……」
鬼人族――それは、大鬼と呼ばれる魔物を前世に持って生まれて来た亜人、およびその子供のことで、高い身体能力と強力な身体強化魔法を併用し、その拳の一突きで巨岩すらコナゴナに砕くと言われている種族だ。
ほとんど人に近い見た目だが、頭に一本の角が生えているのが特徴で、普通の人と違いほとんど本能的に身体強化魔法を扱うことができ、制御が甘ければ力を込めるだけで発動してしまう。そのため、素の能力と魔法を使った能力の差がよくわからないと、以前前世持ちについて調べた時に本で読んだのを覚えている。
「じゃあ、あの岩、投げ飛ばせたりする?」
俺が指し示したのは、高さ2メートルはあろうかという巨大な岩。ティオの身長は俺よりも低く、120センチにも満たない。高さだけでもティオの倍近くあるものを投げ飛ばせるかなど、普通に考えれば聞くまでもないこと。俺自身、さすがに無茶なことを聞いたかと思ったが……
「で、出来るけど……」
まさかの即答に、俺も少しばかり頬を引きつらせる。見たところ、ティオの身体は筋骨隆々とは程遠く、見た目にもぷにぷにとした肌でとても力が強いようには見えない。それがこんな岩を投げ飛ばせるとあっさり言ってのけるあたり、色々と規格外だ。しかし、そういうことなら話は早い。
「ならあれ、思いっきり真上に投げてみてくれない?」
「いいけど……」
俺の提案に、ティオは疑問符を浮かべながらも了承してくれる。もしかしたら、自分の力を見せれば諦めてくれると思っているのかもしれない。
そうして、ティオが岩に近づいてしゃがみ、その小さな手を底に添えると――
「んっ……!」
宣言通り、あっさり持ち上がった。
「わお……」
思わず感嘆の息を漏らしていると、ふらふらと危なっかしい足取りで岩を支えながら、ティオがこちらにやってくる。
足取りこそ怪しいが、力が足りないというよりは大きすぎて支えづらいといった印象で、必死さは感じられない。
「それで、これを投げればいいの……?」
「ああ、思いっきりな」
「じゃあ……んっ!!」
改めて頼むと、ティオはその場でスクワットするように一旦しゃがんで溜めを作り、跳びあがるようにして一気に岩を真上に投げ飛ばした。
重量で言うならティオの10倍は超えていそうな岩が、まるでゴムボールのように軽々と上空へ舞い上がる。
「…………」
「えっ、な、何を……?」
それを確認すると、俺はティオを離れさせて岩の落下地点に入り込んだ。
ようは、ティオを安心させるためには、俺が何をされても本当の意味で大丈夫だと実証してやる必要がある。
俺の身体強化魔法の取り柄はそのぶっ飛んだ防御力。しかしだからと言って、ティオに思いっきり殴ってみろと言って殴ってくれるわけはない。だから、この岩を受け止めて俺が大丈夫だと証明するのだ。
「そこ危ないから! 離れて!」
「大丈夫大丈夫、そこで見てろって」
焦って叫ぶティオに、努めて気楽に言って安心させようとする。
そんな俺の様子を見て、どうしたらいいかわからないのか、ティオはおろおろと手で虚空を掴んでいるが、そうこうしている間にも岩は重力に引かれて落下してくる。俺はそれに合わせて全力で身体強化魔法を使い、両手を上げて受け止めようとして――
あっさり押しつぶされた。
「え、えぇぇぇぇ!!?」
ティオの絶叫が響き、慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえる。
いや、うん、まぁそうなるよね。あれだけ自信満々だったのにこうもあっさり潰されたらそうなるよね。冷静に考えて、いくら身体が頑丈だろうが自力で持ち上げられない岩を受け止められるわけがなかった。これは完全に俺の落ち度である。
そして程なくして、ティオによって岩を持ち上げられた。
「いやーははは、失敗失敗」
「え……?」
圧し掛かっていた岩がどき、何事もなかったかのように起き上がると、ティオは幽霊でも見たかのような顔で俺のことを凝視していた。
「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ、ほら、どこも怪我ないだろ?」
そこだけは俺の予想を裏切ることなく、岩に押しつぶされても俺の身体は無傷だった。岩をも砕くシア姉のファイアーボールに耐えられたのだから、これくらい行けるだろうと適当に考えてのことだったが、これで怪我でもしていたら目も当てられなかった。内心ほっとしつつも、あくまで予想通りだという体を装って心配そうなティオに笑いかける。
「ほんとだ……」
立ち上がり、身振り手振りで無事を伝える俺に、ティオは呆れ半分、感心半分と言った表情で呟いた。
「だからほら、明日から一緒に練習しようぜ、魔法」
「で、でも……」
「大丈夫だって」
それでもなお不安そうなティオに、俺は今度こそ、絶対の自信を持って答える。
「俺を傷つけられるやつなんて、どこにもいないよ」
そう言って、不敵に笑う。例え魔力が暴発しようと、うっかり殴られようと、俺が傷つくことはないんだと。そう、安心させるように。
「……ねぇ……レン」
「ん? 何?」
「本当に……いいの?」
それは、このまま甘えてもいいのかという問いかけ。望まぬ力を持って生まれ、そのせいで人と関わることを避けざるを得なかったティオの、期待と不安が入り混じった言葉。
「ああ、もちろん」
だから、俺は迷わず頷く。もう我慢しなくていいんだと、大丈夫だと告げるように。そして、
「だって、俺達家族だろ?」
初めて言われた時、何も言い返せなかった言葉を、今度は俺がティオに伝える。
ティオのために、そして……俺自身に、そうであれと誓うために。
「……うんっ」
目の端に涙を湛えながら、ティオもまた頷き返してくれた。
「じゃあ、帰るか。俺達の家に」
「うんっ!」
星空の下、ティオが浮かべた笑顔は――今まで見たどんなものより、輝いて見えた。
ちなみに、その日はいつも一人別の部屋で寝ているというティオと一緒に寝たのだが。
「すぅ……すぅ……ん~……」
「(うぐおぉぉぉぉぉぉ!!?)」
ティオの寝相は凄まじく悪く、抱き締められて危うく俺だけ別の意味で眠りに付くことになりそうだった。
どうやらティオが他の子と眠れるようになるのは、当分先になりそうだ。