第8話
その日の昼頃、彼がスキャンでテスト採点を進めていると、ロバートソン教授の名前でメッセージが届いた。
教授はまだ入院中と聞いている彼は不審に思いながらも、送信者がセキュリティで拒否されなかったことから、そのメッセージを開いてみた。送信アドレスはやはり教授で、送信者は彼の娘だった。彼女は父親に依頼され、病院からレスター宛にメッセージを送ったらしい。
“フレッドマン様、父クリストファーの依頼でこのメールを送ります。”
どうでもいいが、レスターは教授の下の名前をその時に初めて知った。
“あの事故の原因について、世間ではあれこれといい様に取り沙汰されているが、私には一向に納得できない。私たちには何の落ち度もなかったはずだ、それは君もよく理解しているはず。”
ええ、ええ、何も異常はなかった、あなたに同意しますよ。それで?
“一部の者たちが言うとおり、時空工学には未だ未解明な部分が多く残されており、それゆえに事故の原因も未知な部分によるところが大きいのかもしれない。だが、事故後に知った些細な事で私が1つ気になったことがある。もしかしたら全く関係ないのかもしれないが、どうしてもそれを払拭できない。そこで、私は知ってのとおり自由がきかない身なので、同じ事故経験者で当事者の君に、それと事故との関連性を調べてもらいたいのだ。”
一通目のメッセージは何故かそこで終わり、レスターは続きを探してメッセージ・ボックスを見た。1通目から3分後くらいに2通目が送られてきており、それには参照用の映像が2つ添付されていた。映像は、宇宙船が爆音を上げて空高く突き進んでいく姿と、出入口に通行不可の標識が出ているトンネルだった。
“テストを実施したのとちょうど同じ時間帯に、マリウェア市から大型宇宙船が火星に出発している。セーラム・シティからは230kmも離れているが、中間地点に位置するホームズ・トンネルでは同時間帯に原因不明の故障でワープが効かなくなり、娘の滞在していたセーラム市内のホテルではエレベーターが作動不能になる事故があったそうだ。どちらも被害がほとんどなかったので大きなニュースにはなっていないが、その両方が時間移動に関する事故だ。偶然といえばそれまでだが、何かが引っ掛かる。君はこじつけのように感じるかもしれないが、これはどうも、宇宙船の出発が何か影響しているように思えてならない。”
教授からの依頼を読み終わったレスターは、思わず腕組みをした。教授の説明は一理あるが、納得させられるまでではない。だが、調査を始める最初のポイントにはなるのかもしれない。
そう考えた彼は、教授の娘にあてて短い返事を素早く書き始めた。
“メリーアン様、ご連絡感謝します。教授、事故の要因については私も気に掛かっていて、調査をするつもりでした。早速、その点について細かく調べてみます。何かわかり次第ご連絡します。どうか、お体を大事に。フレッドマン”
送信ボタンを押した彼は、その他メッセージに目ぼしいものを見つけられなかったので、引き続きテスト採点に戻った。10分後くらいに教授の娘からお礼のコメントが届き、父親である教授が順調に回復していると付け加えられてあったが、それ以降の文章は読むのを止めておいた。必要以上の関わりは、したくなかった。
木曜日の朝の目覚めは悪かった。昨夜、調査に没頭するあまりに、床についたのが夜明け間近だった。時間のコントロールを失敗した彼は、より頭を目覚めさせるためのシャワーを浴びに、バスルームまで這って行った。リビングではXR-2が静かに掃除をしていた。
頭を洗いながら徐々に覚醒していった彼の頭に、昨夜わかった事実が次々に蘇ってきた。全国ニュースにはならない小さな、そして普段からよくある種類の事故が、マーシャの事故と同じ時間帯にマリウェア市内・近郊エリアで続発していた。
それらは本当にただの偶然なのか?
火星移住が始まったのはほんの5年前だが、その宇宙船の出発に際して何か大きな影響が出たという報告などほとんど聞いたことはない。防音・防風対策もきちんと整備されているし、空のラッシュ時を避けて出発は行われる。しかし、5年前からの記録に遡ってみたところ、同エリア内で、小規模の同様な事故は宇宙船出発時に特に増えているようだ。
さらに事故への疑念が高まったのだが、大学から生徒たちのレポートが送りつけられてきているのを確認し、彼は優先順位を思い出して頭を切り替えた。
彼の担当する教科は明日の2クラスが期末テストを控えているのみで、そのうち1クラスは例の時空体験をテストの一部としていた教科だ。当然、その課題は中止されたので、両方ともが回答式のテストとなっている。採点を完了したテスト結果を大学の担当者へ戻す処理をし、成績評価をオンラインで済ませたことを報告しておいた。今学期に卒業を控えて長い卒論を作成する生徒が一人もいなかったのは、彼にも幸運だった。卒論の評価に関わるような根気も時間も、今の彼にはなかった。
メッセージ・ボックスには教授からまた連絡が入っていた。何か目ぼしい情報でも含まれているかと思ったのだが、それは教授の容態を知らせる彼の娘の文章だったので、彼はさっさと読むのを中止した。そこには、自分と彼とのパイプ役を娘に担わせて二人の仲を接近させようとする、懲りない教授の思惑が見え隠れしていた。
彼女のメールを開いている間に、しばらく連絡の途絶えていた大学事務局の局員から“緊急”という件名でメッセージが届いていた。今年の初めに学校関係者の懇親会で会い、ほんの数度プライベートで会ったことのある職員だ。だが、彼とその職員が仕事で実際に直接関わることはない。
彼が辞職を公表して以降、同僚や学校関係者から挨拶の連絡が来るようになっていたのでその類か、金曜の事故を聞いたので連絡してきたのだろうとみなし、彼は中身を見てみた。
“久しぶり”の声と共にその女の映像がたちあがった。久々に見た彼女は髪をまっすぐに伸ばし黒く染め、グレーのワンピースが良く似合う女になっていた。
“こんにちは、レスター、元気にしている?事故の件、災難だったわね。入院中とは聞いたけど・・・実際にはケガがないってきいてホッとしているわ。事故原因については本部でも調査しているけれど、今のところは何の進展もないそうよ。”
送信時間からすると勤務先でメッセージを作成したのだろう。あのおカタイ事務局でよくできるものだと、彼は人ごとながら感心した。
“あなたがここを辞めるって聞いたわ。あとほんの少ししか、あなたはここにはいないのね・・・そう思ったら急に淋しくなって・・・”
映像の彼女がしんみりとした表情を見せ、彼は、次の展開をある程度予想しながら聞いた。
“私、明日は3時で勤務をあがるの。それで、あなたに会ってちゃんとお別れを言わなきゃと思って。もしお邪魔じゃなければ、忙しいのはわかっているのよ、だから短時間で構わないんだけど。”
レスターは彼女の姿をまじまじと見つめながら、その言葉の意味を考えた。彼女と学校で会う機会はなさそうだ。レポート添削、事故の原因調査に必要な時間。明日11時までに返事がほしい、と彼女は笑顔で締めくくっていた。
彼女はあとくされなく、魅力的な大きな口を持っている。しかも、彼女は“短時間で構わない”と言っている。