第44話
マーシャはしばらく、レスターの前を落ち着きなく行ったり来たりしていた。
話の内容を理解できなかった、ということはないだろう。彼女はレスターの考えの基本をよく理解している。マーシャはレスターの専門分野とする世界に片足をつっこんだばかりの新参者ではあるが、レスターがそれほど多くを語らずとも、彼女には話のつじつまが合っているはずだ。
「なぜ、こんなことが起こるの」
マーシャが独り言のように呟いた。
「磁気レベルが上がる・・・・・・」
マーシャが顔をあげたので、レスターは彼女に頷いた。
「信じられないわ。検査結果を実際に見てみないと――見せてくれるわよね?」
「いいよ、もちろん」
「それに、私の記憶を映した映像も」
「それは・・・・・・やめておいた方がいいと思う」
と、レスターは映像に出てきた若い男とその時の悲痛なマーシャの表情を思い起こしながら、言った。
「どうして? 自分の記憶を知りたいのは当然じゃない?」
「ああ。でも、そういう意味じゃなくて、その映像を見たら、たぶん、君は・・・・・・無意識のうちに情緒不安定に陥ると思う。そうしたらまた――」
「――また、つまり、マイクロ・ブラックホールを引きつけるのね」
マーシャが眉間に皺を寄せ、やるせなさそうにため息をついた。レスターは彼女に同情しながらも、そうだ、と返す。
マーシャが人工光を透す天井を見上げ、レスターもつられて上を見上げた。晴れの日のような明るさをもってはいるが、太陽のように眩しい光ではない。彼が天井から視線を動かしてマーシャを見ると、彼の視線に気づいて彼女もレスターを見返した。
「マーシャ、君には最初から説明すべきだったと思ってる。少し考えれば、このことが君自身も――君だけじゃなくてその他大勢の人を危険に・・・・・・大きな影響を与えることぐらい、わかっているはずだった。俺は研究開発のことしか、自分のことしか頭になかった。勝手すぎた」
マーシャは何の反応もせず、レスターは先を続けるしかなかった。
「このまま放っておくわけにはいかない。俺は君が危険なめにあわない方法を何か考える。少し時間をくれ、必ず何とか――」
「“考える”じゃなくて“一緒に考えよう”、でしょ? あなた一人の問題じゃないのよ?」
レスターは返事をするのも忘れ、マーシャが口をとがらせて自分を責める“フリ”をするのを見つめた。
「これが本当の共同研究ってものじゃない? ――これで私はやっと、名実ともに、かの“レスター・フレッドマン”と共同作業ができるってことね、うふふ」
レスターは彼女の反応にあっけにとられた。彼女は嬉しそうにくすくすと笑い続け、彼の唖然とした様子を目にして、さらにまた笑う。彼女に手玉にとられているようで、レスターはなんとなく、面白くない。
「レスター、ちょっと」
「・・・・・・なに?」
不愉快な感情を声に出しながらも、レスターは彼女に呼ばれて近くまで歩み寄った。マーシャは笑っていた。
「何だ?」
「新パートナーへのご挨拶」
と、マーシャの手がいきなりレスターの首に伸び、レスターが避ける間もなく、その唇に、マーシャがほんの一瞬だけ唇をつけた。
「よろしくね。でも、とりあえず・・・・・・私は、体の異常を先に治してしまわないと」
マーシャが自分の腰にそえられたレスターの手を気にしながら、言った。
「え、ああ。そうだな、そっちの方が先だな」
彼女に動揺を悟られまいと、レスターはなるべく自然に彼女の腰から手を離した。彼女の腰に手をまわしてしまったことさえ、レスターには無意識だった。
「うん。退院できるようになったら、また連絡する」
レスターは返事の代わりに彼女に微笑んだ。
それから約一ヶ月、レスターとマーシャは、彼女にマイクロ・ブラックホールを引きつけさせないでおくという目的で、ほぼ毎日のように連絡を取り合い、彼女が退院してからは、頻繁に会った。ほとんどの場合は、マーシャの方からレスターに連絡が入った。彼女は、まるで前々から事情に内通している仕事仲間のようにレスターとの話にすんなりとついてきた。たまに理解できない点があっても、彼女はすぐに彼に問い返し、大体が一度の説明で全てを理解した。
また、レスターは彼女と、母親以外の女性で初めて、あまりにも激しい感情的な言い争いをした。マーシャとの白熱した議論が喧嘩に発展することは、その後も何回かあった。だが、なかなか謝らないレスターとは違って彼女はいつも喧嘩の後でさっさと謝り、二人の不愉快な状態が一日以上も続くことはなかった。レスターは彼女との接触に多少の戸惑いを感じはしたが、総じて、すっきりとした気分のままに彼女と向き合っていられた。
ひとりの女とそこまで密に接した経験は、恋愛でも仕事上でも、彼には今までに一度もない。なんだか、予想外の、不思議な感覚だった。
二人に加え、内情を知るケヴィンとタコマ医師が時々、二人に協力した。タコマ医師の何気ない一言が二人を救ったのは、出口の見えない対策の追求に二人がじれだした頃だった。
「磁石だって?」
「磁石!」
レスターとは対照的に、マーシャは興奮して瞳を輝かせていた。マーシャはタコマ医師のオフィスにあるソファから立ち上がり、「磁石よ、レスター!」と、レスターの肩をいきおいよく揺すった。「磁気には磁気を、よ!」
ケヴィンが彼女の行動を見て、笑みを漏らしている。
「ああ、わかってる」
レスターがマーシャに落ち着くようにと言うと、彼女は興奮さめやらない、といった表情で天井に向かって大きく息を吐き、レスターの隣にすとんと腰を戻した。
「レスター、私たち、あんなに悩んだのに! なんてあっけないの!」
「そうだな。ああ、あまりに単純で気がつかなかった。そうだよな、磁気レベルが高くならなきゃいいわけだから・・・・・・磁気を吸収してもらえる“磁石”を身につけていればいいってことか」
自分に向かってつぶやくようにレスターが言うと、マーシャがそれに同意して何度も頭を振った。
彼女も自分と同じ“産みの苦労”をしているせいで、とても嬉しそうで、そして、誇らしげだ。レスターは思わず、隣の彼女に引き込まれるようにして笑った。
レスターとマーシャはその足で、市内のデパートに向かった。マーシャが宝飾店で磁気メタルを使用したアクセサリーを買う、というので、レスターが同行したのだ。
マーシャが選んで入った店は学生でも手が届く値段の品がほとんどの、良心的な店だった。彼女の家は金持ちのはずだったが、彼女の金銭感覚は一般の学生とほとんど変わらないらしい。
女の子が買うものをあれこれと迷っている姿を見るのは、レスターは嫌いじゃない。彼女はあまり広くない店内のディスプレイを見てまわり、いくつかの品に目星をつけたようだった。
「何がいいの?」
数歩離れて彼女の後をついていっていたレスターは、さりげなく彼女に尋ねた。
「うん・・・・・・これか、そっちのものにしようかと思って」
マーシャは同じケース内に納まっている、ピンキーリングと小さなピアスを指差した。両方ともシルバー色で、ピンキーリングには前面に二つの小さなピンク色の石が埋め込まれ、楕円形のピアスにはやはり極小の四葉のクローバーが彫られていた。値段を見ると、指輪にはピアスの三倍の値がついていた。彼女は、名残惜しそうに指輪を気にしながらも、ピアスの方を見ていた。
「――そっちを買ったら? 君の家、金持ちなんだろ?」
マーシャの隣に行ってそう囁くと、彼女が気分を害したように言い返した。
「家はそうかもしれないけど、私は違うわ」
さらに、あなたって時々すごく気に障ることを言う、と、マーシャはむっとした顔をした。
「でも、金持ちじゃないか」
レスターがそう続けると、彼女は呆れた顔をし、レスターから一歩、離れた。
「いいわ、こっちにする」
マーシャはピアスの方を差し、決済をしようとして、ケース正面にある購入メニューを立ち上げた。メニューには、ケース内にある品全ての選択ボタンが並んでいた。
「それじゃなくて、こっちにしたら?」
レスターが指輪を示してそう口を挟むと、彼女にじろりとにらまれた。
「買うのは私なんだから、ほっといて」
「・・・・・・へえ?」
彼女の指がボタンを押す寸前、レスターはその指をつかんで押さえ、代わりに、指輪を選択するボタンを押した。
「ちょっと!?」
マーシャの殺気だった声に店内の客たちが振り返った。彼女はわなわなと唇を震わせ、レスターを見上げている。
「勝手なことしないでよ!」
「こっちの方が気に入ってるんだろ?」
「そうだけど、値段だって違うのに!」
「いいんだ、俺が買うから」
マーシャが唖然とする様子に、レスターは思わず吹き出した。
「なんて顔してる! バカだな、最初から俺が買うつもりで来たって、わからなかったか?」
「そんなの――」と、マーシャは視線を一度外し、それから責めるように彼を見た。「あなた、何も言わないんだから、わかるわけないじゃない!」
ああ、また同じことを言われた、と、レスターはマーシャの紫色の瞳を見ながら、小さくショックを受けた。彼女が肩で大きく息をつくのを見ると、何だか、罪悪感を覚える。