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第41話

 レスターの持つボトルを見てケヴィンが驚きに顔を歪めた。彼が叫び出しそうになるところを押しとどめ、レスターは室内の壁や天井に何事もないかを素早く確認する。

「ドクター、もういい。止めてくれないか」

「はい?」

 医師が怪訝そうに見返した。マーシャの頭に装着された装置にあるボタンのオレンジの光はまだ点滅している。マーシャが小さい呻き声をあげた。

「その雨の音を止めてくれ、早く」

 空気がさっきより冷たく、重くなっている。レスターは焦ってマーシャを見た。オレンジの光は消えているが、彼女の唇は小刻みに震えている。

「もういい、充分だ。その装置を早く取れ!」

 レスターが命令するように言うと、医師は困惑した様子で装置に手を伸ばし、ケーブルを取り外していく。

「起きろ、マーシャ!」

 抑制剤のボトルを腕に抱え、レスターはマーシャに呼びかけた。外された装置の下から、彼女の涙で濡れた顔が現れる。彼女はまだ、目覚めてはいない。

「マーシャ!」

 レスターが彼女を揺り起こそうとその肩に手を触れると――白く小さな光が飛び、彼の手は静電気に見舞われた。同時に、部屋の照明が、一段階暗くなる。突如、レスターの頭の中でマーシャに関する一連の疑問が繋がったような気になった。

「レスター、そんなに乱暴に・・・・・・」

 レスターはケヴィンの手を乱暴に振り払った。

「起きろ! 起きるんだ、マーシャ!」

 今度は、レスターは彼女の両肩に手を置くとマーシャの体を大きく揺さぶった。すると、彼女がはっとしたように目を見開き、目の前のレスターを凝視する。レスターは息を飲んだ。あの時の目と同じだ。

「ああ・・・・・・!」

 マーシャの目が涙で溢れる前にレスターは彼女を腕の中に急いで抱きしめた。彼女がレスターの体に腕を伸ばし、必死にしがみついてくる。

「私、私は、死にたく――」

「ああ、そうだ、わかってる! 君は死んだりしない。大丈夫だ、君は死にはしない・・・・・・!」

 

 マーシャが肩を大きく揺らし、泣いている。

 彼女の頭を何度もなでてなだめながら、レスターは室内の状況をもう一度じっくりと観察した。壁や天井に亀裂はない。空気は重いが、さっきと比べて変化があるようではない。警告音も鳴っていない。同席する医師が、硬い表情ながらも落ち着いてタコマ医師と連絡を取り合っていることから、彼女のいるモニター室でも異状はないのだろう。

 ほどなく、照明が一瞬ちらつき、元の明るさが戻った。レスターが胸の中にいるマーシャを見ると、彼女は呼吸を落ち着けようとしているところだった。彼女の背に手をやり、安心させるように何度か優しくたたく。まだ油断はできないが、危機を脱したのではないか、とレスターは想像した。

 ふと気づくと、医師がレスターに何か言いたそうに彼の前に立っていた。その不安そうな表情から、レスターは医師に発言させることを選ばず、代わりに、タコマ医師を呼ぶようにと頼む。しかし、医師は躊躇する素振りを見せ、そうこうしているうちに当のタコマ医師が息せき切って部屋に走りこんできた。

「私のいた部屋に、何か――」

 レスターははっとし、あわててマーシャの耳を覆うようにして彼女を体に引き寄せた。

「黙って!」

 タコマ医師が口をつぐみ、力つきたように床に座りこむ。ケヴィンが彼女の近くに寄って彼女に手を差し伸べたが、彼女は首を左右に振るだけだ。不気味な沈黙がそこに流れた。

 マーシャの体の揺れが治まるのを肌で感じながら、レスターはタコマ医師に静かに言った。

「でも・・・・・・消えたんだろう?」

 彼女は返事をしなかったが、その顔に浮かんだ驚きで、レスターは彼女の答えを知る。

「タコマ医師、君がそんな状態なのはわかってるが・・・・・・頼みがある。今すぐに、彼女の体を検査してもらいたい」

 彼女やケヴィンだけでなく、マーシャ自身も驚いて顔を上げた。

「レスター?」

 彼女の頬についた涙の跡を手で拭い、レスターは彼女に諭すように話しかけた。

「マーシャ、君の体には負担がかかったんだ。ダメージが何もないか、その確認のためだけの検査をしたい。怖がることは何もないんだよ」

「だけど・・・・・・」

「俺がずっと付き添うから」

 レスターがマーシャの瞳を覗き込むと、彼女はあきらめたように目を伏せた。それを同意の印と捉え、レスターはタコマ医師に再び視線を戻す。彼女には恐怖の色がありありと見えていたが、責任感の強さからか、床から何とか立ち上がろうとしていた。

 隣の検査室に移動する前に、レスターは唖然としているケヴィンを目で呼んだ。

「君はこっちで待っていてくれ。念の為、これを持っていて」

 彼にそう囁き、レスターが手にある抑制剤のボトルを託そうとすると、彼はひるんで半歩後ろに下がり、青ざめた顔で左右に激しく首を振る。レスターは声には出さず、ケヴィン、と彼の名を呼んだ。

「もう心配はない。本当に、念の為だけだ」

 レスターは彼の手にボトルを押し付けた。


 次の日、レスターは午後から出社した。前夜からあれこれと考えていたせいで明け方近くまで眠れず、体中がだるくて重い。あまりにも体がだるかったので欠勤しようとも思ったが、昨日の収穫を基に早く作業に取り掛かりたい思いの方が勝った。

「しかし――どう手をつけていったらいいんだろうか」

 昨日の一連の出来事を経て、マーシャがマイクロ・ブラックホールを引き寄せている事実は裏付けられた、とレスターはみていた。言葉に出してこそ言わなかったが、ケヴィンも同様に感じているようだ。

 エレベーター付近にいること。マーシャが精神的に苦しんだ状態でいること。他要素もあるかもしれないが、その二つの条件が揃うと、なぜか彼女の体は強力な磁気を帯びるらしい。

 昨日の二回目に行った検査で、マーシャの体内磁気レベルは、当初、通常の人間の十倍以上に跳ね上がっていた。ところが、最初の測定から三十秒も経たない間に、磁気レベルは一気に正常値へ下がっていったのだ。しかも不思議なことに、それだけの磁気を体内にためていながら、マーシャの体のどこにも異状は発見されていない。

 二つの条件に何の意味があるのか、磁気レベルの向上がどう影響しているのか、それぞれを検証していく必要がある。その結果を踏まえ、マイクロ・ブラックホールの制御方法も考えていきたい、とレスターは思っている――形成しかけた入口が途中でふさがった事実をタコマ医師の口から聞いた時点で、レスターは、マイクロ・ブラックホールが何らかの形で人工的に制御可能なのではないかと漠然と考えていた。

 もしその制御ができれば、彼の“仮説”どおり、人体単独移動の実現もまったくの夢物語ではなくなるかもしれない。

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