第39話
マーシャがカプセル型の検査設備に吸い込まれていくのを見て、レスターはケンジントン・テックで事故にあった当日のことを思い出した。専用スーツに身を包み、マーシャは時空移動機に颯爽と乗り込んでいって、出発する際にはレスターとロバートソン教授にピースサインをしていた。そして、その後、例の事故が発生して彼女は行方不明となったのだ。機内で固定されたその時の姿と、透明なカプセルに納まる彼女の今の姿が、重なって見える。
「そういえばさ、なんでエレベーターに近い部屋を指定したんだよ?」
彼と同じようにモニターに見入っていたケヴィンが何気なく訊いた。彼とは別のモニターを見ていたレスターは顔を上げ、ケヴィンに向き直る。
「マイクロ・ブラックホールが発生した時、いつも近くにエレベーターがあって――ない場合もあったが――それが実際に左右するかどうかは別として、少しでも同じ条件下にして、彼女の様子を見てみたかったからさ」
ケヴィンは興奮したように頬を赤らめ、マーシャが設備に納まる様子を見つめている。レスターは、まだ頭に引っ掛かっている、彼女の“悲しそうな表情”を思い出した。
タコマ医師は順調に検査を進めていった。マーシャの体温・脳波・神経・心拍・血流は全て人並みで、何の異常も見られない。彼女の体外環境を多少変え――カプセル内の気温・気圧・湿度などを調整した――マイクロ・ブラックホール内に似た状況も含む数パターンの環境を作って彼女の体の変化を見たが、彼女の体からは通常の反応しか返ってこなかった。
『レスター、一通りの検査は終わったわ』
マーシャと検査室にいるタコマ医師の声がモニター室の空間に響く。
「ああ、結果はこっちでもらった。――体内の磁気レベルも変化なし、だな?」
『ええ。通常レベルだし、問題ないわね』
半分は想像していた結果に、レスターはため息をつく。彼が検査結果を念の為に見直していると、隣にいるケヴィンが肘で腕をつついた。レスターは作業の手を休めず、彼に返事をする。
「レスター、行方不明の間の記憶は探らないわけ?」
彼が手を止めてケヴィンに振り返ると、彼が期待に満ちた目で彼の返答を待っていた。
「記憶って、マーシャのか?」
「もちろんだよ。さっき、彼女にもそう言ってたじゃないか。そういうの、一度立ち会ってみたかったんだよなあ」
レスターはモニターに映るマーシャの様子を見た。穏やかな寝顔だ。熟睡しているように見える。
「ああ、そうだな。やるなら・・・・・・最後にな」
「そうは言うけど、もう他にやることはないんじゃないの? 一通り済んだって言ってたじゃないか」
「ああ、まあ、そうなんだが――」
レスターは何か突破口となりえるものを必死で探し当てようとしていた。マーシャが現代に放出された後に病院であらゆる検査を受けた時も、異常は何ひとつ見つかっていない。細胞レベルにまでが全て正常で、多少のダメージを予想していた医師たちは一様に驚いたそうだ。その後に何回か受けたマイクロ・ブラックホール影響検査でも、特に変わった結果は見られなかった。
『レスター、彼女をここから移動しても構わない?』
タコマ医師の声が聞こえ、レスターは返事につまった。今までにどれだけ思い返したか知れない、マイクロ・ブラックホール発生時の状況を再度振り返り、そこに共通項と言えるものが本当に他になかったかを考える。
エレベーターが近くにあり、自分が一緒で――彼女は、悲しそうな顔をしていた?
『レスター? 記憶探査をやるなら早くした方がいいわ。彼女、三十分もしないうちに目覚めるわよ』
ケヴィンが様子を窺うようにレスターの顔を覗きこんだ。レスターは開いていた手のひらをぎゅっと握り締める。
ダメだ、何も思いつかない・・・・・・!
彼はあきらめ、言った。
「ああ、わかった。彼女を移動してくれ」
そもそも、レスターは彼女の記憶を呼び起こせるとはあまり期待していない。しかし、記憶探査の場に居合わせるのは初めての経験で、ケヴィンではないが、緊張と興奮が高まってきていたのは確かだ。マーシャは睡眠導入を行った狭い部屋に移され、レスターとケヴィンもそこへ移動した。念の為、レスターは抑制剤のボトルを二つ持っていった。
タコマ医師がモニター室に引き上げ、代わりに記憶探査の専門医が入室してきた。背の低い、寡黙そうな男性だ。彼は作業の過程をレスターたちに簡単に説明する。脳に負担をかけないため、最長でも三十分までしかやらないと言う。どちらにしろ、マーシャが目覚めるまでのタイムリミットはその三十分程度だ。
医師は、部屋の隅にあらかじめ用意されていた白い袋から、透明のケーブルと銀色のヘルメットのような装置を取り出した。そして、マーシャに頭・耳・目をすっぽりと覆う装置を手際よく被せた後、か細い声で二人に言った。
「記憶を呼び覚ませそうなアイテムは何かありますか? 海や遊園地といった場所、フレーズでも何でも構いません。それを彼女の頭に信号として送ります」
「何かある、レスター?」
「そうだな、じゃあ――時空移動機BOC-DD2型、ブルーライン記念塔、それから・・・・・・岩山が目立つ荒野の風景」
マーシャが事故当時に乗っていた機体モデル、彼女が試験の課題として向かった“過去”の場所、そして、彼女の頭に時折浮かぶというらしい景色。
レスターが告げるままに彼が該当の物を検索し、ベッド脇にあるモニターにそれらの映像が映る。レスターが各映像を確認してOKを出すと、彼は、入ります、とマイクでモニター室のタコマ医師に検査開始を告げた。すると、マーシャの頭に被せられた銀色の帽子上部に付いたボタンが、ゆっくりと青白く点滅し始めた。
「今、そのモニターに映るとおりに映像を送っています。彼女に反応があれば、脳で作られた視覚イメージがモニターに映像として割り込んで入るはずです」
モニターには、移動機・記念塔・荒野の映像が順番に、一つにつき五秒程度、合間に同じ程度の小休止を挟んだ一定のテンポで映し出される。モニターは淡々と進んでいき、マーシャの心拍や神経に何の変化も起こさないまま、数分が静かに流れる。装置のボタンの青白い光も規則的に点滅し続けるだけだ。
レスターは静かにモニターに神経を集中していた。マーシャも目覚める気配はなく、寝息もほとんどたてないまま、静かに眠っている。