第3話
彼女の出発から15分ほど経過した頃、隣室の実験室を何気なくのぞいたレスターは、同様に部屋を見ている教授に気づいた。それから、彼女の乗っている器機の状況を示すメーター類の表示を見る。特に異常はない。
「とりわけ問題はなさそうですね。」
この学園都市生活で彼が培ってきた温和な笑顔を浮かべ、レスターは教授に言った。
「機械に異常さえなければ、あのコは大丈夫だろう。」
「そうでしょうね、彼女は優秀ですから。」
「君のような人材に彼女をもう少し長く師事させてやりたかったが、ねえ。」
彼が今期限りで現職を去る事を知る教授は、心から残念そうにそう言った。
今までも何度となく彼や他のスタッフから留まるように説得を受けたレスターであったが、彼の心中では、この学院に入学した時点からここを去る日を指折り数えていたのだ。卒業後3年近くもこの母校に貢献してきた彼の功績を思えば、もういい加減、自分を解き放ってくれてもいい。他のスタッフたちには声高に反撃してやりたいが、自分の立場と未来への影響を思って、彼は自分を紳士的に抑えてきている。
彼は教授をさっと盗み見た。それに・・・と彼は思った。
それに、教授は、将来性豊かなそのレスターに自分のかわいい娘を嫁がせたくて仕方がないらしい。娘の結婚相手を親が選ぶなんて、なんて時代錯誤な、ばかばかしい考えだ。
「私をかっていただくのはありがたいのですが、教授。他にも優秀な方々がこのテックには揃っておいでですよ。」
「それはそうだがね、君のように画期的な発想をする者はなかなかおらんからなあ。」
「無謀と批評される方が多いのですがね。」
「そりゃあ、世間の目が間違っとるだけで。君の離職はテックにも私にも手痛いよ。」
「お褒めにあずかり、光栄です。」
「いやいや。・・・それで、君の勤務先はコロンビア・シティだったね、たしか。」
「ええ。」
「あそこには私の娘も住んでおる、便利でいい所だ。何か困ったら、娘を頼ったらいい。」
まだあきらめてないらしい。
レスターはそれには同意せず、感じのいい微笑を返した。
「快適な場所らしいですね。」
「コロンビア・シティにはいつ引っ越すのかね?」
「学期末が終わればすぐに引っ越すつもりでいます。勤務は来月の5日からですので、それまではハワイをのんびりしてこようかと。」
「おお、ハワイかね!ご家族と一緒かね?私たち家族もちょうどその頃、ハワイにおるのだよ。よかったら私の別荘に訪ねてきなさい。」
きたな、とレスターは思った。知的でかわいらしい女性ではあるが、遊び心のない彼の娘を思いおこした。
「ええ、ありがとうございます。まあ、家族ではないのですが、時間があえば恋人とお邪魔するかもしれません。」
レスターの先制攻撃に教授は絶句した。教授は、彼を親思いで品行方正で恋人のいない男だと勘違いしている。彼の年ならば恋人の一人や二人存在して当然と考えるのが普通なのに。教授の古い固定観念にあった人生を送る若い独身男など、今の時代に生きているのだろうか。
彼は、婚約者と先にハワイ入りしているキャルとはクリスマス後に会って最後の数日間を過ごし、その後は友人と合流して現地人との恋愛を楽しむ気だった。教授の娘がアバンチュールを楽しめる気質であればハワイ滞在もまた楽しかったかもしれないと一人思いながら、彼はがっかりしている教授に励ますように言った。
「ハワイは平和で楽しい場所ですよね。ご家族で存分に楽しんできてください。」
その後にメーターを見たレスターは、移動機器が現代に戻りつつあるのを知った。時刻は3時45分。ほぼ予定どおりである。
彼は意気消沈している教授を促し、隣室の実験室へ一緒に移動した。そろそろ戻ってくるマーシャに対応するために、近くで待機していなければならない。器機の状況や位置を示す全メーターは正常値を指しており、残り数分で、彼女は出発していったその同じ場所に姿を現すだろう。降り立ったその瞬間の彼女の興奮した様子が、レスターには容易に想像できた。
午後3時58分。若干遅れ気味ながら、機体が戻ってくる前兆があった。空気が振動し始め、光が辺りに拡散し始める。メーターはどれも異常なく、レスターと教授は機体からほど離れた位置に立ち、彼女の帰還を今か今かと待っていた。
そして1分後、機体の前部が空気の中に突如現れ始めた。教授はほっと胸をなでおろしたようだったが、教授とは反対側で機体の斜め前方からその姿を確認したレスターは、ある違和感に気づいた。その前部がゆっくりと大きく姿を現していく中で、レスターはあっと声を上げた。
「どうしたね、フレッドマン?」
機体はボディの半分ほどが戻ってこようとしている所だった。レスターは必死にボディの搭乗部を見ようと目をこらしたが、まだ内側を確認することはできない。
「フレッドマン?」
「教授!機体の下の面をご覧ください!全面的に・・・真っ黒になっている!・・・これは・・・いや、まさか・・・これは・・・・焦げているのか・・・?」
「何だって!?」
教授は急いで体をかがませ、レスターの示す場所を見た。たしかに、下面が何かの熱で焦げたように真っ黒になり、所々が黒くただれたように変形している。上部はきれいな形のまま保たれているが、あちこちに引っ掻き傷のような白く長い線がついていた。教授の顔から血の気が引いていく。
「ああ、なんでこんな・・・・オブライエン!!」
機体の周りには白い蒸気が立ちこめ、徐々に姿を現す目の前の機体内に人影があるかどうかも確認できない。
今までの受験者5人の帰還より、機体が全貌を現すまでに相当時間がかかっている。それに、上下左右に激しく動く機体に、中で生きている彼女が耐えられるかのどうか・・・。
呆然とする教授を横に、レスターは急いで壁付けの内線電話をとった。が、回線が断ち切られているかのようにそこには何の反応もない。時空の歪みが関係しているのだろうと結論づけ、彼は急いで隣の部屋の内線をとった。それは通じていた。彼は総務に救急隊とレスキューの派遣を依頼すると、事の次第を簡潔に説明して学長に連絡してもらうよう依頼した。
レスターが教授の元に戻った頃になってやっと、機体の8割が姿を現そうとしていた。依然、機体の内部がくもって見えない。
「教授、救急とレスキューを頼みました。」
レスターが小声でそう囁くと、教授ははっとして彼に向き直った。
「学長への連絡も依頼しました。」
彼はレスターを見上げ、時計を見上げた。午後4時10分になろうとしている。